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一級建築士【計画】_日本建築史01【仏教伝来と古事記の対立〜法隆寺】

皆さん。こんばんは。

Kaede Architect'sのなかむラテです。

前回に引き続き今回も、一級建築士試験【計画】や大学のカリキュラムでも必須の『日本建築史』について、雑学を交えることで知識の定着を少しでも助けるコラムを書いていこうと思います。

『日本建築史』の分野は、勉強する時間があまりない(点数配分が少なく省かれがち)ので、このnoteを読んで、勉強時間が短縮できれば嬉しいです。

▼前回コラムはこちら

日本建築史と『仏教伝来』

『日本建築史』で学習する社寺建築は、538年の『仏教伝来』からスタートします。

仏教が伝来する前の日本の宗教というか信仰対象は、地域によって様々でした。

「神は自然に宿る」と考えられ、村の中心にある木を神様としたり、村の後ろにある山や村の近くにある湖などを神様として崇めていたのです。

こういった土着的な神は、数多くの種類あったとされていますが、その村にとって言えば、絶対的な神様で、村の秩序を保つために必要なものだったのです。

この土着的な神様は、村単位の小さなグループを収めるためには有効だったのですが、その規模が大きくなるにつれて難しくなってきます。

別にそこまで信仰していない神様は、信じる必要がないからです。

そんな中、飛鳥時代に入ると、インドで生まれ中国を経て伝わって来た『仏教』を「日本」という国をまとめ、治めるために使えるのではないか、という動きが起きます。

仏教とは、インドの釈迦(しゃか)ガウタマ・シッダールタを開祖とする宗教で、苦しみの輪廻から救われることを目的とされています。

生前に良い行いをすれば、良い転生先へ輪廻できるといったうような、悪行を積まないような教えでもあります。

聖徳太子が「一七条の憲法」に『篤く三法を敬え』と言ったように、仏教には三法(三宝)があり、それは仏・法・僧の3つの宝があります。

これが3つがあることが仏教の大きな特徴で、『仏』は信仰対象を指します。そして『法』は思想体系や哲学を指し、世界観を表現しています。例えば「死んだらどうなる?」、「輪廻転生するよ」といったことです。最後に『僧』とは僧侶を指し、救われるためにはどんな行いをしたら良いかを記しています。言わば運営の仕方です。

この3つが一つの宗教で揃っていることが、仏教が凄い理由なんです。

そしてもちろん土着的な神様にはないものだったのです。

このように『仏教』事態には、国を治めるためのポテンシャルがあると考えられたのです。

蘇我氏VS物部氏

しかし、日本を治めるために『仏教』を使う派と異国の宗教を使うべきではない派の対立が日本国内で生じます。

中学校でも学習する「蘇我氏と物部氏の対立」というのが、「仏教を日本を治めるために必要かどうか」ということです。

結果的には蘇我氏が勝ち、仏教は日本に伝来することになります。

更に聖徳太子が『篤く三法を敬え』と提唱したことによって、日本国内では爆発的に仏教が普及することとなりました。

大化改新

推古天皇、聖徳太子と蘇我馬子で『仏教』政治を進めていました。

しかし、推古天皇と聖徳太子がいなくなってからは、蘇我氏が実権を握るようになります。

そんな体制を見兼ねた中大兄皇子(後の天智天皇)が蘇我氏を打ちます。これが大化改新です。

その時に天智天皇が考えたのは、「天皇と豪族の力関係が拮抗している状況を打破し、天皇をトップにした国造りをしたい」というものでした。

そうしないと中国という大国に勝てないと考えていたからです。

『日本』という国のアイデンティティである神々のストーリーをまとめ、諸外国にアピールしたいという考えがあったのです。

『古事記』の執筆

「仏教ってそもそも外国から輸入したもので、日本古来のものではない。日本ってどんな国かを伝えるために、日本独自のストーリーが欲しい」

こういった考えが引き継がれ、

天武天皇の命によって、日本の古来の神(今までは土着的で地域によって様々だったもの)の物語を1つのストーリーにまとめたのです。

そうして完成された物語が『古事記』です。

まず『古事記』がどんな話か簡単に書くと、

①神が国を創り、
②国を治めていき、
③神が人に変わり、
④神の子孫が天皇になった。

作り話なわけですが、とても面白いので興味がある人は読んでみるとよいと思います。

こうして日本には、国を治めるために『仏教』が伝来し、そしてそれに対立する形で今までにあった神のストーリーをまとめた『神道』という2つの宗教が生まれたのです。

【法隆寺】-聖徳太子が創建した最古の木造建築物

その一つの宗教である『仏教』に習い聖徳太子によって、「法隆寺」は創建されました。『飛鳥時代』に当たります。

「法隆寺」で御朱印をもらうと『以和為貴』と書いてもらえます。これは「和を以って貴しと為す」という意味で、聖徳太子が作成した十七条の憲法にも書かれています。

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法隆寺は、仏教伝来直後の建築物(初期仏教)としてとても貴重です。創建後すぐに焼失し、7世紀に再建されたと言われていますが、「詳細な年代はわからない」そうです。

本格的な伽藍(がらん)のある日本最初の仏教寺院は、蘇我氏により6世紀末から7世紀初頭にかけて造営された飛鳥寺(法興寺)であると言われていますが、一級建築士の試験には「法隆寺」が過去に出題されたことがあるので、詳しく書いて行きます。

伽藍配置をまず覚えよう

伽藍というのは、僧侶が共同で生活しながら修行をする場所建築群のことです。『法隆寺』の特徴は、その伽藍の配置計画にあります。

飛鳥時代の伽藍配置は基本的に、「七堂伽藍」と言われ、「塔」、「金堂」、「講堂」、「回廊」、「中門」、「南大門」、「食堂」の7つで構成されています。

『法隆寺』には、まず東西2つの伽藍配置があるということを理解しましょう。

西伽藍配置は、「南大門」の正面直線上に「中門」あり、それをくぐった後に仏様を安置する「金堂」と仏舎利、死者の供養のしるしである、つまりはお墓である「五重塔」の2つが平行に並んでいます。そしてその奥に「講堂」があり、「回廊」で囲まれています。

東伽藍配置は、正8角形の「夢殿(ゆめどの)」を中心に「回廊」が周り北側に講堂に当たる「伝法堂」が置かれています。

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建築の特徴

一級建築士を受験される方のために、少し細かい建築的な特徴についてを書きます。

『金堂』:最古の木造建築
重層入母屋造で本瓦葺です。「重層」とあるように、一番下の層には「裳階(もこし)」と呼ばれる庇がついています。見た目では2階建てのようですが、一層の建築物です。(これは試験に出ます)

『五重塔』:最古の木造の塔
上に行くに従って細くなっています。「金堂」よりは少し後に作られたと言われています。

『夢殿』
聖徳太子の追慕のために作られた正8角形の仏堂です。

『回廊』
回廊には「連子窓」と言われる細い木を並べた(ルーバーみたいな)窓がついています。

法隆寺には最古の「雲形の組物」がある

組物というのは、軒を支える構造部材です。

「法隆寺」の組物では、梁を支えている雲形の組物を「雲斗」、尾垂木を支える雲形の組物を「雲肘木」と呼ばれています。

法隆寺ではまずこれを覚えておくと良いのかと思います。後は詳しく勉強するなり、問題集を解くなりしてもらえれば良いのではないでしょうか。

次回

やっと前談が書き終わりました。笑

次回からは、『古事記』の物語を絡めて、『日本建築史』で必修となる建築について書いていこうと思います。

まずは、【太陽神アマテラスと伊勢神宮】についてです。

是非お読み下さい!

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