【試し読み】垣根涼介『武田の金、毛利の銀』第1章特別公開!
2024年7月24日に発売となる、垣根涼介さんの最新単行本『武田の金、毛利の銀』。 直木賞受賞第一作にあたる本作は、『光秀の定理』『信長の原理』に連なる物語です。 本記事では、刊行を記念して第1章を特別公開! 「価値」の本質に迫る、歴史冒険活劇をお楽しみください。
あらすじ
『武田の金、毛利の銀』試し読み
第一章 策謀
1
昨日までの大うつけが、今日 は摩利支天となる。
摩利支天とは戦いの神だ。転じて軍才に秀でた者のことを言う。
ふん、と信長は鼻で笑う。
時に永禄十二年(一五六九)、三十六歳のことである。
昨年、満を持して岐阜城から上洛した。織田軍とそれに従う友軍の計四万五千で、瞬く間に京の地を踏んだ。美濃から奉戴してきた足利義昭を、室町幕府の十五代将軍に据えた。
途端、自分への評価はがらりと変わった。
けれど、世間などそんなものだ。
まったくいい加減極まりない。ほとんどの人間が自らの頭で考えることが出来ず、その眼で人の真贋を見極めることも出来ない。結果だけを見て、いとも簡単に評価を覆す。完全なる馬鹿どもの蠢く世界。それがこの浮世の正体だ。
が、まあいい。
他人からどう思われていようとも、信長には屁でもない。そんなことを気にかけているくらいなら、先々での政略戦略を煮詰めていった方が百倍マシだ。
ともかくも東方のことである。
信長が上洛した直後の十二月、甲斐の武田信玄は駿河へと侵攻した。
その報を受けた時、信長はつい笑った。
今年四十九になるあの老軍神は、どうしても海が欲しいらしい。十年以上も前から越後の上杉輝虎(謙信)と信濃を巡って飽くなき死闘を幾度も繰り広げていたのも、単なる領土欲からではなく、北信を通り越した先の北海(日本海)に出たかったからだ。
信玄は、難なく駿府を制圧した。蹴鞠をやることしか能のなかった今川氏真は遠江の掛川城に逃亡した。
「かの老公は、それほどまでに塩を欲しているのでしょう」
などと佐久間信盛や柴田勝家など譜代の家老は言い騒いでいたが、これらの感想にも信長は内心、鼻で笑っていた。
こと理財に関する限り、物事の見えぬ阿呆は家中にもうんざりするほどいる。確かに甲斐は内陸の国で、塩という生活に欠かせぬ品は産しないが、それでも大金を積み、密かな糧道さえ確保すれば、いずこかから調達することは充分に可能だろう。沿岸部の国々では塩など海水からいくらでも作れる。売りたい者は津々浦々に数多いるのだ。
交易だ、と信長は思う。
信玄は交易のための港を欲している。領土拡張以上に海上交易こそが国をさらに肥え太らせる道だということに、昔から気づいて恋い焦がれていた。
ちょうど織田家が親の信秀の代から伊勢湾に臨む津島湊を押さえ、莫大な矢銭を調達し続けていたようにだ。だから信長は跡目を継いで以来、絶え間ない戦を継続することが出来た。
そして信玄の場合、その交易の原資となるのは甲斐国の至る所から産出する甲州金しかない。地味瘦せた同地には、他に売る物がないからだ。
少なくとも信長はそう推測していた。
現に西国の毛利家もそうだ。
現在七十三歳の毛利元就は、ほぼ徒手空拳の身からじっくりと時をかけて成り上がった老梟雄である。本拠地の安芸を統一した後、隣国の周防、長門、備後へと勢力圏を伸ばした。
七年前には石見国を支配下に置き、この国最大の銀山を手中にした。
けれど翌年、元就の嫡男で毛利家十三代当主になっていた隆元が急死する。嫡孫の輝元が弱冠十一歳にして家督を継いだ。これで毛利家は衰微するかと思いきや、元就の次男、三男である吉川元春、小早川隆景が甥の輝元をよく支えて現在に至る。
石見から採れた大量の銀で南蛮船や唐船と盛んに交易を行い、ますますその威勢を増した。三年前には山陰の雄であった尼子氏を滅ぼし、出雲一国と伯耆の西部までを手に入れたばかりだ。
かといってこの両家と戦っても、今の織田家が負けることはほぼ考えられない。
武田家は今、甲斐と信濃、そして駿河一国と上野の西部までを征服し、八十万石強を領している。
対する毛利家は、安芸、備後、周防、長門、石見、出雲、伯耆の西部、そして友軍である三村家の備中を押さえて百万石ほどである。
しかし織田家の領土は、さらに上を行く。
現在、その封土は尾張、美濃、伊勢東部と南近江を押さえて百九十万石で、信長に協力する徳川家の三河と遠江、浅井の北近江、松永弾正の大和を加えれば、その勢力圏は三百万石を超える。京を中心とする地の利も押さえている。
だから、武田と毛利ともし同時に戦うとしても、織田家の優位はまず揺るがない。
が、これはあくまでも勢力圏から換算した兵力差から言えば、ということである。それに両面作戦は何かと煩雑でもある。
信長は徹頭徹尾、数の信奉者だ。
いわゆる天才など、この世には自分も含めて存在しない。神や仏もいない。少なくとも信長は見たことがない。だから何を信じるか、何を基に行動を起こすかが最も肝要だ。
兵力差も重要だが、その総兵力を長期にわたって動かし続ける財力が武門にあるかどうか。
軍事費――銭の力だ。永遠に戦い続けられる者だけが生き残る。
当然だ。戦など水ものだ。勝つ時もあれば逆に負け込む時もある。だからこそ、敵を殲滅するまで戦い続けられる財力のある者だけが、最終的には勝者となる。
算術。とことんまで数字である。
それ以外の観念はすべて無視する。実績に裏打ちされた算術は、裏切りと謀略が常であるこの乱世の人々と違って、絶対に裏切らない。
