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毒育ちと「取るに足らない扱い」

( 画像はいらすとや様より、一部筆者加工)


毒に育てられると《健全な自己愛》が育たない

 毒親は、子供を傷つける行為を執拗に繰り返します。身近な存在である親にそのような行為をされれば、自分自身を大切にする気持ち、すなわち《健全な自己愛》など生まれるはずがありません。もっとも毒親の大半は安全基地の役割を果たさないために、その子供が漠然とした自己嫌悪感や不信感を抱いてしまうのは当然です。
《健全な自己愛》が備わらないと、親子間のみならず、学校や職場での対人関係、友人関係、恋愛関係、果ては結婚後においても「自分はどこか蔑ろにされている」という感覚に陥ります。それが重篤化すると、さまざまな場面でいじめ、ハラスメント、DVなどの被害を受けやすくなってしまいます。その根本的な原因の一つは、《健全な自己愛》がないことで悪意ある人間から「取るに足らない扱い」を受けてしまうことだと私は考えます。
 

「取るに足らない扱い」とは

 巨大掲示板「5ちゃんねる」内に存在する「モテない女板(通称「喪女板」)」をご存知でしょうか。その「モテない女板」内には、『取るに足らない扱いを受ける、軽んじられる喪』というスレッドが存在します(2020年5月9日 筆者確認済み) 「取るに足らない扱い」とは、「他人から都合よく利用されたり、蔑ろにしても構わない存在として扱われること」です(注:スレッドの書き込みより筆者が総括) スレッド内では時折「取る足ら」と略されており、以下そのように表記致します。

【「取る足ら」の具体例】
・基本的に感謝や謝罪をされない
・店員から粗雑な接客や対応を受けやすい
・不当なドタキャンや遅刻を頻繁に受ける
・パシリや「気がついた人がやる系の雑用」を押し付けられやすい
・グループ内で自分の提案や意見が採用されない、自分の話題にならない
・ミスの原因や他人の責任を転嫁されやすい
・相手の相談や愚痴を聞くばかりで、自分の相談や愚痴は聞いてもらえない
・他人からいじられやすい、いじられキャラにされやすい
・名前ではなく、「ねぇ」「あなた」「お前」、酷いと「ブス」や侮辱的なあだ名で呼ばれる
・いつも誰かの尻拭いをする(させられる)立ち位置にいる
(『取るに足らない扱いを受ける、軽んじられる喪』への書き込みより筆者が再編)

 また、「取る足ら」を如実に物語る有名なコピペもあります。

【壁を感じる時】
 普段は友人として普通に接している連中相手でも、みんなで飯を食いに行く時とか特に壁を感じる 。俺が「そろそろ行こうぜ」って言っても、みんな「うんそうだねー」って感じで 全然動き出さないけど、他の誰かが「行くか」って言うと動き出す 。俺がいなくても何事も無いかのように進むけど、他の誰かが欠けてると そいつに連絡取ったり待ったりする 。俺以外の奴が財布を取りに行ったり便所行ったりするとみんなそれを待つけど、 俺が靴ひも結んでたりしてても完全無視でみんな先に行く 。どの食堂に行くかという話で俺の案は採用されない 。食べ始めるのはみんなが席につくまで待つのが基本だけど、俺が最後のときは みんな既に食べ始めている 。食後、普通は食器を全員が片付けるのを待ってから食堂を出るのだが、 俺が最後のときはみんな先に帰り始めている。横に並んで歩いている時、俺の両隣りが徐々に迫ってきて遂には俺は後ろへ 追いやられて、みんなの後ろをトボトボ歩く羽目になる 。誰かが購買に寄るとみんなついていくが、俺が行くときは誰もついてこない 。
 これらの行為は作為的なものではなく、無意識なものだと思う 。みんなが特に俺への接し方に差をつけてるのではなく、 ただ俺の存在や影響力が薄すぎるだけなのだろう。たぶん、俺だけこんな空気な扱いになってることにも気付いてない気がする 。みんなのことは憎くないけど、自分の不甲斐無さが憎い 。
 こういうことが続くと、一人が楽だなーって思う。
(https://matome.naver.jp/m/odai/2133583177564919001?page=2より引用、一部筆者改訂 )

 そもそも毒親こそが、その子供をもっとも「取るにならない扱い」しています。そして「取る足ら」をする側の人間とは、その毒親と似た精神構造です。つまり家庭内で毒親から「取る足ら」を受け続けた人は、社会においても毒親と同等の人間から「取る足ら」を受け続けるとも言えます。

