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レアメタル採掘場の労働者を鞭打つように、子どもの歯を磨く

僕は、2歳になる息子の歯を磨きたい。一方で、息子は磨かれたくない。自分で磨くのも嫌らしい。

息子は、夕食後にアイスクリームをたっぷり食べた。炭水化物もたくさん摂取した。虫歯菌たちにとっては酒池肉林のユートピアだ。虫歯の脅威を知る僕は、その脅威から息子を守りたいという義務感を持っている。

しかし、そのことをどれだけ懇切丁寧に説明しようが、息子は聞く耳を持たない。理解できないのか、理解しても尚、歯を磨きたくないのか、それはわからないが、ともかく歯を磨かせてくれない。

では、どうするべきか?

エレンのお父さんもこんな気持ちだったのだろうか。
こうして僕は力ずくを選択する。

一定期間、説得を試みたのち、僕は強制的に歯を磨くことにする。全身を押さえつけ、泣き喚く息子の歯を磨く。

「ごめんよ、こうするしかなかったのさ…」

しばらく泣きじゃくる息子を見て、すぐに僕は後悔の念に苛まれる。

自分の目的のために、相手のニーズを聞き入れず、強制的な手段を用いること。これは僕が毛嫌いする資本主義的な暴力行為だ。

レアメタル採掘場で労働者を鞭打つ現場監督は、資本に突き動かされている一方で、僕は虫歯菌の予防したいという都合に突き動かされている。

果たして、これは僕にとって理想的なやり方だろうか? 息子がなぜ歯磨きを拒否するのか、彼のニーズはなんなのかを知るために、エンパシーを働かせて、対話をしたり、何らかの妥協案を導き出したりするべきではないのか?

僕はこれまでNVCというコミュニケーションスタイルを学んだ。アドラー心理学的な発想や、ティール組織のことも学んだ。せっせとコミュニケーションに関する本で本棚を埋めてきたけれど、実践されなければ何の役に立つというのか。

暴力は愚者のツール。急がば、賢くなろう。

大切なのは、息子のニーズを理解することだ。彼は、今この瞬間にトミカで遊びたいし、別に夜8時までに眠る準備を整えるべき理由はない。

「自分は、歯磨きができるようになった!」という満足感で彼が満ち足りていた時代は今は昔。すでにその感動も薄らいでいる。故に、今この瞬間に歯を磨くことに対して明確なインセンティブがないのだ。

そもそも歯を磨かねばならないというのも、一種の神話なのかもしれない。そういえば、僕は小学校を卒業するまで歯を磨くことがほとんどなかったが、それで別に支障はなかった(たぶん)。もしかしたら僕の母親は、歯磨き習慣を身につけさせようと試行錯誤した末に、説得を諦めたのだろうか。

ならば、「歯を磨かない」というライフスタイルを一度試してみる権利が、息子にはあるのかもしれない。

絶対に磨かせる。その前提を疑ってかかってみるのもいい。

…まぁ、とはいえやっぱり磨いてほしい。となれば、磨く気になるまで根気強く待つしかないのだろうか。わからないけれど、まずは相手のニーズに耳を傾けることだ。そして、こちらの都合や計画を強制的に押し付けるのをやめにしようか。

父親として、というよりは、人間としてね。

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