休む時間は燃え尽きたではなくて次の挑戦に向けて自分と向き合って準備する時間
燃え尽きているけどエネルギーはそこにある
そんな言葉がしっくりくる、2022年の誕生日。色々なものが一巡し、嵐が過ぎ去り、凪が訪れている。穏やかだけど、胸の中には熱いものがあって、でもそのエネルギーが発揮されるのは”今”ではない。
次に来る何か”ワクワク”に向けて、胸の中のエネルギーが充填されている。そんな感覚。
これを人は燃え尽き症候群というのだろうか。でも私は自分が燃え尽きたとは思っていない。だって次に何かが来るために今休んでいるのだから。やりきったから休む、次に備える準備をする時間は大切だと思うのだ。
こんな人に向けて書いています。
・いつも頑張らなければいけないと思っている人
・休憩が大事だとわかっててもどう休んだらいいかわからない人
・燃え尽き症候群になるのが怖い人
・次に頑張るものの探し方を知りたい人
・夏の図書館が好きな人
握りしめた願いと背中に受けた応援
7月。私は激変期だった。
今の自分と全力で向き合い、ぶつかり、指針を見つけた60分。”NPCではなく、相手にとって影響力のある人になりたい”と自分の願いを見つけ、磨き、それに向けて駆け出した。
駆けている最中は楽しいことばかりではなかった。うまくいかないこともあった。それでも自分から掘り出された願いを片手に握りしめ、一緒に願いを掘り出してくれたコーチの言葉を背中に受けて、大きな試練に立ち向かって、そして乗り越えた。
そんな7月の物語がこのnote。自分の大切な物語
物語のその後
小説であったなら、フィクションであったなら、きっとあのnoteで物語は終わる。起承転結をしっかりと持って、閉じていた。
でも人生は終わらない。続いていく。そして終わらないから楽しいとも思う。では、物語が終わってどうなったか。強制的なお休みモードに入った。そんな感覚がある。
あの時、胸に抱いていた熱い思い、それは今、一度自分の内側に入っている。その分、何かに対して熱い思いが今は湧いていない。
日々日々様々なことは発生している。色々な人と触れ合い、会話をし、時には議論をしている。その時その瞬間はエネルギーが高まっていることはある。しかし7月にあった、何かを変える!という強い思いが向かうことはない。ある程度のエネルギーでそつなく”こなせてしまっている”のだ。
そつなくこなす、どことなく悪い響きを感じるのは私だけだろうか。”適当に”、”流すように”、”なんとなく”やっている、そんな響きを感じてしまう。
でも一歩引いて考えてみる。そうすると”そつなくこなせている”ってとんでもなくすごいことなのではないかとも思う。今までは全力で本気で全身で向き合わなければできなかったことが、必要なエネルギーが減っていき、今ではついに、”なんとなく”でできてしまっているのだ。
これこそが自身の成長なんだとも思う。そしてそんな風に冷静に自分を一歩引いてみていると、自分が周りに対して発揮している影響力もいつの間にか変わっていることにも気が付くのだ。
大きなエネルギーを使わなくなったとしても燃え尽きているとは限らない
”そつなくこなす”ことができるようになり、大きなエネルギーが必要ではなくなったとき、持て余しているエネルギーは一度自分の中に帰っていったような感覚がある。ただ、そこでさぼっているのではなく、何かに向けて蓄えている、そんな感覚とそう思いたい願いがある。(自分がさぼっているとは思いたくないからね。)
今このエネルギーは何を待っているのだろうか?
