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毒育ちとコンプレックス

(画像はいらすとや様より)

コンプレックスとは

 毒育ちと「コンプレックス」とは、切っても切れない関係なのではないか。毒親に育てられると安全基地の不在から健全な自己愛を持てないと私は再三指摘してきた。健全な自己愛の喪失は、失敗を恐れる心理を植え付け、積極的な挑戦や試行錯誤を阻害する。それが対人関係や社会生活にまで影響すると、やがてコンプレックスを生み出すことになる。

【コンプレックスとは】
① 精神分析用語。情緒的に強く色づけされた表象が複合した心理。抑圧されながら無意識のうちに存在し、現実の行動に影響力をもつ。マザーコンプレックス・エディプスコンプレックス・インフェリオリティーコンプレックスなど。複合感情。複合観念。
日本では特に、インフェリオリティーコンプレックス(劣等感)の意味で使われる。「強いコンプレックスを抱く」
③ 複雑に関連していること。複合的であること。複合体。「シネマコンプレックス」
※当記事における「コンプレックス」は、おもに②の意味合いを採用することにする。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/より引用

 かく言う私自身もコンプレックスの塊である。自分の顔面や容姿に自信がなく、いわゆる「リア充」に憧れていたが挫折した過去があり、 幸せな家庭の象徴であるイベントに対しても強いコンプレックスを感じている。学歴や職歴についても同等の人間がごまんといるレベルに過ぎず、特に誇れるものもない。何よりも毒祖母やクソ伯父のようなパーソナリティ障害者が身内に存在する時点で己を恥じぬことなど不可能であろう。
 かくして恐ろしいまでに健全な自己愛を持てなかった昔の私は、常に誰かと比較しては一喜一憂してきた人生を送ってきた。他人より優れていると感じられるとそれは傲慢となり、劣っていると思えば、それはたちまちコンプレックスへと変化した。そのコンプレックスを助長したのは、「自分はこんなものではない」という強い自己愛ほかならないが。
 逆に健全な自己愛や絶対的な自己肯定感を持つ者は、コンプレックスなどほとんど感じないはずだ。コンプレックスの元になる過剰な比較や他人本位な思考など彼らの頭の中には存在しないからだ。 
 
 それでも毒祖母やかつての母の期待に応えるべく、私はそれなりの努力を果たしてきたつもりだ。特に大きな問題もなく、順調に学校生活を送ってきた。その中で友情や恋愛も一通り知ったつもりだ。勉学や部活に励んでいると、全校生徒の前で表彰されたこともあった。しかし健全な自己愛を持たなかったゆえに、それらは何一つとして私の血肉や糧にならなかった気がしている。今もなお違う誰かの人生を回顧しながら綴っているような気分なのだ。



「期間限定イベント」とコンプレックス

 話は打って変わるが、私は「恋人に運転してもらうドライブデート」に行ったことがない。というのも当時の交際相手が私より運転が苦手だったもので、正直そこまで運転が得意でない私が仕方なく運転していたのだ。しかしこのコンプレックスは今後「(少なくとも私より)運転が得意な相手」と交際すれば、取り戻せる可能性がある。もう一つ例を挙げるとすれば、「制服デートおよび制服ディ○ニー」の経験もないのだが、これについても別の思い出による補完で解消できているのかもしれない。
 つまりコンプレックスとは、今後解消できる可能性がある事柄、もしくは別の事柄で補完/昇華できるものならば、さほど問題ないのかもしれない。しかしいくら大金を積もうが、労力を掛けようが、「絶対に取り返しのつかない事柄」も多数存在する。私で言えば、イベント・コンプレックスや温かな家族像、幼少期における安全基地の有無である。他には学生時代の恋愛経験や対人関係、充実した青春時代、現役時代の進路や進学など人によって様々だろうが、 これらは総じてテレビゲームで言うところの「期間限定イベント」に当たると私は考える。これが本当のテレビゲームならば、リセットや周回プレイによる回収は可能だが、もちろん現実ではそんな芸当は不可である。だからこそ「期間限定イベント」に対する後悔の念や強い未練というものは、やがて「根強いコンプレックス」へと変貌する可能性があるのだ。

 その「期間限定イベント」のほとんどは、クラスメイトや友人、恋人という相手があって初めて成立する訳だが、それに伴う「幼少期や学生時代に他人と何かを分かち合う、他人から承認される経験」の大切さ、重要さを私はあらためて痛感する。端的に言えば、多くの人が当たり前のように過ごしてきた学校生活や社会生活、集団生活そのものである。

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(画像はいらすとや様より、一部筆者加工)

