見出し画像

心の中の部屋

「悲しいことがあったらとびきり美味しいごはんを食べよう」
そんなふうに考えはじめたのはいつからだっただろうか。特別に覚えてはいないけれど、元からあった考えではなくて、その割には自分の中に馴染んでいた。

二十歳になった日、美味しいごはんをご馳走してもらった。食に疎く、食べることに楽しみを見出せずにいたそれまでから一変し、美味しいものをちゃんと食べることの大切さを一夜にして知った。ちょっとした革命が起きた日だった。
たしか、その日に『キッチン』という本を教えてもらって"吉本ばなな"という単語が新しく辞書に加わったのだと思う。

以来、好きな作家を訊かれたら吉本ばななを挙げるようになり、好きな本は「キッチンとそこに入っているもう一つの話」と答えてきた。

そういえば、キッチンもムーンライトシャドウも具体的に鮮明に覚えていない気がする…。初めて読んだ日から5年が経って、曖昧になった物語の答え合わせと、読み返さないといけない直感にかられて再びページをめくることにした。

読んでみて、二十歳の自分が「この先も大切にしていきたい」と心に留めたことが『キッチン』に、「叶わない願い、そのことを祈るように想いたい気持ち」が『ムーンライトシャドウ』に詰まっていて、だからこそ好きな作品として答えてきたのだろうなとわかった気がした。

特に後者は、「好き」というより「願望」として心の中の部屋にしまっていたのだと思う。
死別した人に会いたかったんだ、ずっと。でもそれは決して口にできないから、初めからなかったことにしてきた二十歳以前があって、この物語を読むことで初めてその願いや想いは持っていても良いものだと知ることができたのだろう。
出てくる人物たちも、亡き人に会いたいけれど「会いたい」と言えない気持ちを抱えていて、それが自分と大して変わらない距離の出来事だったからこそ、物語としての記憶より自分の中にある感情と一緒になっていたのかも。それはすごく自然なことで、特別な記憶として残しておきたいというよりは、家の鍵を持ち歩くような意識せずとも存在するものとして生活に溶け込んでいたのかもしれない。

再読して改めて好きになったし、好きと言い続けていた自分の心も好きだと思えた。
そんな二回目の『キッチン』。

いつか、また。

#キッチン #ムーンライトシャドウ
#吉本ばなな
#読書
#エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?