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ワーママに必要な職場の理解を考えてみる

前回の続き。


長時間労働する側と、ワーママになったことで短時間労働になった側。
時に仕事の優先順位も違ってくる両者が、良い方向に相互作用するにはどうしたらいいか。

私の実感ベースだけれど、書いてみようと思う。

産前のイメージとは違っていた

産前。
ワーママが働くには職場の理解が必要だと、私は様々な記事で目にした。
そうだなぁ。必要だなぁ。ワーママになってみて実感する。
ただ、具体的な職場の理解とは何かが、私が当初思っていたものと違ったかもしれない。
ワーママになる前。
私は「勤務時間が短くなることを了承すること」だと思っていた。

その理解は表面的だったな、といま思う。

迎えた妊娠出産・職場復帰。
実際に勤務時間を短くしてみると、勤務時間だけが短くなってもどうしようもなかった。
業務内容も一緒に変わらなければ、ワーママは働けないのだ。
私が働くIT業界は多忙だ。それに係長。もし業務内容が全く一緒、手順も全く一緒だとすれば、予定の勤務時間が来ても当然仕事は終わらない。業務完了を自分だけで為そうとすれば、結果残業していつも通りの時間を迎える。
仮に残業は免除されたとする。それでは業務が終わらないのだから同僚が残りを片付けることになる。同僚に迷惑をかける自分がいてもいいのかと悩み、辞めざるをえないかもしれない。

だから私は短時間になった分、業務内容を変えていくことになった。
これが大変だった。

とあるワーママ、奮闘する

妊娠中。お腹がどんどん大きくなっていき、定時退勤して体を休めねばいけなくなっていた時のこと。

現場ではだいたい先人が作ったドキュメントが存在した。案件のノウハウが詰まった宝物。それは微に入り細に入り書き込まれ作り込まれていた。
私は時にそこにメスをいれた。
私が仕事で大事だと信じていることは残すが、そうでないものはばっさり切った。
一応私の権限が及ぶ範囲でのことなので大きな問題は起きない。しかしドキュメントを社内で審査されるときはそうはいかない。
審査する側は先人のドキュメントを知っていた。
私は伝えた。
前例とは違うかもしれないけれど、
これこれこういう理由で、
この案件ではこういうところがポイントになるから、このようにしたのだと。
真剣に説得した。
うーん、と、審査する側は考え込んだ。

私が切ったところは、あれば便利なところだった。
そういうドキュメントになっているにはそれなりに理由があるのだ。立派に見えるとか。説明が丁寧だとか。それは私にもよく分かった。
けれども、私が私の許されている時間で、他の色々な業務もみながら、大切なことは取りこぼさないようにするならば。
そこは必要ではない。
そう、私は判断したのだ。

その後、無事ドキュメントは承認された。

もし、あのとき承認が通らなかったとしたら。
もし、そういうことが積もり積もっていったとしたら。

私はいまごろ、会社にいられなかったかもしれない。
何をしても駄目なのだと絶望し、後ろ向きな仕事しかしなくなっていたかもしれない。
そうならなかった私は、きっと色んなことに恵まれていた。

職場の理解で大切なこと

いまの私が、ワーママが働くのに必要な職場の理解とは何かと問われたら、
「働き方の変化に合わせて業務内容を柔軟に変えられること」と答えると思う。

【係長たるものAという仕事をBという手順でやらねばならない。】
職場がそう固定して考えると、産前に業務にかかっていた時間をそのままワーママになってもひきずる。効率化で短縮できる時間はたかが知れているのだ。 

その職位は、本質なにをすべきなのか。
今までの役割分担から離れて、組織全体で生産性を考えたとき、誰が何をするのがいいのか。
その業務は、本質何を目的としてやっていることなのか。
手段が目的化していないか。

そうやって柔軟に変えられれば変えられるほど、ワーママはスキルを発揮する機会に恵まれていくのだ。

ただ簡単な話ではない。今までの慣習を疑い変えていくのは大きなエネルギーがいる。
政府は法律でマタハラを規制しはじめ、社会でも徐々に意識が高まりつつある。変わっていくことを後押しする流れは来ていると思う。
けれどどんなに理屈があったとしても、長時間労働、残業。通常業務で手一杯な余裕のない職場では、業務の問い直しをすることは負担でしかない。

ワーママの真の敵は、職場全体の過重労働なのかもしれない。
ワーママは、炭鉱のカナリアなのかもしれない。

次回予告 理解はワーママにも必要だった

ワーママになってみて、もうひとつ分かったことがある。

実は、もとの職場、職位に戻って勤務時間を減らすためには、職場側だけでなくワーママ側にも理解がいるのだということ。

長くなったのでこの話は次回へ続きます。