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( 画像はいらすとや様より、一部筆者加工)


いつでもどこでも「取る足ら」される

 毒親を持つ人は、当然ですが家庭内に居場所がないことが非常に多いです。だからこそ恋人や友人といった“擬似家族的存在”や、そのコミュニティでの居場所を失いたくない気持ちが人一倍強まります。その気持ちが、「取る足ら」を受けてもその相手やコミュニティから離れることも許さないのです。人数合わせ、引き立て役、ビジュアル担当としてのみ誘われる。財布や足扱いされる。都合の良い男/女、セカンド、セフレ止まり──そのような存在も「取る足ら」が生み出すのですが、それに甘んじている人がいるのも現実です。先に挙げた『壁を感じる時』の“彼”も一人になる勇気もなく、そのグループに何となくぶら下がっているしかなかったように見えます。
 このような「取る足ら」が徐々に積み重なっていくと、今度はいじめや各種ハラスメント、DVなどの“実被害”を一層受けやすくなります。 過去記事の『自己流毒親タイプ分類』で述べたように、「深刻なDV問題、嫁姑・義実家問題を抱えている」ことも毒親の条件の一つです。DVや重大な家族問題で苦しむ親を見た子供は、《健全な自己愛》など持てるはずがありません。一つ一つは見逃しがちな「取る足ら」も蓄積されていくと、自分の子供にも影響を及ぼし、毒の連鎖に加担してしまうのです。
「取る足ら」を発端に各種ハラスメントやDVを犯す人間は、非常に許しがたい存在です。しかし彼らが「自分にとって都合が良い“獲物”を常に嗅ぎ分けている」こともまた事実です。その“獲物”とは、自分に自信がないことが一目瞭然、つまり《健全な自己愛》を持たない人物そのものです。そのような人間に見下されないように、そして「取る足ら」を阻止するにはどうすればよいのでしょうか。


「取る足ら」から抜け出すには

「取る足ら」を受ける原因が《健全な自己愛》がないことならば、それを育てれば良い話です。自分は大切にされるべき存在と認識する、つまり自分自身への愛着を回復させるとも表現できます。ただし、それを実現するには長い時間やある程度の努力を要することを予め断っておきます。
 今すぐにでもできることは、ヘアメイクや服装を変えてみる、姿勢を正す、身体トレーニングをする、笑顔を心がけることです。見た目を少しずつ変えることで、自信をつけるとともに相手に見下されない雰囲気を作ります。
 次に「交際の条件」を作ります。恋人、友人、職場の同僚・上司・部下を問わず、以下の行為によって「取る足ら」を感じた時点で距離を置きます。端的に言えば、毒親問題の対処と本質は同じで、連絡や対面する頻度を減らすことで少しずつ相手と関わる時間を減らしていきます。(※暴力、暴言、人格否定、嫌がらせ、過干渉/過保護、逸脱した束縛行為は、「取る足ら」の範疇を越えていますので即刻離別などの対応を考えましょう)

【「交際の条件」の一例】
・挨拶や感謝、謝罪があるか
・不当なドタキャンや遅刻がないか
・相手にとって都合の良い役割(奢り、足としての運転、代理購入など)を押し付けられないか
・自分の提案や意見を蔑ろにされないか
・ミスの原因や相手の責任を転嫁されないか
・双方の話題、会話のバランスは取れているか
・悪意あるいじりをしてこないか
・名前や親しみのあるあだ名で呼んでくれるか
・相手の尻拭いをしていないか

「取る足ら」をする人間から離れ、自分を想ってくれる存在を大切にすることも《健全な自己愛》を育むことにつながります。あるいは《健全な自己愛》を回復させるまで交際、恋愛、結婚願望などを一時的に手放すことも手段の一つです。「友人や恋人は自分の鏡」と言うように、《健全な自己愛》が形成されることで良い友人やパートナーに恵まれることもあるからです。
 少しずつ自分のペースで構わないので「取る足ら」から脱却することで、自分自身をはじめ、大切な家族、恋人、友人をより大切してほしいと思います。《健全な自己愛》が備われば、同時に一人で居られる能力が身につくので今までとはまるで違う景色が見えるかもしれません。
 先に取り上げた『壁を感じる時』を書いた“彼”は、「一人の方が楽」と感じていることから、その後「取る足ら」をする人間らと離別できたのかもしれません。そして自分自身を大切にした結果、素敵な存在に恵まれていたらこの上ないと思います。一人一人が自分を大切にして、毒親やそれと同等な人間から不当に扱われる人が少しでも減りますように。


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