【求められる自分と、ありたい自分のちょうどいい真ん中をゆく】
私は緑と青が豊かな町で、公務員の父と、パート勤務の母との間に長女として生まれました。常に好奇心旺盛で、時には、保育所を脱走してしまう天然じゃじゃ馬娘でした。1学年1クラスが平均10人という小学校には、地域単位での運動会や文化祭、四季に応じた農業学習もあり、教育環境に恵まれていました。
思春期を迎えると、その環境を閉塞的に感じるようになります。憧れの先生から平和学習を受けた日、教師という夢は方向転換、国際関係機関で働くことを目標にしました。
また、この頃から祖母について習い始めた短歌や、詩、短い小説を書くときには「香月にいな(かづきにいな)」の名を使うようになっていました。
高校生の時…(中略;講演会等ではお話ししています)
両親の希望だった国立大、かつ、自分の進路の関連分野がある夜間主に合格した私は、県外で1度目の大学生活を送りました。
短期語学留学で渡米した日は、私の誕生日。日付変更線を跨いで、2度の誕生日を迎えることに喜んでいたのも束の間、翌日は、まさかの、9.11同時多発テロ事件がありました。その時のことを、今でもよく覚えています。大学の通常授業に戻ってからも、どこか心に引っ掛かり、飲み会で揶揄う先輩の言葉に過剰に反応し、傷ついたりしていました。
その後、ITバブル期、就職氷河期を迎える頃、遂には八方塞がりになり、引きこもり、最も帰りたくなかった故郷に戻り、退学を決めました。
通院も服薬もせず、農業や家事を手伝いながら2年を経て、徐々に社会に適応していった私は、通信制大学に編入。様々なアルバイトを経て、卒業後、建設関係の会社に就職し、会社のご縁で結婚しました。
総務採用でしたが、部署移動で設計担当に。当時は、産休代理業務も多く、自身は子どもを持つことは諦め、それでもしがみついて専門職の人と対等になりたくて働き続けましたが、次第にバランスが取れなくなって退職しました。
これを期に、仕事の傍ら継続していた創作活動に専念。地元のご縁で恋愛小説を連載することになり、現在は3年目を迎えています。
また、引きこもり経験者として話すことも多くなり、今では、講師としても呼んでいただけ、アドバイスできるようになりました。
今春、祖父が他界し、介護の傍ら農業を営んでいた父の背中やそれを支える母の姿を見て、もうこの先10年、20年後のことを考えなければならないタイミングに来ていると感じています。兄弟で話し合い、それぞれの得意分野を活かしたチームワークを形成し、豊かな自然が残る故郷に貢献できることを目指したいと考えています。
2021年7月4日
某通信制大学 ナラティブ課題より 一部改稿
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
あいとかんしゃをこめて
香月にいな
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