それは、次に熱意をもって取り組みたい何か、だと思う。今これをやりたいのだ!と強く熱く思いが向かうものを待っている。その時が来たら全力でそのことに向かっていくために今私の中で腕組みして待っている”熱い自分”がいる。
腕組みしている”熱い自分”とうずうずしている”探求家の自分”
”熱い自分”が自分の中で待っている。熱意を向けるものが来るのを待っている。
じゃあどうやって待つか?とことん休んで何かに呼ばれるまで待っているのもいいかもしれない。自分で探しに行かずとも、勝手に周りから熱意の対象が現れるかもしれない。
けれど、私はいつも何かを探したくなってしまう。探して見つからないと寂しくなってしまう。自分の趣味に浸かって、新しいアンテナが立つものを探す時もある。誰かに会って、話を聞いて、自分の琴線に触れるものを探す時もある。今までやってきたものをもう一度やってみて熱意が燃えるかを見るときもある。
探し方はいろいろある。けれど共通して言えるのは常に動いていたくてうずうずしてしまう、”探求家の自分”がいるのだ。
自分の中にいる自分、全く違う側面を持っているけれど同じ自分ではある。この二人のペアってものすごく相性がいいなと思う。
”探求家の自分”が気になる種を探し、”熱い自分”が栄養を与えて育てていく。自分の中の芽が、枝が、葉っぱが、芽吹いていく。
探求家の自分は新しい何か、ワクワクしそうな何かをさがしてくることが大好き。でもたまに見つからないときもある。特に今みたいな凪の状態だと、あらゆるアンテナがいったんお休みしているから、”探求家の自分”も困ってしまう。
逆に何かに熱意が向いているときは、アンテナがたくさん立っているから、一つに集中したいのに探求したいものがありすぎて困る!となるからバランスって難しい。
待っていても燃えたいものが見つからないときは気の向くままにインプットに時間を使ってみる
なかなかやりたいこと、熱意が向くものが見つからない。そんな時私はひたすらインプットすることに時間を割く。特に本を読む時間が増えていく。単純に本が面白いということもある、そして読んでいる中でこれやってみたい、であったり、新しい発見があったり、でわくわくの種が見つかる。
何も熱意がないと、読みたい本が見つからない。そんなときもある。そんな時におすすめなのが図書館に行ってみることだ。
夏の図書館は快適なワクワク探しの探索場
夏の図書館はいい。なにより涼しくて快適だ。外から切り離されてセミの声の届かない静かな空間で自分の興味に向き合う時間って贅沢だと思う。
熱意を向けるものを探す時も図書館はお勧めだ。なんとなくぶらぶらしてみる。気になるキーワードがある本があったら、タイトルに惹かれたら、表紙・裏表紙に惹かれたら、作者に惹かれたら。
理由はなんでもいい、手に取ってちょっとだけ読んでみる。そんななんとなくの出会いが自分の新たな扉を開くときもある。
そして結構おすすめなのが、返却された図書コーナー。(図書館によってはないかも?)に行ってみること。司書さんがまだ棚に戻せていない、返却されたてほやほやの本。誰かが興味をもって借りて帰ってきた本。そこに行ってみると案外新たな出会いがあるものだ。
エッセイや哲学書なんて興味がなくて、普通に棚に並んでいたら手には取らないけれど、返却コーナーに一冊だけあるとなんとなく気になってしまったり、返却コーナーに気になっていた本や作者がたまたま待っていたり、そんな偶然の出会いが私は好きだ。
そして偶然出会った本をその場で読んでみるのもいいし、無料だからこそ一回家に連れて帰ってじっくり向き合ってみるのもいい。
そして新たな旅を本の中ですることで、自分が次にしたい新たな旅の種を見つけて、”熱い自分”に手渡すことができると思う。
前だけを見なければいけないルールなんてない
前に向かって全力前進して、疲れた後って、一回休んでいいと思うのだ。前に進みすぎると疲れるし、次に走りたいときに走れなくなるから。そして休んでいるときに、ちょっと周りが見れればなおいいと思う。
燃え尽き症候群とするのか、準備期間とするのかは自分次第。でも燃え尽き症候群にならないために頑張って燃え続けていたら、自分の興味には気づけないかもしれない。
だからこそちょっとお疲れなときは少し立ち止まって、一歩引いて、自分の興味や内面をのぞいてみて、ワクワクの種を探してほしい。
自分の過去を見るのでもいいし、他に興味が湧くものがないかを見るのもいい。人と話すのも、本を読むのもいい。そうして自分の何かに触れるものが見つかったときに踏み出してみればいい。踏み出せないならその時は背中を押してくれるコーチに頼るのもいい。少なくとも私は踏み出したいと思うその時まで自分で自分を”探求”してみるのが大好きなのだ。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。一人だけでは継続ができない、継続のモチベーションが湧かない。頑張りたいのに踏み出せない。やめたい気持ちと続けたい気持ちに挟まれていて苦しい。
そんな人に一歩踏み出すきっかけとなるようなコーチングを提供したいと思っています。ご興味を抱いていただいた方はぜひお気軽にお声がけください。
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