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ようやく毒から逃げまして⑦~独立したものの……~

(画像はいらすとや様よりお借りしました)

 ついに毒祖母から離別した母と姉と私。ようやく平穏な暮らしを手に入れたと思っていた矢先、毒祖母の行動に苛まれることになるのであった──。

 まず本題に入る前に声を大にして言いたいのは、

「毒親/毒家族から離れてもそれで終わりではない」ということ。

 よほど遠方かいっそ海外にでも行かない限り、必ず毒親/毒家族は十中八九接触を図ってくるからだ。固定電話、携帯電話、SNS、知人・恋人・配偶者・親戚の伝手、職場・学校、所属組織……思いつくだけでもこれだけの手段が挙げられる。

 離れたからすべてが終わる──そう思っていた私たちは離別してもなお、毒祖母の恐ろしさに戦慄することになるのだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 離別当日、翌日、翌々日も毒祖母からの連絡はなく、私たちはひとまず胸をなでおろした。姉と私の携帯電話の番号は毒祖母の電話から消去、さらに着信拒否に設定。母の番号は万一の緊急時に備えて消去も拒否もしなかったが、今考えるとこれが間違いだった。

 離別から数ヶ月後。離別後の作業や新生活もだいぶ落ち着いてきた頃合いに「具合が悪いから病院に行きたい」と、突然毒祖母から母に連絡が入った。救急車を呼んだとしても結局病院には行かないとならないので、母が仕方なく付き添うことになった。私たちの新居から指定された病院までは、片道1時間30分ほど、待機時間や毒祖母を送迎する時間を含めると一日5~6時間は拘束された。したがって母、姉、私の誰かが有休ないし半休を取らざるを得なかった。もちろん毒祖母と同居している伯父2に付き添いや手続きを依頼したが、仕事を言い訳に彼は“たったの一度も”病院に行かず、すべてを私たちに丸投げした。 当の毒祖母も反省の色はまったくなく、相変わらず横柄な態度と発言ばかりだった。

「アンタたちを追い出しのは失敗した。伯父2を追い出せばよかった」
「アタシのせいでアンタたちは出て行った」からの「どうしてこうなったのか分からない」

 何一つ、いや、一ミクロンさえ変わっていなかった。

 私たちが家を出た意味や心境をまったく理解しておらず、理解しようとする姿勢すら見受けられなかった。私たちが家を出れば少しは変わるかもしれない──そんな甘い期待を抱いていた自分がとてつもなく馬鹿らしく思えてきた。もっとも私たちに対する謝罪も何もなかったことが、私は衝撃であった。

 私たちを追い出したことは《失敗》だった?失敗って何?今までの私たちに対する言動について何も思わないの?

 そのように毒祖母へ立腹しているうちに入院と手術が決まり、その手続きや準備もすべてを私たちが行った。“私たちにとっては大変不幸なことに”平穏無事に手術が終わると、退院後もしばらく検査の付き添いが必要だと言われた。伯父2はまたもや仕事を理由にして付き添いを拒否したため、また私たちのうちの誰かが仕事や所用を断って貴重な半日を毒祖母に費やすのであった。

 とある日に毒祖母を家まで送ってやると労いの言葉の一つもなく、真っ先にテレビをつけてくつろぎ始めた。まあいつものことだと諦めた私が荷物を整理していると、

「誰のために時間を割いてやってんだ、このクソババア! 死にさらせ!!
もう二度と私たちに関わるな!!!!」


と、普段は実に穏やかな姉が突然激昂して毒祖母の胸ぐらに掴みかかった。 あんな形相の姉を見たのは、生まれて初めてだった。驚きと怒りからか毒祖母が何かを喚いていたが、呆然としていた私は姉に手を掴まれながら毒祖母の家を出た。

 姉の激昂が効いたのか、しばらくは毒祖母からの連絡は途絶えた。その後病院に言ったのかも定かではないが、もはやどうでもよかった。
 が、その数週間後には何かと理由をつけて母の携帯電話に電話がかかってきた。あまりのしつこさに伯父2に頼むよう言うと、「アイツは何もしてくれない!」と癇癪を起して話にならなかった。