幸い信長は地元の津島に加え、上洛後に近江の大津という港、草津という陸路の要衝を押さえた。さらには今、堺をもその支配下に置こうとしている。領土から上がってくる年貢には豊作不作の波があるが、商都からの矢銭は常に安定して徴収出来る。
おそらくは、この銭の威力というものが武田と毛利には分かっている。だからそれぞれが金と銀に拘る。
問題は、どちらを先に潰してやるかということだ。そしてその判断をするための現地調査を、誰にやらせるかということだ。
佐久間信盛や柴田勝家は、以前の発言からして論外だ。他の武官の家老、丹羽長秀、滝川一益も力不足だと感じる。織田家の理財を預かる家老としては林秀貞がいるが、これはもうなにぶんにも年で、そもそもが文官である。他国に忍び入るなどという機敏な動きは出来ないだろう。
となると、家老格より一段下の中級将校から、理財の分かる奴を抜擢せざるを得ない。そして信長が考えているような交易の感覚が分かっている者といえば、木下藤吉郎と、あと一人が思い浮かぶ。
……ふむ。
2
長らく続いた雨が上がった。
藍色の空が洛北の彼方まで抜けきっている。もう梅雨明けだ。
二人が奇妙な共同生活を始めてから、かれこれ十年になる。
「どれ。久しぶりに市中へでも繰り出すか」
本堂の縁側に寝そべっていた愚息が口を開く。
「辻博打か」
新九郎は聞いた。
うむ、と愚息はうなずき、こちらを見てにたりと笑った。
「また懲りもせずに、とでも思っているのか」
つい苦笑した。
「食うには困っておらぬのに、ご苦労なことだ」
すると、この十ばかり年上の破戒僧はさらに相好を崩した。
「いつぞや言った通りだ。誰かの銭で徒食すれば、やがては心までそやつに隷属する」
新九郎はこの瓜生山麓で『三合庵』という剣術道場を開いている。一日の教授料が米三合ということから命名したのだが、田舎道場のわりには、相当に流行っている。その米を銭に換えた貯えが庫裏の中に充分にある。
「わしの銭でなら、別に徒食してもいいではないか」新九郎は言った。「現にこの寺はおぬしのもので、わしもそこに住まわせてもらっている」
境内を青空道場として使わせてもらってもいた。自らの剣技を、近隣の農民や地侍の子息たちに教えているのだ。
しかし愚息は再び笑った。
「寺院など、この荒れ寺に限らず誰のものでもないわい」
「では誰のものだ」
「世のため人のためにある。そもそも仏道とは個の求道のためにある。ましてや托鉢や葬式を行うためではない」
愚息はかつて肥前松浦党の倭寇だったころ、暹羅のアユタヤという町で原始仏教に触れた。以降、天竺に存在したという仏陀ただ一人を敬うようになり、頭を剃りこぼった。
むろん正式な得度ではない。単なる聖だが、里の者から頼まれて仕方なく葬儀を行っても、謝礼は一切受け取らない。むろん托鉢もやらない。必然、日々の糧は辻博打で賄うことになる。
新九郎は以前、わざと聞いてみたことがある。
「されど、賭け事で銭を儲けるは、仏道には反せぬのか」
すると愚息は、目の端で笑った。
「わしはの、自分への好意や敬意、己の信条を金に換えようとは思わん」
「ほう?」
「そのようなやり方は、釈尊も決してお喜びにはなるまい。ならば双方が欲得ずく、納得ずくの博打で銭を得たほうが、まだましだ。釈尊も笑って許してくれよう」
と、手前勝手な理屈で締めくくった。
けれど、これもまたひとつの生き方だろう。
雨はあがったが、田は満々と水を湛え、農民たちの農繁期は続いている。よって道場はまだ暇だ。結局、新九郎も愚息の洛中行きに付き合うことにした。
鴨川を越えて大原口まで来た時、愚息が口を開いた。
「ところでおぬし、わしの日銭稼ぎをずっと眺めておるつもりか」
そう言われれば、日がな一日付き合うのもなにやら愚かしいような気もする。
「まあ、飽きたら吉岡にでも顔を出してみる」
吉岡とは、今出川にある吉岡兵法所のことだ。足利将軍家指南役で、日ノ本一の剣術道場である。当主の二代目吉岡憲法こと直光とは、過去に多少の経緯があって昵懇になった。その憲法に請われ、たまに門弟たちに稽古を付けに行く。そしてそれは、自分の剣技をさらに磨くためでもある。
やがて、いつもの三条通りの辻へと着いた。
愚息が路傍に筵を敷き、その上に頭陀袋を逆さにして、明銭を山のように盛り上げる。見せ金だ。その見せ金に惹かれて人々がたむろして来るのを待つ。
ふと思い出し、口を開いた。
「ところで十兵衛は、元気にしておるのかのう」
「あやつにはあやつの生き方があろう。が、今どきお家再興などという志は流行らぬぞ」
「仕方がなかろう。明智家はかつて美濃の名流だったというではないか」
明智十兵衛光秀のことである。
光秀ともまた、十年ほど前に知り合った。つい近年までは妻子持ちでありながら長らく牢人同然の分際で、一条大宮に居を構える和泉細川家、兵部大輔藤孝の掛人――つまり居候に過ぎなかった。その落魄し切っていた頃からの仲だ。
けれど愚息は、ふん、と鼻先で笑った。「明智家など、単なる田舎源氏よ」
光秀は昨年の夏、上洛を目論んでいた織田信長に仕えた。越前に居た足利義昭の伝手を使い、織田家に仕えたのだ。九月、信長はその義昭を奉じて上洛した。
光秀も信長に随行し、織田家の直臣として晴れて再入京を果たした。その際に南近江は長光寺城の攻略で武功を立て、さらには今年の一月、本圀寺を仮御所としていた足利義昭を三好三人衆の総攻撃から守り抜き、再びの華々しい戦功を立てた。
結果、光秀は信長からますます才幹を見込まれた。
今では織田家の重臣、丹羽長秀、木下藤吉郎らと共に、この京の市政官を務めている。昼夜の別もないほどに忙しく立ち働いているようだ。
