都水のノスタルジア_第10話 【問題点の解決策とは】
容輔は1つ後輩である大森由香里ちゃんと喫煙所から製図室に戻ってきた。
東研究室は今日の夕方に卒業設計のゼミがあったらしく、楓の姿も見えた。目があったが逸らされてしまった。由香里ちゃんも罰が悪そうにしていたが、楓は嫉妬するタイプではない。
第2回目のゼミでは、北里研究室の概ねの学生が卒業設計で取り組む【テーマ】を決めていた。多少の変更はあるものの、この【テーマ】に沿って卒業設計を進めるのだ。
【テーマ】が決まった後は、そこにある【問題点】を建築でどのように(How)【解決】するかという議題で話が進んでいた。
容輔は第2回のゼミでも特に進展はなく、北里教授にも「考え直して来て」と言われてしまった。設計課題では上手くいっているのに、【卒業設計】ともなると、こうも頭が硬くなってしまうのもかと思う。自分では出口があると思っているが、端から見たら出口のない迷路なのかもしれない。卒業設計について考え始めて3ヶ月経った今でもずっと喉に何かが引っかかっている。
-----------------
8月に入り、容輔は久しぶりに学校に向かっていた。
埋立地である豊洲の街はすべてがアスファルトだからとても暑い。朝の天気予報で35度と言っていたが、もっと暑いように感じる。ただ豊洲にはビル風と海があるから、きっと渋谷や新宿よりも涼しいと想像しては、まだ良いと自分を納得させようとした。
駅から校舎に歩くだけで吹き出る汗もダイエットのためだと喜んで受け入れたが、エアコンが効いた製図室に入ると「最高」と息をつくのは仕方がない。
夏休みに入り大学には人が少なかった。かく言う容輔もほとんど学校には来ていなかった。
夏休み中に学校に来ているのは、他大学の大学院を受験する学生に限られる。容輔はすでに豊洲工業大学の大学院、北里研究室への進学が決まっていた。運よく容輔よりも成績上位者は皆、就職やら他大学院への受験をすることになっていたから、容輔は推薦かつ授業料半額で北里研究室へ進学する権利を得たのである。大学院への推薦進学が決まってからは【卒業設計】の資料集めのために図書館に来る以外は特段用はなかった。
製図室に入り、自分の席に鞄を降ろす。
製図室は通路を挟んで右側に製図台が並べられた3年生の作業スペースがあり、左側は研究室ごとに分けられた4年生用のブースになっていた。研究室ごとに分けられてはいるが、仕切りがある訳ではないので特に3年生の時から変わった気はしない。
唯一変わったのは今年から製図室担当になった教務のおばさんがやたら綺麗付きで、厳しく片付けを言い渡されていた。そのため去年とはえらい違いで、3年生の作業スペースも綺麗に片付けられている。
今日大学に来た理由は、すでに就職が決まっていた施工研究室に所属している村田と北里研究室の川木と九州旅行に行く計画を立てることになっていたからだ。
他大学院への受験者は8月末に試験があるから、旅行には誘えない。
九州旅行では、まず長崎へ行き、そして福岡で2日観光した後、最終日は熊本に行き、阿蘇熊本空港から羽田に戻ってくる計画とした。
8月16日
容輔と村田、川木は長崎空港に降り立っていた。初めての九州だった。
まず、空港内にあるレンタカーでマツダのデミオを借りて、グラバー園へと向かった。その道中で眼鏡橋により、グラバー園と程近い大浦天守閣に行った。
その後、国立長崎原爆死没者追悼記念館に行ってから、その日の夜に福岡県博多にあるホテルへと向かった。
この旅行は建築見学を主体としている。容輔だけでなく川木も【卒業設計】の参考になるものはないかと考えていた。グラバー邸や大浦天守閣も歴史的な建造物としては素晴らしいのだが、【卒業設計】の参考という目で見ると今必要な知識には繋がらなかった。
8月17日
福岡県博多市のホテルから朝イチで出発すると、福岡銀行本店やアクロス福岡、伊東豊雄氏のぐりんぐりんとその脇にある大西麻貴の地層のフォリーを見学をした。だがどの建築もピンとは来なかった。
夜には、明太子専門店で九州のご当地料理を満喫した。
8月18日は、土砂降りの雨の中、朝からは太宰府天満宮まで向かった。
