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人に期待をしなくなった頃から人が好きだと思えるようになった
先日、海外留学から数年ぶりに帰国した方と、久々の再会をした。
留学先での話が、それはそれは興味深く、改めて世の中の状況がもう少し落ち着いたら、海外へショートトリップしたい思いが再熱した。
その中で、特に興味深かった話が、インド人のマインドについての話だった。彼女は、留学先の大学院でインドの宗教、カルチャーについて研究し、論文にまとめたのだそうだ。
興味深かった内容というのは、
「あなたはなぜそんなに、人に対して”ありがとう”ばかり言うのか?」
と、クラスメイトのインドの方に質問され、答えを出すのに数日を要した、と言う話。
さらにそのインド人の方は、こう話を続けたそうだ。
インドでは、生きている以上は、他人に迷惑をかけてしまうのは、当たり前、仕方ないことだと思っている。
だから、相手に迷惑をかけてしまっても「すまない」とは思わないし、
逆にかけられたとしても当然だと思い受け入れている。
だからあなたが度々わたしや、みんなに「ありがとう」ばかり言うことを、不思議に思う。
へぇ〜
その話に引き込まれた。
日本では、「他人に迷惑をかけてはいけないよ。」という考えを幼少期から
叩き込まれて育ってきた方が多いのではないかと思う。
だから、仮に迷惑をかけた相手が、温かく受け入れてくれたり、冷静に対処してくれたら、「ありがとう」と、その好意に対する感謝を伝える。
また時には恐縮し、ありがとうではなく「すみません」と返すことだってある。
だけどインドの人にとっては、その発想がないため、「すみません」も「ありがとう」もないのだと言う。
へぇ〜
こうして書いていて、改めて面白いなぁ、と思う。
わたし自身はと言えば、「ありがとう」をとても大切にして、日々暮らしている。相手に、なるべく沢山の「ありがとう」を伝えたいし、「ありがとう」を受け取ると、嬉しいし安心する。
さらに考えてみたら。
かつてのように相手に期待をしなくなったからこそ、自分の中での「ありがとう」の価値が、より高まった気もしている。
どういうことかと言うと。
以前のわたしは、相手に対する期待が、めちゃくちゃ高かった(まぁ、若くて、青かったんです笑)。
だから。
待ち合わせをすっぽかされたり、大幅に遅れて来た相手に対して、ひどく落ち込んだり。
自分が幹事として開催する飲み会やイベントに直前キャンセルをされると腹が立ったり。
ある時は、一緒に旅する相手から当日キャンセルの連絡を受け、ショックを抱えつつ、急遽の一人旅になったこともあった。
相手も自分と同じように、一緒に共有する時間、体験を楽しみにしてくれているはずだ。
そういう前提で、相手と向き合っていた。
無意識に、相手に盛大に期待をしていたのだ。
だから、そうならなかった現実に対して、怒りを覚えたり、悲しくなったり、無性に落ち込んだ。
時には、勝手に、裏切られたような気持ちにもなっていたし、何よりそんな自分に、ほとほと疲れてしまった。
そして、ある頃から、相手に期待をするのをやめた。
それは、冷めたとか、諦めたのではなくて。
相手にも事情があるのだ、と思うことにした。
自分との約束以上に優先度の高い、のっぴきならない事態が起きたから、そちらを優先することにしたのだろう。
どうしても、気分が乗らなくて、行きたくなくなちゃったのかな。
そういうことだってあるさ。
色々あって当然だ。
人間だもの(ね!みつをさん)
そう思うようになってから、期待していない分、相手の行動・好意が、よりありがたく感じられるようになった。
心にも余裕が生まれるし、不毛なストレスから解放された。
そして、何より「人」のことが、より好きになった。
だけど…
インドの人は、そもそもの期待もへったくれもないんだろうな。
相手が約束を守ろうが、破ろうが、ただ受け止める。
「すまない」も、「ありがとう」もない。
では、そんなインドの人々が、それでも「ありがとう」を伝えたくなる時は、一体どんな時なのだろう?
相手に好意を抱く時や、受け止める際の感覚はどんなものなのだろう??
……う〜ん、、深いぜ。
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