その市政官を務め出した頃から、愚息は光秀のことを嫌い始めた。時には、
「あの薄禿めが――」
と、かつての友垣を悪しざまに罵ることもあった。
確かに光秀は四十を一つ二つ越えたばかりだというのに、髪がすっかり薄くなってしまっている。そして織田家に仕えて以来、月代がさらに照り輝くようになっている。おそらくは睡眠不足で、ますます毛が細く薄くなってきた。
その粉骨砕身の忠勤ぶりが、愚息にはどうにもやり切れぬらしい。
「最近のあれは牛馬や犬と同じだ。立身という餌を目の前にぶら下げられ、信長にいいように追い使われている。なによりもげんなりするのは、当人に牛馬の自覚がまったくないということだ」
光秀のその自覚の無さは、時に新九郎も感じる。それでも庇いだてするように言ったものだ。
「寄らば大樹の陰、とも言うではないか。十兵衛は織田家で成り上がることを目指しているのだ」
が、この弁護にも愚息は顔をしかめた。
「馬鹿が。信長など、どこに心があるのか分からぬような男だ。そんな信長などが君臨する織田家の、どこが『大樹』かよ。畜生根性丸出しだ。虚仮もほどほどにせい」
そんなやり取りをしている間にも、山盛りになった銭の前に野次馬たちが集まり始めていた。
愚息は四つの椀を取り出し、筵の上に並べる。次いで、築地塀の脇に転がっていた小石を一つ、手に取った。
「皆々、世の幸せは銭の多寡に非ず。心の持ちようである。されど、多少の銭で心を潤すことは出来る」愚息の口上が始まった。「そして今ここに、多少の銭がある。わしとの賭け事に勝てば、これを進ぜる」
二人の前にいた人々たちがざわめく。
「はて。その賭けとはいかなるものか」
「簡単じゃ。この石ころ――」と、石を椀の一つに入れ、筵の上に伏せた。残りの空の椀も次々に伏せる。「これらの椀のどれに石が入っているかを、当てるだけじゃ。では、賭けたい者は背中を見せよ」
観衆の半ば、五人ほどの足軽と思しき男たちが後ろを向く。愚息の言葉はなおも続く。
「では残りの方々は、わしが偽をしておらぬかどうか、しかと見届けられよ」
言いつつ、四つの椀の位置を入れ替えた。その上で椀をすべて開け、石がどれに入っているかを野次馬たちに確認させる。そしてもう一度、同じ位置のまま椀を伏せる。
「どの椀に石が入っておるか、これは最後まで変わらぬ。では、わしに挑もうとされる御仁は、こちらを向かれよ」
五人ほどの足軽たちが、改めてこちらに向き直る。
「はて。いずれに石が入っておるか」愚息は言った。「賭ける椀は一つである。皆で話し合われよ」
足軽たちは何やら話し合っていたが、やがて一つの椀の前に、それぞれが出し合った明銭を盛った。
「坊主よ、四つのうちの一つであるから、勝てば銭は四倍になって戻って来るのであろうな」
一人が用心深く確認する。
むろん、と愚息はうなずく。「が、単にそれだけでは芸がなかろう。椀を二つに減らすという手もある」
直後には椀を二つ開けた。空だった。残る椀は二つ。石の入っている椀と、空の椀である。
「これで二つに一つ。どちらかに石が入っておる。半々じゃな。勝てば倍にして返す」一方の椀の前には三十枚ほどの明銭が置かれている。「じゃが、負けてすっからかんになるのも業腹であろう――」
言いつつ、愚息はその明銭の中から一枚を手に取り、最も多く銭を張った足軽に投げ返した。次いで自らの銭の山から、足軽たちの賭け銭に一枚を付け足した。
新九郎は懐手のまま、危うく笑い出しそうになる。愚息の仕掛けが始まった。
「わしからの心付けである。どうじゃな、二つに一つならば、その明銭はやる。それとも四つの椀に戻すか。ならば一枚は返してもらう」
案の定、足軽たちはお互いに騒ぎ始めた。その中の若者が口を開く。
「四つに一つで四倍。二つに一つで倍返し。損得はどちらも変わらぬ。一枚ぐらいの差ならば、大きく張ったほうが勝負というものではないか」
それに年嵩が言い返す。
「違う。二つに一つならば、賭けるごとに一枚は得するのだ。のう坊主、それで良いのじゃな」
「然り。三十枚ほども張ってくれれば、一枚は戻す」
「勝つも負けるも半々である。ならば、やる度に一枚得したほうが、我らは回数を重ねるにつれ、その一枚がどんどん積み重なる。得する、という勘定よ」
さらに別の者がようやく気づいたように大声を上げた。
「なるほど。やればやるほど我らは丸儲けということか」
新九郎は再び腹の中でほくそ笑む。
確かにそうだ。勝つも負けるも半々ならば、やる度に一枚ずつ得られる方が確実に得するだろう。
それでも最後には、愚息が圧倒的に勝つ。これは、四つから二つの椀に減った時点でそういう勝負だ。ようは、考え方の問題なのだ。
「さて、どっちかのう」愚息が唄うように言う。「二つのうちのどちらかには入っておる。このままでいくか、もう一つの椀に鞍替えするか。さ、今ひとたび思案しなされ」
足軽たちは再び騒ぎ始めた。
「なんと、今ひとたび選んでいいと申すか」
「じゃが、鞍替えするのは気が進まぬの」
「そうじゃ。初志貫徹とも申すぞ。潔いほうがいい」
結局、足軽たちは最初の椀で勝負に出た。たいがいの人はそうする。最初に自分が決めた選択をなかなか変えたがらない。広く言えば生き方もそうだろう。己の選択への過信――自己愛の変形だ。
愚息が二つの椀を同時に開けた。石は足軽たちの賭けたほうに入っていた。愚息の負けだ。
相手の銭は六十枚になった。
「どうじゃ」愚息がのんびりと口を開く。「いま一度やるか」
「やる」
「『四つの椀』か。それとも『二つの椀』か」
「むろん四つじゃ」
