30歳。人生について考える。

資本主義社会のこと。ウクライナのこと。工場畜産のこと。持続可能な農業のこと。仏教のこと。資源の再利用のこと。ポストモダニズムのこと。

小難しいことをあれこれ考えてきた僕が、唯一考えていなかったことがある。それは自分の人生のことだ。

他人の人生にあれこれアドバイスするのは簡単だ。「転職すればいいやん?」「離婚すればいいやん?」「そのノウハウYouTubeで配信すればいいやん?」みたいな無責任なアドバイスは、実行されないことは明らかなわけだが、ついつい口に出してしまう。

他人の人生は単純化されがちだ。自分の提案によって複雑な人生のスパゲッティが魔法のように解きほぐされ、全てがうまくいく…そんなユートピア主義的な発想を、僕も他人に簡単に押し付ける。

ところが自分の問題となれば、話は異なってくる。親、妻、子、同僚、上司、友達、懐事情、住まい、通勤のこと、趣味のこと、やりたいこと…あれこれのアクターを考慮に入れていれば、どの解決策にも弱点があるように見えて、たいてい現状維持してしまう。

キルケゴールが言うように、決断とは1つの狂気であって、それは何かを盲信していなければ成し遂げることはできないわけだ。

…と、こんなふうに、油断すればついつい一般論を語ってしまう。自分の人生の話だ。

僕は子どもがいる。ローンを組んで家を買った。つまり金を稼いだ方がいいということになっている。サラリーマンだけど、あんまり好きじゃない仕事をしている。正直、辞めたい。家業を継いで欲しいと言う話もされている。家業のことも、全然好きじゃない。

困った困った。どの道も魅力がない。

僕が嫌なことはいくつかある。

1つは他人にするべきことを指図されることだ。お願いされるのは好きだけど、指図されるのは嫌いだ。なので、指図されない人生を生きたい。

2つ目は、金のことを考えることだ。そのため、何らかの方法で不労所得を得たい。

サラリーマンとは不労所得生活者のことを意味するので、「指図されないサラリーマン」が僕にとっての理想の暮らし方なのかもしれない。

今の僕はサラリーマンなので、実質的に不労所得を得ているわけだが、仕事ではちょくちょく指図されて不愉快な思いをしている。

家業を継いでもきっと親からあれこれ指図されそうだ。だが、指図を無視してのらりくらりやって、給料だけいただくということはできないものだろうか。

日本にはこれだけブルシットジョブ があるのだ。ブルシットジョブ を行うくらいなら、正々堂々とサボる方がまだいいに決まっている。

それでも大抵の会社はなんとかなるはずだ。企業が5年後に生き残る可能性は数%みたいな、ソース不明の胡散臭い俗説は、たぶん嘘だ。企業の倒産件数と日本の企業数を調べればなんとなくわかる。

堂々とサボって、家でDIYとかしていたい。ベランダをサンルームにしたと思っているところなのだよ。あと、畑仕事ももう少し丁寧にやりたい。田んぼも余ってることだしね。

家業を継いでサボる。そして不労所得。そうしよう。お小遣いをもらうような気持ちで。

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