 その中で他人と達成感や喜び、相手への配慮、失敗や挫折、己の実力や身の丈、時として社会の不条理といった「酸いも甘いも」を人は学び取っていく。その経験というものが、将来的に恋愛を含む対人関係や仕事といった社会活動に大きく影響することは言うまでもない。それほど「幼少期や学生時代に他人と何かを分かち合う、他人から承認される経験」という名の「期間限定イベント」は重要なのである。
 
 しかし学校とそこでの生活とは、あくまで平等に与えられた学び場の一つに過ぎない。そこが合わなかったのならば、どこか別の場所で学んでも構わないと私は考えている。さらに言えば、仮に「“他人”と何かを分かち合う、他人から承認される経験」ができなかったとしても“家族”との信頼関係(安全基地)さえ存在すれば、その子供は後々自発的に社会や他人と健全な関係を築けるはずと私は思うのだ。なおその裏を返せば、親や家族とさえ健全な関係を持てなかったのならば、他人とはより困難を極めるのは致し方ないのかもしれない。


根強いコンプレックスと強い自己愛

 特に「期間限定イベント」を逃したことによる「根強いコンプレックス」は、自己愛の肥大化や依存(症)、強い他害的思考、そして毒の連鎖を引き起こす可能性をはらんでいる。しかしこの「根強いコンプレックス」とは、もはやどうすることもできないと私は思うのだ。強く願ったところでその時代に戻れる訳もないのだから、そのコンプレックスの存在を認めた上で上手く付き合っていくしかない。たとえばコンプレックスに関連する事柄には極力触れないようにする、可能な限り他人と比較しない、別の事柄で補完/昇華できるよう努力する、いっそのこと丸ごと手放すといった方法で。

 何よりも「根強いコンプレックス」にとらわれ続けると、いずれ強い自己愛の奴隷になってしまうと私は指摘する。それが以前に述べた《宇宙人》やそれに近しい人間、“大人のような子供”己の発達障害に気がつかない人たちを生むのではないだろか。彼らは「家族や他人と何かを分かち合う、家族や他人から承認される経験」が乏しかったゆえに、それを他人に対して無差別的に求めてしまうのだ。それがまだ信頼も何もない相手であってもお構いなしにである。


表彰状なんてもらえなくても

 表彰状と聞いて、皆様は何を連想するだろうか。コンクールや大会で優勝・入賞した、勉強やスポーツ、芸術で優秀な成績を収めた、課外活動や秀でた功績を上げたといったイメージが多いだろうか。つまり表彰状とは、「他人に努力や成果を評価された最大の証」であり、他人から認められたのと同義だ。そう考えれば、友達や恋人という関係も他人から承認されたという点から一種の表彰状と言える。

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(画像はいらすとや様より)

 先に少し触れたが、私は確かに表彰状を貰えた側の人間なのかもしれない。しかしそれを手にしたところで、何処か虚ろで実感が沸いてこなかった。私がその表彰状を持って帰ると、母や毒祖母はこれでもかというほどに褒めてくれた。しかし表彰状がもらえなかった時期には、特に私の毒祖母は、掌を返したような態度を取った。
 
 それから年月を経て今思うことは、たとえ他人から評価された表彰状なんて一枚も無くとも「生きているだけで特別で素晴らしい」「表彰状は貰えなかったけど頑張ったね」という“表彰状”を家族から受け取れさえすれば、これ以上の幸せはないということである。その人生においてもっとも大切な“表彰状”を手にできた人間は、無駄なコンプレックスを抱く必要もないはずだからだ。

 残念ながら私は、そのもっとも大切な“表彰状”をもらうという「期間限定イベント」を経験できなかったのだ。毒祖母が後生大事に額縁に入れて飾っている表彰状なんて、何一つとして役に立たなかった。むしろ毒祖母がその表彰状をダシに自慢話をしていたと思うと、腹立たしささえこみ上げてくる。そんな表彰状を何枚も集めたところで、もっとも大切な“表彰状”に換えられるはずもないし、何よりも毒祖母に利用されていたと思うと、「私は今までいったい何を何のために頑張っていたのだろう……」という強い虚無感に襲われた。やりたくもない、特に楽しくもないことを、私は両親や毒祖母、周囲に承認してもらいたい一心で仕方なく取り組んでいただけだ。

 この「根強いコンプレックス」こそ、私が死に絶えるまで付きまとうのだろう。これと今後とも一生付き合っていくほかないと考えると、頭が痛いし、やり場のない怒りが込み上げてくる。今もなお毒祖母の家に飾られているであろう表彰状のみならず、あの家丸ごと燃やしてしまいたいくらいに。


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