言いつつ、賭金をごっそり四つの椀の一つの前に盛る。愚息はまた一枚の明銭を足軽たちに返し、四つの椀のうちの、空の二つを開ける。
足軽たちは再び選択を変えなかった。
残った二つの椀を同時に開ける。今度は愚息の勝ちだった。
そうして足軽たちと勝った負けたを繰り返すうちに、次第に愚息が勝ち始めた。
新九郎は見ているうちに、やや退屈し始めた。
当然だ。彼らはそのうちに、愚息から与えられた小銭も含んで完全に螻蛄になる。最初に選んだ椀の選択を変えない限り、四回に三回は愚息が勝つことになる。
そして彼らが文無しになれば、野次馬の中から次に愚息に挑む者が出てくる。そして彼らもまた、勝負するごとに一文得だと思い、二つに一つの椀への賭けを望む。
「わしはちと、吉岡へと行ってくる」
おう、と愚息は気安く応じる。「わしと皆の衆、どちらが勝つにせよ、二刻(約四時間)もあればおおかたの勝負がついている」
また、このような言い方をする。詭弁極まりない。
新九郎は笑ってその場を去った。
今出川にある吉岡兵法所に向かい始める。
道場に到着すると、二代目憲法直光は外出していたが、門弟たちが諸手を上げて迎え入れてくれた。
「おぉ、これは『笹の葉』殿、よくぞいらして下さいました」
と、常に下にも置かぬもてなしをしてくれる。
新九郎はかつてまだ兵法者の駆け出しの頃、故郷相州の地名を取って玉縄新九郎時実と名乗っていた。その後、京に出て独自の剣技を編み出した。笹の葉の動き出しから会得したものだ。この吉岡兵法所の門人たちを真剣勝負にて何人も破った。
以降、京洛で新九郎の名は一気に上がった。京童たちは彼を『笹の葉新九郎』と呼ぶようになった。そして徒に致命傷までは負わせぬ新九郎の人柄に吉岡直光が好意を持ち、兵法所とは以来の付き合いとなる。
「さ、ここによくしなう若木を集めておきましたゆえ、早速にも稽古を付けてくだされ」
笹の葉の代わりだ。田舎道場のずぶの素人なら笹の葉の打ち合いの稽古で充分だが、さすがに百戦錬磨の吉岡の門弟たちには物足りないらしい。
新九郎はその求めに応じた。幹が柔らかく、よくしなう若木の枝を持って対峙する。これなら多少打ち合っても、相手に大怪我をさせることはない。
新九郎の剣技は、その初動を相手に察知させぬことに最大の特徴がある。真剣の勝負では、ほぼ初太刀で勝負は決する。二ノ太刀まで行くことは滅多にない。だから初動を悟られぬほうが勝つ。
分かる。
相手の動き出し。若木の細い先端が打ち込もうとする直前、反動で微かに揺れる。両肩や腕、手などの無駄な力みが、若木の先に伝わる。中央、あるいは右左のどちらから振り下ろしてくるのかも、先端のしなりの方向で見切ることが出来る。それは真剣の場合でも、若木や笹の葉ほどではないにしても、確実に予兆が出る。
対する新九郎は、全身のどこにも力が入っていない。反動を極力抑え込むことにより、初太刀の起こりとその太刀筋はほぼ読めない。若木を振り下ろす刹那に、枝を握る小指から順に、薬指、中指へと急激に力点を移していく。人差し指と親指は添えるだけだ。この細かい分節の動きを滑らかに、かつ一瞬で行うことにより、静から動への移行が抑えられる。動き出しの終わった若木に、一瞬で勢いを付けていく。
新九郎は相手の動き出しの刹那を狙い、何度か相手の腕や肩口を打った。相手が替わる。今度もまた据え物を斬るように、ぽん、ぽん、ぽんと軽く打ち込んだ。
そうこうして十数人ほどを相手にした。誰も新九郎の四肢にすら触れることが出来ない。
「いや、参りましたな」最後の一人がついに破顔した。「我らとて、昨日今日の駆け出しではないのですがの」
新九郎もまた苦笑した。
「お気になさるな。ようは初太刀の予兆をいかに抑えられるか。要諦はそれだけにござる」
「が、なかなかそううまくはいきませぬよ」
ふむ、と新九郎は最も細い若木を取り上げ、片手に持った。皆に分かりやすいように、敢えてゆっくりと振ってみせる。
「この若木の先がしなわなければ、動き出しは悟られませぬ。故にまずはそろりと振り下ろすことから始め、その動かぬところから徐々に速さを付けていきなされ」
が、吉岡の門人たちは釈然としない顔つきをしていた。
「されど、ゆったりとした動き出しでは、そもそも太刀筋を読まれまする」
これにも新九郎は即答した。
「起こりの刹那は、刀身の自重のみで起動させる。どの指にも力は入れず、添えるのみでござる。未だ両手に力が籠っておらぬからこそ、直後からの太刀行きは自在でござる。故に、初動が心持ち遅くとも、相手には太刀筋が読めませぬ。動けませぬ」
さらに言葉を続けた。
「仮に相手が読めたと勘違いし、構えの変化を見せたら、その裏を突く。そこから真の太刀行きに入る。打つのではなく引くようにして、刀身の重みを活かす。さすればまだ軌道には多少の変化を加えられまする。敵は完全なる後手に陥る。さらに構え直している間に、切っ先は容易に相手の体に届く、という寸法でござる」
言いつつ、宙に漂う蚊が目にとまった。若木の切っ先を近づける。蚊が逃げる。その行く手に先端をひょいと先回りさせる。蚊がふらふらと別方向に逃げる。
「蚊も同様。動き出しが読めぬからこそ、ゆったりとした動きでも捕まえにくきものでござる」
言い終わり、
とん、
と手首だけを震わせて打った。潰れた死骸が道場の床にすとんと落ちた。
気づけば愚息と別れてから、一刻と半ばが過ぎていた。新九郎は東洞院大路を南に下り始めた。
三条の辻へと戻ると、愚息の筵の前には先ほどよりさらに人だかりが出来ていた。
