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サンドイッチ紳士〜阿佐ヶ谷の庄ちゃん〜


【阿佐ヶ谷の庄ちゃん】

 阿佐ヶ谷の庄ちゃんに会いたくなる朝がある。
 美味しい珈琲でカフェ・オ・レを淹れた時などは特に、あのサンドイッチが恋しくなるのだ。庄ちゃんが作るサンドは、今まで食べたサンドイッチの中で、ダントツに美味しいサンドイッチだ。

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 東京滞在に阿佐ヶ谷のビジネスホテルを選んだ、2021年春、私は初めて阿佐ヶ谷という街に足を踏み入れた。次の朝、散歩をしていて偶然見つけたのが、庄ちゃん(庄司さん)のサンドイッチのお店「サンドーレ」だった。線路沿いから一本入った住宅街の小さなお店。そこにはたくさんの常連さんが通っている。


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 手書きの商品プレートにズラリと並ぶサンドイッチは、定番のたまごから野菜、ハム、ミックス、各種カツにコロッケ、そして、デザート系のフルーツサンド。季節折々に加えているのだろう、2回目に訪ねた時には、なすのサンドもあった。


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【サンドイッチにうつるもの】


  美味しい食べ物には「氣」がこもっていると聞いたことがある。それは「心をこめたもの」というイメージに近いのかもしれないが、つくる人そのものがうつる、つまり、人そのものが投影されるという。庄ちゃんのサンドイッチは、特にその「氣」を感じた。田舎育ちの私は、素材への絶対舌感(あるいは絶対腹感)のようなものに自信があって、東京に行くと「やっぱり、地元(和歌山)の豊かな環境の中で食べるご飯が一番」と確かめてしまうものだと思っていた。それが、このサンドイッチで見事に覆ってしまった。


 サンドイッチの素材は、いたってシンプル。パン生地は柔らかめ。再現したくて、自分でもたまごサンドくらいならできるかもしれないと、自宅に戻ってから市販のもので作ってみたのだが、やはり、庄ちゃんの味には近づけなかった。庄ちゃんが具材の仕入先として選んでいる店は、規模は小さいけれど、品は確かなのだと言う。庄ちゃんが素材を見る時のその目は、キラキラ輝いていて、とても美しかった。


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 庄ちゃんは、一枚のまな板の上で、1種類のサンドイッチを2個、同時に完成させる。正確に言えば、正方形のヘタなしパンを2枚、横に並べ、それぞれに同じ具材を乗せていき、一番上にパンをふわりと乗せ、最後に対角線に包丁を入れる。そうして、瞬く間に1種類のサンドイッチが4片出来上がるのだ。それは最後まで柔らかさを保ち、三角パックのナイロンに包まれ、具材の断面は美しく正面を向き、2個が同時に、ショウケースに並べられる。


【できる、できない、一本道】

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「なんでもできるよ」


 そう言っていた庄ちゃんは、背を丸め、首をかくんと曲げながら作業していた。ずっと同じ姿勢で、朝から夕方まで、ラジオを流し、サンドイッチを販売しながら、作り続けている。流しと作業台、そしてレジを行き来する時に、時々聞こえてくる庄ちゃんの下駄の音も、とても心地いい。


「俺さ、不器用だからこれしか出来ないの」


 江戸っ子イントネーションで、そうして、ぽつぽつと話してくれる庄ちゃんは、関西人の私にとっては、正しく憧れの紳士。サンドイッチの組み合わせなら「なんでもできる」と言いながら、「不器用だからこれ(サンドイッチを作ること)しかできない」とも言う。その言葉の中には、食に携わるひたむきな姿勢と客商売の謙虚さ、何十年と営業してきた庄ちゃんのプライドも窺える。


【次に、降りる時は】


 私は2度目の訪問にして、庄ちゃんと呼んでしまう親しみやすさと、その庄ちゃんが作る、毎食食べても飽きない豊富なバリエーションのサンドイッチに惚れてしまった。
「次は、会えるか分かんないよ?」なんて、別れ際にはちょっと寂しい冗談も飛ばされた。

 庄ちゃん、次は、庄ちゃんのサンドを食べるために、阿佐ヶ谷で降りるから。 

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あいとかんしゃをこめて
2021年9月21日 
香月にいな




【オマケ】

 庄ちゃんは、阿佐ヶ谷の街の、阿佐ヶ谷にで暮らす人の魅力もご存知だった。庄ちゃんに聞いて行ってみた馬橋神社はとても清々しい場所で、「ちょっと遠いよ?」とおっしゃっていたけれど、田舎育ちには徒歩圏内でした。

 ありがとうございます。

 昔からある場所って、落ち着きますよね。

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