ハーバード式 世界のエリートが実践する教養としての10の習慣

やたらとハーバードを崇拝し、教養を身につけたがり、世界のエリートという謎の人物を真似ようとし、個数を数え、習慣として実践する。ビジネス書のタイトルは下品だ。ハーバード出しとけば良いんだろ感や、教養と言っておけばいいんだろ感が溢れている。

これを入れとけば流行る、という単語を入れたくなる気持ちはわかる。セオリーに反するギャンブルに出たとき、もし売れなかったら編集者の責任になる一方で、セオリー通りにやって失敗した場合「まぁ、仕方ないよね」となりやすい。つまり責任逃れがしやすいというわけだ。また、セオリーは、他の人を説得しやすいという点も見逃せない。「教養〜というタイトルの本は平均●万部売れています」と言われれば、偉い人は頷く。

僕も同じだ。求人広告のライティングというのは、企画を通しつつ、結果にコミットすることが求められる物書きだ。練りに練った一点もののコピーよりも、「未経験歓迎!働きやすい環境!」と書いた方が企画が通りやすいし、失敗したときの責任を「売り手市場」になすりつけやすくなる。セオリーに逃げたくなるのは、仕方がない。

こういう前例主義をメタ的に感じ取っている僕は、このnoteのタイトルのような本を見かけると読む気が失せる。もしかしたら素晴らしい内容かもしれないのに。人は見た目が9割というけれど、本はタイトルが9割なのだろう。本来、中身で判断すべきだとは思うが、そこまでする義理もない。

結局、ベストセラーになるのは、セオリーを無視したタイトルの本だったりする。読者は同じようなタイトルに飽き飽きしている。本当に求められているのは唯一無二なのだ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!