近づくにつれ、その群衆の中心でなにやら怒鳴っている声が聞こえる。人垣をかき分けて前に出ると、先ほどとはまた別の足軽たちが七、八人ほど、愚息の前で息巻いていた。
「うぬは、やはり偽を使っておるっ」一人が唾を飛ばしながら喚いた。「でなくば、これほどおぬしだけが勝ち続けるわけがないっ」
「何の戯言を」愚息がうんざりしたように言う。その前には明銭が堆く積まれている。よほど勝ち越している。「こんな素の賭けにまやかしなどあってたまるかよ。わしが椀の石を動かしておらぬのは、ここの皆々が見ておられる」
途端、それに賛同する声が周囲から湧いた。
「そうじゃ。同じ椀で偽などない」
博労が言えば、鮎売りの行商人も同調する。
「坊さんが入れた最初の椀から、石ころは動いておらぬ」
それらの野次馬たちの感想に、別の足軽が嚙みついた。
「ならば何故、この売僧だけが勝ち続けるっ」
「知れたこと」代わりに愚息が口を開く。「今日はわしの日であり、おぬしらにはつきがなかった。それだけのことよ」
噓だ、と新九郎はおかしくなる。四つから二つの椀の賭けになった時点で、愚息が勝つことは約束されている。まやかしではない。仕組みの問題だと再び感じる。
が、その仕組みを知らぬ足軽たちは納得出来なかったらしい。
「ならば、我らのつきをそっくり返してもらう」
一人が言うや否や、筵に飛びついて明銭の三分の一ほどを我が身に引きつけようとした。
「何をするか」
愚息がその顔を蹴った。相手が尻餅をつくようにしてひっくり返る。他の足軽たちが激昂し、錆槍を一斉に愚息に向けた。愚息もまた傍らの六尺棒を手に取り、八人を相手に大立ち回りを始めた。それら足捌きの土埃がたちまち周囲に舞い始める。
けれど、
まあ、大丈夫だろう。
と、新九郎は依然懐手のまま気楽に傍観していた。かつて愚息は、新九郎が独自の剣技を編み出す以前は、自分と負けず劣らずの腕前だった。倭寇だった頃に唐人や高麗人を撫で殺しにしながら斬り覚えて来た技量だ。そして赤樫の六尺棒も、その気にさえなれば相当な殺傷力を有する。
反面では、ご苦労なことだと思わないこともない。賭け事でこんな危ない橋を渡らずとも、おとなしく近隣の里の求めに応じ、葬式仏教で素直に小銭でも得ていればよいのだ。
が、それはこの男の信条には、やはり合わぬらしい。
愚息は足軽たちとの乱闘の中で、するすると足捌きを続ける。外洋の揺れる小舟の舳先で鍛えた足腰だ。どんな体勢になっても腰が浮いてこない。その度に六尺棒が鮮やかに伸び縮みする。足軽たちは腕や頭蓋、脛、肩口などを次々と打たれ、徐々に劣勢になっていく。
「坊さん、気張れよっ」
「面白い。これは中々の見ものじゃ」
そんな掛け声や笑い声が野次馬たちから飛ぶ。
足軽の首領格と思しき男が、ついに業を煮やした。
「皆、この売僧を遠巻きにせよっ。槍衾にて一斉に突けっ」
すると他の者たちは瞬時に周囲をぐるりと取り巻き、その穂先を整然と中心部に向けた。個としての腕は未熟だが、集団としての合戦には相当に手慣れているようだ。
これでは愚息の打つ手がない。
さすがにこれはならじと、新九郎は声を上げた。
「おい。ここにも坊主の味方がおるぞ」
足軽たちの視線が自分に向いてきた。
「われも仲間か」
首領格が言う。
「仲間ではない。十年来の友垣である」馬鹿正直に新九郎は答えた。「嬲り殺されるのをみすみす看過はできぬ」
言いつつ、誘うように敢えて鯉口を切ってみせた。
案の定、その誘いに足軽たちは乗った。新九郎を新たな標的として一斉に襲い掛かってくる。どこからか愚息の吞気な声が聞こえてくる。
「やはり、持つべきものは友であるなぁ」
この馬鹿たれが、と思わず舌打ちしながらも、気づけば抜刀していた。
それでも特に緊張はない。槍と刀。動き出しの予兆に大した違いはない。それに一斉に襲ってきているように見えても、各々の初動にはわずかな時間差がある。その差異の中を新九郎は搔い潜っていく。
見える。八つの槍先の軌道。穂先の動き出し、手足の挙動から容易に槍の行き筋が読める。どの槍が最初に襲って来るのかさえはっきりと分かる。
対して、わしの太刀筋は読めまい――。
一歩、二歩と死地の中に踏み込みながらも、和泉守兼定を一閃させる。手首を斬り落とした感触さえない。二代目兼定作の之定である。返す刀で二人目の肩口を斬った。命まで取ることはない。動けなくすればいいだけだ。力まず、刀身の重みに身を任せる。三人目、四人目の太腿と脹ら脛を続けざまに斬る。早くも他の者は逃げ腰になり始めている。
が、目の前で唯一蛮勇を奮い、槍を振り上げた男がいる。首領格の足軽だ。
一瞬迷った。けれど、こいつは愚息を槍衾にすることを命じた。明らかに殺す意思を持っていた。直後にはがら空きになった胴を横なぎに払っていた。腹がぱっくりと割れて臓物が飛び出す。
どうせ死ぬ。苦しませる必要はない。
頽れる上半身へ、さらに之定を一振りする。すぽん、と首が飛んだ。
周囲には瞬く間に一人の死骸と血塗れの四人が転がっていた。
新九郎は残り三人のほうを向いた。彼らはぎょっとした顔をして、咄嗟に踵を返そうとした。
「待て」新九郎は声をかけた。「仲間と死体を引き取って去ねい」
「襲わぬのか」
ああ、と淡々と答えた。「既に勝負はついている」
「……名はなんという」
「別に名乗るほどの者でもない」
事実だ。京洛で多少名が知られていても、武家の階級に当てはめれば所詮は埒外の牢人者だ。
けれど、今の生き方に満足している。光秀のようにどこかの大名に仕えようとも思わない。人間など、興味のあることでそこそこ食っていけさえすれば充分なのだ。