学業の神様に、容輔はまたしても「卒業設計が上手く行きますように」とお願いしたが、今回もおみくじは【凶】だった。おみくじを完全に信じているわけではないが、さすがに2度連続「凶」を引くと怖くなった。容輔は学業祈願のネックレスを買うことにした。
修学旅行で買う木刀くらい意味のない行為だったが、運頼みに頼りたくなるほど容輔は焦っていたのだ。太宰府天満宮の見学の後、容輔たちは磯崎新の太宰府博物館を見学した後、隈研吾氏設計のスタバでお茶をした。
その後、博多市内に戻り、アクロス福岡の集合住宅に行った。海外の巨匠たちが作った集合住宅軍に胸が高鳴った。雨脚は増す一方だった。
博多市のホテルに戻る最中、海沿いの工業地帯に目がいった。黒い海に浮かぶイルミネーションがとても綺麗だ。
容輔はハッとした。
別に今ある一般的な用途で【卒業設計】を行う必要はないのではないか。工業地帯のような建築群を人に寄り添って建築することができれば、それは面白いのでないか。ジャストアイデアではあったが、「俺ならできる」そう感じた。
8月19日、九州旅行最終日は熊本に行く予定だった。だが昨日からの大雨の影響は高速道路全線通行止めにまでなっていた。普通であれば2時間弱で行ける道中も、博多〜阿蘇熊本空港までは5時間以上かかる予想になっていた。
阿蘇山への観光を諦め、直接空港へと向かった。熊本はほとんど観光できなかったが、容輔にとってこの九州旅行は少しだけプラス材料が見つかる旅となった。
-----------------------
9月10日
13時になり、卒業設計ゼミの3回目が始まろうとしていた。1回目のゼミと同様に名前の順からスタートする予定だ。
第1回目のゼミでは【興味】と【テーマ】を中心とした議題だったのに対して、第二回目は【テーマ】の決定、そして今回の第3回目は、【問題点】と建築でどのように(How)【解決】するかがゼミの趣旨となっていた。
可能であれば【敷地】まで話してみてということだったが、今の現状を見ると敷地の大枠が決まるかどうかの人が何人かいる程度だった。唯一決まりそうなのは、櫻井灯<第3位>くらいだろうか。
容輔を含む数名は未だ【テーマ】すら確定していない。
今泉や上森は【テーマ】は確定していると言って良い。だが、【問題点】はまだしも【解決策】の設定の仕方については、「まだまだ詰めが甘い」と北里教授から言われていた。
卒業設計における【問題点】とそれを建築で行う【解決策】について、容輔は他人の発表中もずっと考えていた。
「社会にある問題点を見つけて、それを建築や空間で解決すること」については理解しているが、それは今この段階で考えるべきことなのだろうかと容輔は考えていた。【解決策】が面白ければ面白いほど、卒業設計は良いものだと思う。だからこそ【解決策】そのものが卒業設計では最重要課題であるとまで感じていた。
先のプレゼン者の話はほとんど耳に入って来ずに、気づいたら容輔の発表の番になっていた。思うところはあったが取り敢えず、旅行から帰って来て考えてきたことを容輔は包み隠さず発表することにした。
「まず前回宿題になっていた【テーマ】ですが、「建築と呼ばれない建築の建築化」を考えています。私は設計課題Ⅴの授業で調整池という土木構造物を住民が集う憩いの場、公共的な建築として提案しました。その考えはブレずに行きたいと思っています。そして、「都内の水辺」という【興味】から考え、・・・建築と呼ばれない水力発電所を公共的な建築への昇華させたいと考えています」
「なるほど。今までで一番まともな意見だね。【テーマ】性は伝わりました。それでは、その【テーマ】には、どのような【問題点】がありましたか」
「はい。先ほど述べた水力発電所のような建築のシステムや構造は市民にはわかりません。それを開示することで、人にとって意味のある建築にできるのではないかと考えます」
「開示されていないことが、なんで問題なの?」
「・・・・・・、すみません。まだそこまでの考えに至っていません」
「本当にそうなの?」
「考えてはいるんですが思いつかなかったんです」と容輔は答えた。
「思いつかない原因がわかりますか?」
「・・・・・・わかりません」
北里教授は「ふぅ」と小さなため息をつくと続けた。
サポートによって頂いたものは書籍購入等、より良い記事を継続して書くために利用します。よろしくお願いします。