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和を今風に使うカギはシンプル化にある説

引き続き和を考えようプロジェクト(勝手にひとりプロジェクト)の話。

いったん頭の中にあるあれやこれやを引っ張り出すと決めたので、なにやらまとまりのない話が続くかもしれない。ごめんなすって。

さて。
私の普段の生活圏では、和ものってそんなに目にしない。
置こうとしてもあんまり馴染みがよくないと思う。

例えばこのお盆。

これは茶道の亡き師匠に頂いた大好きなお盆だけれど、これを今日の食卓に出そうとしてもできないと思う。
ほかの食器と方向性があんまりあわない。あわないからあんまり手が伸びない。

(でもあんがい上にのせるのが和食ならありか?…それはさておき)

ニトリ、IKEA、無印良品などなど。
一般でよくみる食器もインテリアも、「シンプル」なものが多い。
対してこのお盆はシンプルというより複雑な深みがある。
そこに方向性の違いがある。

今の時代はインテリアでも洋服でも食器でもコーディネートは、情報量を整理してごちゃつかず、すっきり見えるのがよしとされている風に思う。
だから複雑性のある和ものは浮いてしまう。

現代のシンプルと、和ものの複雑性。
私が思うに2つが違ってしまうは背景は住居のつくりかたにある。

和ものが発達した時代の建物は木と紙と土。職人が一つ一つ作っていた。そうやって作られた空間は複雑性を帯びる。

対して現代はコンクリートで、設計書に厳密に従っていて、大量生産で質を均一化するために工業化テンプレート化されている。
できあがりの空間は質的に均一性を帯びる。

複雑な空間にはより複雑なものが馴染む。シンプルな空間に複雑なものを持ってくると急すぎる。

だから現代の生活になじませるには和もののシンプル化がカギになる。

さすがだなと思ったのは無印良品。新商品で竹ものを出した。


この竹ざるは、うまく我が家の台所になじんでくれた。

どうしてか考えると、網目が複雑でないところがいいんじゃないかと思う。細い竹で編んであると、それはそれでキレイだけど複雑性を帯びる。あらい竹でやわらかく編んであるからシンプルになってる。

ただ、シンプルにするのはいいけれど、コンセプトのないシンプルさはただの抜け殻。
和ものとはなにか。コンセプト大事。定義ともいうかも。それをもうちょっと考えないといけないなぁ。
北欧インテリアが成功している背景には、北欧デザインの定義が分かりやすく(自然物のシンプルデザイン、青みをおびた色味)、ちゃんとらしさはありつついろんな人に再生産してもらいやすくなったのがあると思うから。


あ、シンプルにすると工業化できるのもいい。
私は、今の社会では平安時代と違って貴族文化ではなく大衆に受け入れられるほうが文化として残りやすい。今の大衆(わたしもね)に受け取れる価格にするためには大量生産し安価にするのがいいだろう。
たぶん、いま和ものがそれができていないのは、和ものを今作っているのは基本職人さんで、職人さんと工業化は相いれないというのもあるかもしれない。難しいところだけれど、文化を残さなければもとも子もない気がして、だから私は、和ものはもう少し一定のところまで工業化したほうがいいと思う。


さらに余談。

ここまで書いた後、お盆はこんな風に使えばモダン喫茶風で使えるなと発見です。