生き残りの三人は無言でうなずくと、ある者は死体を担ぎ、ある者は足を負傷した者に肩を貸し、その場を立ち去って行った。
両側を築地塀に囲まれた大路の先に、入道雲が湧き立ち始めている。
今年も夏が来たようだ。
3
まったく、なんということだ――。
明智十兵衛光秀は憤懣を抱えたまま、洛北の瓜生山麓にあせあせと馬を飛ばしている。むろん、愚息と新九郎の荒れ寺に行くためだ。
先ほど、妙覚寺に宿所を構えている信長に急遽呼び出しをくらった。兎にも角にもすぐに来いという。いったい何事かと、市政官の仕事を放り出して二条衣棚の妙覚寺へと向かった。
信長に会うと、昨年から仕え始めたこの主君は怒り狂っていた。
「昨日、市中で権六の配下が手討ちにされた」信長は切り付けるように甲高い声を上げた。権六とは織田家の二番家老、柴田勝家のことである。「足軽大将が腹を搔っ捌かれた挙句、首を飛ばされた。組下の者も傷を受け、廃り者になった奴もいる。権六もかんかんであるっ」
なるほど、とようやく光秀は領解した。
信長は、自らは自儘に振る舞い、激昂すると郎党たちを平然と手討ちにすることさえあるのに、家臣たちがその手の刃傷沙汰を起こすことはひどく嫌う。
そして昨年の上洛後すぐに、『一銭切り』という法令を市中に敷いた。織田軍はいわばこの京洛の征服者だが、自軍の兵に乱暴狼藉を厳しく戒め、たとえ一銭でも京の者から強奪した者は斬刑に処するというものだ。
むろん、自軍に対する狼藉者に対しては、それ以上に苛烈に処断した。
ようは、と光秀は憂鬱になりながらも感じる。
第一に、京の治安を守るべき光秀の職務怠慢を責めている。
次に、その狼藉者たちを草の根分けても捜し出し、おそらくは見せしめとして磔刑にすることまで考えている。けれど洛中洛外は広い。人もそれ以上に多い。捜し出すのは相当な労力を要する。
それでも光秀はすぐに平伏した。
「はっ。さればそれがし、それら賊たちの正体と居場所を直ちに突き止めるべく、探索を開始いたしまする」
「いや――それには及ばぬ」
「は?」
そこでようやく気づいた。
市政官は自分の他に、三番家老の丹羽長秀や出世頭の木下藤吉郎がいる。何故に自分だけが呼び出されたのか。
果たして信長は口を開いた。
「相手は賊たちではない。たった一人である。腕前からして、どうやら兵法者であるらしい」早くも嫌な予感が去来する。「辻博打をやっていた売僧との勝負事で揉めた。槍衾で仕留めようとしたところを、あべこべに連れの兵法者に手討ちにされたらしい」
光秀は額にじんわりと汗を搔き始めた。両脇の下も一気に濡れてくる。
昨年の上洛の際、光秀は近江長光寺城攻略で華々しい武功を立てた。旧友――愚息と新九郎の戦術示唆によるもので、それが縁であの二人は信長に謁見している。信長も二人のことはむろん、生業も覚えているだろう。
信長は冷たい声で言い放った。
「十兵衛よ、いかに」
はっ、と光秀は再び平伏しながらも、必死に頭を回転させる。
「されど、兵法者も破戒僧もこの京には数多おりまするゆえ――」
挙句にはそんなしどろもどろの弁解をしたが、案の定、信長は怒声を発した。
「何の寝言を申すかっ。辻博打の売僧と連れの兵法者と言えば、いかに京広しといえども愚息と新九郎に決まっておるではないかっ」
「……は」
「あの二人はよりにもよって、わしの陪臣を手討ちにした。しかもたった一人に八人もの奴らがいいように嬲られ、すごすごと退散しおった。織田家のいい名折れであるっ。我が家名に泥を塗られた。京童たちもさぞや笑っておるであろう」
光秀は、ますます言葉もない。さらに信長の言葉は続く。
「権六に命じ、戦わずに逃げた者たち三人は処分した。あとはそちの二人である」
おっ、と思わず上ずった声が出た。「お待ちくだされっ。それがしが去る南近江の陣で戦果を得られましたのも、あの二人のおかげでござりますっ。ひいては織田家の役にも立っておりましたっ」
すると、相手は今度こそ額に青筋をくっきりと浮き上がらせた。
「おのれ、この金柑頭――」信長は一声唸り声を上げると、上段から一足飛びに光秀の前に立った。「言うに事欠き、昨日今日仕えたおのれが織田家のことまで引き合いに出すかっ。たいした増上慢になったものよっ」
言うなり、腕を振り下ろした。頭頂部に痛みが走る。扇子でしたたかに頭を打たれた。が、藤吉郎のように足蹴にされぬだけまだましだ。それに、おれもつい言い過ぎた。
だからその後は再三再四、額を床に擦り付けながら二人の助命を求めた。
曰く、これは死人が出たとはいえ、所詮は喧嘩が発端である。そして喧嘩は双方の言い分を聞いてこそ、公平に裁定が出来るものでありましょう、と。
ややあって信長も興奮から覚めてきた。
「そこまで言うならば、まずはあの二人をわしの前に引き連れてこい。言い分を聞いてから処断は決める」
そのようなわけで、光秀は今、瓜生山麓へと向かっている。
やがて見慣れた風景が目前に広がってきた。一面の棚田の中に小川が流れ、その川の流れに沿って坂道が続いている。その傾斜の先に相変わらずの荒れ寺がある。
「…………」
実はこの数か月ほど、この瓜生の里に来ることは絶えてなかった。
一つには市政官の仕事に忙殺されていたこともあったが、もう一つは昨年の末頃から、愚息の自分への当たりが次第にきつくなっていたこともある。
例えば「上様が――」と信長のことを言う時、決まって愚息は顔をしかめた。
「わしらの前で『上様』呼ばわりはよせ。胸糞が悪くなる。世の埒外で生きる我らが、何が悲しくてそのような物言いを聞かせられねばならぬ」
