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「探求学習」はなんの練習?

うちは子供が3人いて、全員が中野にある東京コミュニティスクールに通っていた。僕は、そこで前校長のリキさんと出会って、人間として「なにかを面白がる」作法のようなものを深く考えさせられた。リキさんは不躾な言い方を許してもらえるなら「プロの素人」というような人で、いたるところに落ちている日常のなかから、面白い部分をゆっくりと見つけ出す達人だ。そんな達人が子供たちといっしょに学んでくれていることがとてもうれしく感じていた。そのリキさん(市川力さん)と学校の卒業生の対談を読んでいてハッとさせられた部分がある。

リキさん:こういうオルタナティブな学校だとさ、「得意分野を伸ばしましょう」って何かを際立たせるように言われることも多いよね。でも、TCSはそういう学校じゃなかった。そういう意味で、TCSの学びはジェネラル。この学びのスタイルはTCSの伝統として残っていくのかなと思ってる。

「広く浅く」ってどちらかというとネガティブに聞こえる感じがするじゃない。何かひとつを突き詰めることの方が良さそうな気がするんだけど、僕らは「広く浅くで何が悪い」と思っていた。

だから、子どもを急かさなかったよね。「この子はすごく宇宙に関心があるから、将来宇宙の研究者になるんじゃないか」「この子は昆虫が好きだから、この好きを伸ばして昆虫学者に」というアプローチではなくて、「いろんなことをしましょう」っていう方針だった。小学生時代にいろんなものを見せて、体験させて、多様な蓄積をしてほしいという思いが強かったな。ちょっと欲張りすぎたかもしれないけど(笑)。

「探究とは、何かをプラスするのでなく好奇心をキープする」TCS初代校長・市川力さんと卒業生たちが語る、探究とは?
 より引用

https://note.com/tankyumedia/n/ned52e1d38a76

今は流行のようになっている「探求学習」というのを、2004年から実践している学校で、その教育の実践者が語る探求というのは、世間が思う「狭く深く」という探求の概念からはずいぶん外れているように感じないだろうか。僕が世間を眺めていて「探求学習」というときに目につくのは2つの要素で、ひとつはこの「狭く深く」というもの。もうひとつは「内発性」で、子供を誘導するのではなく、完全に自由に、自分でテーマを見つけるというのが重視されているように感じる。

実は、僕はこのふたつの要素は「探求学習」の本質とは別の話ではないかと思っている。
『メモの魔力』という本を書いた前田さんの話を、幻冬舎の編集の箕輪くんから聞いてなるほどと思ったことがある。

前田 まさに。ただ、人によっては、いくら内省してもやりたいことが見つからない場合もあります。そこで今すぐにできるもう一つの方法が、シンプルなのですが、「新しいことにチャレンジしたり、新しい人にたくさん出会ったりして、とにかく経験を増やす」ことです。

 僕が「たこわさの理論」と呼んでいることがあります。「地球が終わる最後の日に、あなたが食べたいものは?」と皆に聞くとします。この質問を例えば小学生にしたとして、まさか、「たこわさ」って答える子はいないと思うんです。つまり、「食べたことのないものを食べたい」と思う人はいない。

 これと同じように、知らないことや未経験のことを「自分の人生の夢にしたい」とは思えないはずです。経験していないことは、やりたい、とさえ思えないですから。

https://woman.nikkei.com/atcl/doors/column/19/011700020/012400004/?P=3

例えば、子供の「内発性」を重視するあまりにYouTubeやソシャゲなど、大人が「商売として」中毒になるように設計した、インスタントに「面白く」なれるコンテンツばかり受容してしまう。これが知的トレーニングとしての探求といえるだろうか。

また、写真が「正確に写し取る」という絵画のトレンドを変え、それと併せてチューブ絵の具が、光の変化を感じ取れる現場での作画を可能にして印象派を誕生させたように、AIなどの新技術が既存の仕事のあり方をどんどん変えていくことは容易に想像がつく中で、単に子供が偶然面白いと感じた一分野のみの「好奇心」を深くほっていくことが、「探求学習」の目指すところとも思えない。

絵を描く、音楽を作る、バレーボールをプレーする、フットボールの戦略を考える、小説を書くなど、面白くなるまでに時間がかかることはたくさんある。ましてや、膨大な先人がいて、自分発のクリエイションにたどり着くまでにはさらに時間がかかったりする。そしてそういうものほど、面白さが長く続き、終りが見えない。

そういう入り口に立って、いっしょに面白がってサポートしてくれる大人がどれだけ貴重かは、子供の自分が、何かを始めるときにどう感じたかを覚えている人ならわかるだろう。「内発性」などという矮小なものではなく、いいと思ったもののところには引っ張ってでも連れて行き、いっしょに同じ方向を見て、ともに歩き、「おもしろいかどうか」「好きか嫌いか」で真剣に議論してくれる大人がいること。

それが僕が考える探求学習。それは「知的好奇心を増やす練習」なんだと思う。そういう大人に僕はなりたいし、子供たちもそうなってほしい。


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