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短編小説「真面目」



 就業場所のデスクに座り、男は朝コンビニで購入したサンドイッチを食べていた。人工的な温かさが循環する部屋にいる彼のほかの社員は、皆デスクワークに追われていた。来月訪れるボーナス払いの処理と月末締め、購入物品の設置に追われているのである。彼は部屋に響くキーボードの打鍵音に少しの後ろめたさもなく、サンドイッチをゆっくり咀嚼する。幼少期に母に教えられた通り、30回は噛むように心がけている。サンドイッチを食べ終わると、彼は更衣室へと移動した。就業規則にある45分の昼食休憩が終わるまでいつもそこで歯を磨いたり、身なりのチェックなどを行ったりする。


 
 
 
 彼は大変真面目であった。この〝真面目〟というのは彼自身が自己紹介などで発信する特徴ではなく、同僚からの評価である。勿論、嫌みも少なからず含まれている。しかし、彼自身としてはそのような評価を受けるのに対し、あまり納得はしていない。自分のしている行動は当たり前のことであり、普通のことを普通に行っているだけである。きちんとした社会理念や道徳を判断材料にして、行動をしている。例えば上司に「今から万引きをしてこい」と言われても決して実行しない。何に対してもイエスマンであるわけではない。自分も考えに則って行動をしており、真面目という言葉の持つ堅苦しさを本人は感じていないのである。 




 
 休憩の終了ちょうどにデスクに戻ると机の上に「お土産です」という付箋と共に袋に入ったバスボムが3つ置かれていた。どうやら同僚が週末に家族旅行に行き、そのお土産らしい。彼はバスボムの入っている袋を見て一瞬表情を曇らせたが、すぐに笑顔を作り同僚に感謝を伝えた。



 1日の業務が終わり帰り支度をすすめていると、上司から稟議書の作成を頼まれた。彼は「今日はいつもより持ち帰り業務が多く、先に上がらせていただきます。稟議書につきましては明日の朝一で作成いたします」と、丁重に断りを入れ帰路についた。上司は彼の真面目な性格を知っており、しぶしぶ了承してくれた。
 



  家につくと彼はさっそく自室にこもり、業務に取り組むことにした。社用カバンから5つほどの書類と、昼食に食べたサンドイッチのゴミ、そして同僚からもらったバスボムを取り出した。
 



 よく見ると書類はすべて会社で購入備品の取扱説明書であった。「まずはバスボムの説明から読み進めよう。今日手にした『必ずお読みください』はいつもより多かったな。本当は先にきちんと読まないと、使ったり食べたりできないのに……。今日も悪いことをしてしまったな」と、彼は真面目な表情でため息をつき、いつもの業務に従事した。
 




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