確かにそうだろう。上様とは、本来は将軍や天皇に対してしか使わない敬称である。それを織田家では信長に使う。初めにそう呼び出したのは、追従者で有名な木下藤吉郎であったという。それが家中で広まっていった。
だから光秀としても、そう呼ぶより仕方がない。それ以上に恩義もある。
信長に仕えた途端、生まれ故郷の美濃は安八郡に広大な知行地を貰った。かつて準幕臣として越前朝倉家に仕えた時の十倍弱の所領だ。これだけでも信長への恩義は海よりも深いというのに、さらには二度の武功によって、再び大幅な加増を受けている。
世間では、織田家は家臣に対して薄くしか恩賞を与えないということで有名である。
「信長という男は吝嗇である」
そうしばしば評される。
例えば佐久間信盛、林秀貞、柴田勝家、丹羽長秀、という譜代の家老でさえ、呆れるほどにその知行地は少ない。
信長は、天下への明確な野心がある。そのあまりに『天下布武』という印形まで鼻息荒く作っている始末だ。天下統一のために織田家の直轄領を温存し、信長直属の兵を増やし、機動性に富んだ軍団を維持することに腐心している。逆に言えば、だからこそ譜代の家老たちは、
「もし上様が天下をお取りになれば、我らはいかほどの国持ち大名になれようか」
との期待で、今の薄禄にも我慢し続けて来ている。
けれど信長は、新参者の光秀に対してだけは例外的に大盤振る舞いを続けている。職務もそうだ。丹羽、木下らと肩を並べて京の市政官に抜擢された。そのあまりの気前の良さに、
「上様は明智殿を偏愛なされておる」
という家中の噂さえ立つほどだ。光秀はそれら家中での噂を気に病みながらも、一方では自分の器量をこれほどまでに高く買ってくれている信長という男に、やはり感動の念を覚えざるを得ない。
士は己を知る者のために死す、との故事もある。多少の乱暴を働かれようと、かように自分を篤く遇してくれる信長を、たとえ本人がおらぬからといって、陰で違う呼び方をすることなど到底出来ない。
それらのことを縷々説明すると、愚息はうんざりしたようにこう言った。
「十兵衛よ、それを畜生根性だとわしは言うのだ。おのれの才覚と粉骨砕身ぶりに、信長は相応の対価を与えている。貸し借りはそれで無しというもので、男児というものは厚遇には感謝しながらも、個の精神としては主君からも独立した、乾いた存在であるべきだ。『士』とは本来、そういうものである。少なくともわしらの前ではそうであれ」
新九郎ものんびりと相槌を打った。
「十兵衛よ、おぬしは少し織田家に入れ込み過ぎておる。本来おぬしは明智家再興のために東奔西走していたはずだ。信長の許で立身するためではあるまい」
「では、なんと呼べばいいのだ」
「わしらの前では昔のように、『信長』でいいではないか」平然と愚息は答えた。「それが不敬だと思うなら、『我が殿』とでも『織田殿』とでも呼べばいい」
それでも光秀としては釈然としない。
そのようなやり取りが何度か続き、次第に足を向けづらくなった。
あるいはこんなこともあった。
去る一月、将軍足利義昭が仮御所としていた本圀寺が、三好三人衆の一万の兵に襲われた。護衛として義昭に付いていた光秀は、わずか二千の手勢で三好勢としばし互角に戦い抜き、夜明けに現れた織田家の援軍と共に見事に追い払ったことがある。
春にその逸話を話した時、つい往時の高揚感が蘇り、やや自慢めいた言い方になった。
直後、盃が飛んできて光秀の額に当たった。残っていた酒で、顔もべとべとになった。愚息が投げつけて来たのだ。直後には、
おのれはっ、と大喝した。「昔からの付き合いである我らに、そのような埒もなき高ぶりを見せるかっ」
これが決定的だった。おれの言い方も悪かったが、いくら何でもモノを投げつけるとは酷かろう、と憮然とした。
以来、この瓜生の里には来なくなった。
光秀は寺の境内に入ると、隅の桜の木に馬を繫いだ。周囲の集落には夕霞が漂い始めている。煮物の旨そうな匂いもした。
捜すまでもなく二人は庫裏の縁側にいた。向かい合って吞気に夕餉を取っている。ふと胸がしめつけられるような感慨を覚える。以前は三人で良く酒を酌み交わし、共に笑い合ったものだ。
が、今日は私用で来ているのではない。
二人の許に真っ直ぐに進んでいくと、初めに新九郎が、次いで愚息がこちらを向いた。
「お、久しいの」
新九郎が笑った。光秀も危うく笑みかけたが、すぐに気を引き締める。さらに近づいていく。
愚息が沢庵を歯切れよく齧った。
「今、夕餉の最中である。つまらぬ話なら後にせい。それと、抹香臭い顔つきをわしらの前にさらすな。飯が不味くなる」
一瞬、むっとした。
けれどそれもそうだと思い、残りの食事を二人が食べ終わるまで縁側に腰かけ、大人しくしていた。彼ら二人には牢人の時もずいぶんと助けられたものだ。それくらいの義理はある。
茶で白飯を流し込みながら、新九郎が聞いてきた。
「時に煕子殿は健勝か」
光秀がこの二十数年、愛して止まない妻の名だ。落魄の最中でも子供が三人も出来た。むろん浮気などしたことはない。これには素直にうなずいた。
「逆に煕子も、おぬしらが元気か心配しておった」
これには愚息も少し微笑んだ。
「変わらず良き女性であられる」と、煕子に対してだけは丁寧な言葉遣いをした。「どこぞの馬鹿と違って多少立身したからと、上ずったところが少しもない」
その上ずった馬鹿とはおれのことか、と言い返したいところを、またしてもぐっと堪える。
愚息は飯を一通り平らげた後、口を開いた。
「で、用があるのであろう。何ぞ」
うん、と光秀はうなずきながら縁側に正座した。
