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片づけは恋愛に似ている

片づけをしていて、涙が出た。
こんな体験は、生まれて初めてのことだった。

先日、あるきっかけで取り組むことになった、こんまり流片づけのコンサルテーションを受けたことについてのnoteを書いた。

その中でも触れた通り。
この片づけの本質は、部屋そのものが整うのと同時に、自分の内側がドンドン整っていくところにあるのだと思った。


今日は、引き続き、片づけを通して見えたことについて書いてみます。

そうだ。片づけは、恋愛に似ている…

片づけには、実はステップがある(そうです)。
最初は、「衣類」の片づけからスタートする。

夏服、冬服、帽子やストール、靴…
とにかく、全ての「身に纏うもの」を、まずは一箇所に集める。
こんもりと築かれた山の中から、1枚、1枚を取り出し、手にしながら、
“今の” 自分が、ときめくか? という感覚を大切にしながら、
残すもの、感謝をしてサヨナラをするもの、と分けていく。


割と、サクサクと進められていたのだけど、
ある1着の服で、手が止まった。

それは、昔、大好きでどうしようもなかった、憧れの人がいた頃に買った服。
その人に、振り向いて欲しくて。
その人の理想に近づくために必死で背伸びをして手に入れた、当時の自分には、相当似つかわしくなかったであろう大人っぽいワンピース。

当時の記憶が一気に蘇り、心がギューーッと苦しくなった。

そのワンピースを着て行った日に、憧れのその人は「いいね!」って褒めてくれて。嬉しくて、こそばゆくて、天にも昇る心地だった。
でも、その後、なんだかその服をその人の前で度々着るのも、いささか打算的な気がして…
そもそも自分の中では、無理してる服なので、登場機会にも恵まれず…

結局その人は、憧れのままで終わり。
その服も、とうとう登場する機会もなく、ひっそりとクローゼットの隅に追いやられた。

ワンピースをギュッと握りしめて、胸の奥を観察すると、確かに当時のように心臓はざわめいている。
だけど、それは「ときめき」とは違う。

あぁ、今の自分は、どうやら、もう君(そのワンピース)を求めてないみたい。
未来には必要としていないことに気づいたよ。
だから、ありがとう。もうお別れしよう。

って、心の中で呟いて、そっと「サヨナラの箱」に入れようとした時に、
ふと涙が出そうになった。


そんな風に。
その後も、その時々に "周囲から求められる自分" という基準で選んだ服たちに出くわした。

中には、先ほどのワンピースみたいに、殆ど着ていないものもあった。
割と高かったんだよな…と思うものは、正直、迷った。
でも、それは、きっと過去の自分に対する執着なんだ。
周囲から認められ、求められ、そこに心地よさを感じていた当時の自分への執着。
そしてそれは、ときめき、とは違う。

そうやっていくうちに。
「誰かのための自分」であろうとしていた時の服は、やはり無理に相手や環境に合わせようとしていたものだ、と気づいた。
そして、もう誰かにとっての自分になる、という基準は手放そうと思えた。

自分がありたい自分。
自分がなりたい自分。

この軸を、これからはもっと大事にしよう。
身につけるものも、そういう基準で選ぶことにしよう。
そう思えた。


今は、シンプルで爽やかな心地のする服にときめく。
風みたいに。
サラサラと、ふわふわと。
ごくごく自然に。

今の自分はそんな風にありたいし、
そんなものを身に纏っていたいと思います。

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