とりあえず映えとけ。アニメとコラボしとけ。中国の富裕層に媚びとけ。

在宅ワークなので、夕方ぼーっとテレビを眺めていた。過疎化の進んだ地方で、採算の取れない鉄道会社が増えているらしい。そりゃあ大変だぞ、ということで、各鉄道会社は様々な生き残り策を仕掛ける。

国鉄時代の車体を引っ張り出してきて鉄道オタクやレトロブームに乗っかるインスタ女子に媚びたり、アニメとコラボして聖地巡礼需要を喚起したり。

続くニュースは、果物の農家が儲からなくなったから、海外の富裕層向けの高級フルーツを作って輸出してるという話だった。空輸を証明するラベルなんかも作られて、それが新鮮さや高級さの証であるとされているらしい。

ふむふむ、結局のところ地産地消では採算がとれなくなるから、観光客に消費させるしかないわけだ。

日常利用の品は、規模の経済が働かなければ採算がとれなくなっていく傾向にある。町工場は買い叩かれ、買い上げた先の大手メーカーは規模の経済を働かせて儲ける。あるいは第三世界の奴隷たちとの価格競争に晒される。

零細個人事業主が生き残るためには、ブランド価値を高めて富裕層を中心とした観光客からぼったくる以外に選択肢はない。

「これが、日本の伝統であり、名産品なんですよ!」と鼻息荒くセルフオリエンタリズムに身を纏う観光地の数々に、観光客は殺到する以外の選択肢を持たない。

僕たちは幼少期から観光地を消費することをトレーニングされてきたからだ。それ以外に、有意義な休暇の過ごし方などというものは存在しない。

別のテレビ番組では、沖縄にロケに行った人がブルーシールの店員に向かって「沖縄といえば…という味はありますか?」と質問していた。その土地ならではの物を消費することに、僕たちは執拗なまでにこだわる(おかげ横丁の赤福本店には行列ができるが、近鉄難波駅の売店で赤福を買う人はいない)。

実際、それが「沖縄といえば…」なのかと言えば、多分そうではない。きっとインドネシアかそこらでとれたパーム油と、ブラジルかそこらでとれた砂糖でできているのだろう。しかし、人工的にブランディングされていれば「これが沖縄の名産だ!」と僕たちは信じ込む。そうやってトレーニングされてきたのだから。

冷静になって考えれば、まっこと馬鹿げている。

なぜ、普通に果物を作っている人が食いっぱぐれなきゃならないのだろうか。観光客に媚びる人が多少いてもいいだろうが、全員がそうしなきゃ生きていけない社会は、何かが狂っているとしか思えない。

「アニメ! 映え! 中国人の富裕層!」と無我夢中でブランディングを施す人々を見ていると、この世界がディストピアであることを改めて実感し、恐怖すら覚える。

コメンテーターたちは「新しい消費の形ですねぇ」とニタニタ笑いを浮かべて頷く。不気味だ。

僕だってたまには観光する。おかげ横丁の赤福本店の行列に並びながら、「本店は職人の手作り…だが難波の売店に置かれているのは中国の工場で大量生産されているはずだ…」「やはりこの伊勢志摩の温度、湿度、常在する微生物があってこその赤福…つまり本店での購入こそが至高…」と半分茶化しながら、半分本気で消費する。

こじつけの「ならでは」を探すミニゲームだ。それはそれで楽しい。

そういう楽しみがあってもいいけど、それが強制されるのはやっぱり気持ち悪い。

なんだかなぁ。

この記事が参加している募集

夏の思い出

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!