 辟易した母もついに着信拒否すると、

今度は母の職場に架電(当時母は不在)、その翌日に毒祖母が職場にまで押しかけてきたのだった。

「帰ってきてまた一緒に住んでほしい。伯父2にも許可を得た」と言うために。

 ここまでくると、もう「は?」としか思えなかった。

 母からこの件を聞いたときに、呆れてしばらく物が言えなかった。「どの口が言ってるんだ?」と。あと「伯父2に許可を得た」って何????彼にそんな決定権なくない?と、私は混乱するばかりであった。

 母は「とにかく迷惑だから帰って」の一点張りで毒を追い返して何とか収めたが、恥ずかしくて顔から火が出そう、いや出ていたと当時を振り返った。

 離別してもなお毒祖母にこうも振り回され続けてはたまらないので、

『毒祖母専用ダイヤル』を格安SIMで開通した。

 このスマホは原則家に置いておいて着信があったら、こちらの都合で返信するようにした。これだけでも普段の生活や仕事中に急な毒祖母からの連絡に怯えなくて済むようになった。またあくまで「こちらの都合で折り返す」という主導権を握ることで、毒祖母への牽制にもなり得たのかもしれない。今のところこのスマホにさほど着信はないが、果たしてどうなるのか正直不安しかない。毒祖母は予想の斜め上のさらに斜め上の行動を起こすものなので、もう開き直って日々“観察”に徹している。

【追記】毒祖母専用電話について詳しく記しました。

 職場や住居については今すぐに変える訳にはいかないので、長期的なプランに基づいて今やるべきことをやっていくしかない。とにもかくにも母、姉、私の三人で何とか知恵を出し合って今の生活を守りたいと思う。

 家族である以上、別居しただけでは完全に離れることができないという事実に私たちは打ちのめされた。 新しい住所を教えず携帯電話の番号を変えたとしても友人や親せきに居場所を聞かれたり、職場や学校にまで押し掛けられたらどうしようもない。

 そもそも毒祖母が、物事の理由や動機を一切考えないことが一番の問題である。

"どうして"こうなったのだろう。
あの人は"なぜ"ああ言ったのか。
彼は“なんで"こうしたのか──

 普通の人ならばそう考えることを毒祖母や毒親らは、放棄しているのだ。私たちが"なぜ"出て行ったのか、"どうして"着信拒否したのか、うちの毒祖母はまったく理解しようともしない。挙句の果てには、「育ててやったのにその仕打ちはなんだ」だの「家族なんだから当たり前だろ」だの言い出す。(もちろんすべてガン無視しているか)

 そして私たちの一連の行動は、「毒祖母と二度とかかわりたくない」に尽きる。

 ただ毒祖母への恐怖や嫌悪は、彼女があの世に召されない限り続くだろう。それでも何とか毒祖母とかかわらないように工夫していくしかないのだ。戦わなければ、勝てないように。

 毒親や毒家族から離別するにあたってもっとも大切なのは、「家族だから……」「世間体が……」という言葉に惑わされず、強い意志を持つことだと私は思う。毒親/毒家族問題について提言できるのは、正直毒親/毒家族の毒に晒されたことがある人間だけだとも私は考えている。毒親/毒家族を知りもしない、彼らを殺そうと思ったこともない、あるいは自分の命を絶とうと思ったこともない人間の言葉など風のささやきに過ぎない。自由を手にするという強い意思を持って、少しでも毒親/毒家族から離れた平穏な暮らしが続くよう努めていくしかない。

「毒親/毒家族から離れてもそれで終わりではない」

 それを痛感して呆然としたときもあったが、いつか毒祖母から完全に開放される日を夢見て今日を生きていこうと思う所存である。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 これにて「ようやく毒から逃げまして」は完結です。ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 毒親や毒家族の問題は十人十色、百人百色だと思いますが、少しでもどなたかの役に立てれば幸いです。

 毒親/毒家族と離別するに越したことはありませんが、同じような苦しみを感じたり、似たような境遇に立たされている人がほかにも居ると知るだけでも安心できます。

 それぞれの歩幅で、それぞれの方法でいいので、一人でも多くの方が毒親や毒家族の毒から逃れられればいいと思います。


 次回以降は毒祖母と生活してきて気が付いたことや自分なりの考察を書いていく予定です。

 稚拙な文章ですが、ご一読いただきましてありがとうございました。

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