「時に二日前、三条の辻で足軽たちと喧嘩になったか」
あぁ、と気楽そうに新九郎がうなずいた。「相手は博打で負けが込み、愚息を槍で田楽刺しにしかけた。仕方なくわしが首領格だけは成敗した。他の者には加減してやったがの」
やはり、と思わず溜息をつく。
「それは織田家の二番家老、柴田修理亮殿の組下の者たちであったわ」
「だから何ぞ」愚息が早くも低い声を上げる。「誰の組下であろうが、非はあの者たちにある」
「それは分かる」光秀もつい言い返す。「が、その件で上様は非常にお怒りであら――」
言い終わる前に腰に衝撃が来た。あっ、と思った瞬間には体が真横から『くの字』に曲がり、縁側から地べたに転がり落ちていた。愚息がしたたかに蹴り飛ばしたのだ。
「何をするかっ」
これには光秀もつい大声を上げた。いつの間にか仁王立ちになった愚息も負けずに言い返す。
「じゃから、わしらの前でその上様呼ばわりはよせと、何度も言うておろうがっ。いつの間におぬしは信長の幇間同然になり下がった。まったく情けない奴じゃ」
まあまあ、と新九郎が間に割って入る。光秀に片手を差し伸べ、縁側へと軽々と引き上げる。
「愚息よ、おぬし少しやり過ぎである」
「ふむ」
「十兵衛よ、おぬしもおぬしだ。いい加減わしらの前で、その呼び方は改めよ」
「……分かった」
答えながらもふと情けなくなる。
光秀と愚息はほぼ同年の四十過ぎだが、新九郎は二人より一回りも下のまだ三十前後だ。知り合った頃は坂東から出て来たばかりの兵法者で、二十歳そこそこの血気盛んな若者に過ぎなかった。
それが五、六年前に独自の剣技に開眼してからというもの、内的な境地も急速に深まってきた。何気ない所作や物言いが柔らかく、それでいて周囲を鎮めるような圧がごく自然に滲んでいる。むろん光秀も時に気圧されるものを感じる。
ともかくも光秀は再び縁側に座り直した。落ち着きを取り戻した愚息が口を開いた。
「言え」
用件の続きを、ということだろう。ふと、こういう言葉の激しい省略や短気な部分は信長にそっくりだと感じる。
「我が殿が申されるには――」光秀はそういう言い方をした。「ともかくも一度、わしの前で申し開きをせよ。その上で是非を判断する、ということであった」
「わしらは何も悪いことをしておらぬ。故に行かぬ」あっさりと愚息は即答した。「むしろ日銭稼ぎを邪魔され、いかい迷惑であった。そのこと、加えて信長に伝えよ」
やはり。
しかし、それでは自分の立場がない。
が、直後には我が身の身勝手さにはたと気づいた。
…………。
そうなのだ。刃傷沙汰を聞いた当初から、二人が悪かっただろうとは一瞬たりとも考えたことがない。まして愚息と新九郎の人柄からして、好んで諍いを起こすようなことは絶対にない。そんな二人を信長の許になんとか連れていこうとしているのは、単に自分の都合でしかない。おれは、おれの保身のためにしか動いていない……。
そう改めて自らの料簡を自覚した直後、
「頼む」光秀は声を上げながら、頭を下げた。縁側の板の間に額を擦りつけながら本音を吐露した。「おぬしらが悪いとは思っておらぬ。されど、おぬしらを連れて参らねば、家中でわしの立つ瀬がない」
さらに懸命に説得の言葉を続けた。
「おぬしらは我が殿の前で存分に申し開きをしてくれればよい。その上で殿が怒るようであれば、わしがその場にて盾となる。いざとなれば腹を搔っ捌いて詫びる。だから一緒に来てくれ。頼むっ」
むろん本気だった。いよいよの時は自分が詰め腹を切る。それで事を収める。この二人のように自らの生き方にも節義を通す。
この心底からの平身低頭には、さすがに二人も黙り込んだ。
光秀は、半ば事が成ったのを感じた。
案の定、
「しかたがないのう」新九郎が溜息交じりに呟いた。「事の是非は是非としても、大の男がここまでの覚悟で頭を下げておる。愚息よ、此度だけは光秀に折れてやってもいいのではないか」
ややあって愚息が答えた。
「……分かった。ただし信長の前に出ても、敬称などは付けぬぞ。わしらは既に世外の者ゆえな」
世外の者とは、この世の仕組みに取り込まれていない人、ということだ。事実、二人は浮世のどの階級にも属さない。
しかし、それではさすがにまずい。
少し考えた後でこう答えた。これまた正直な気持ちを伝えた。
「愚息、新九郎よ、おぬしらがこの世の縛りの埒外で生きているのは知っておる。その生き方も、わしなりに尊重しておる」その上で切々と説得し始めた。「だがこれは、人と人との礼儀というものである。我が殿とてそこは人である。これまで一度しか会っていない相手から呼び捨てにされれば、誰しもいい気分はせぬだろう。ましてや殿は生まれてこの方、誰からも呼び捨てにされたことがないお方である。その部分だけは、さすがに気遣ってはくれまいか」
すると二人は、再び黙り込んだ。
光秀はこの時、ありていな正論よりも腹の底から出た本音が人を動かすことをしみじみと悟った。
4
柴田勝家は、事前に信長から怒り狂うように言い含められていた。
「よいか。おのれが怒れば怒るほど、あやつらの立場は悪くなる。わしの言うことを聞かざるを得なくなるのだ」
そう、意中も明かさずに命じてきた。いつものことだ。
けれど、いくら配下がやられたからといって、それを出しに明智十兵衛光秀を脅すのは気が乗らない。
第一、先に手を出したのはこちらだ。しかも八対一の刃傷沙汰で、さらには完敗だった。忌々しいがこの事実は変えられない。
それでも主君の言葉に従ったのは、明智光秀の長年の連れである二人とやらに、以前から興味があったからだ。
昨年の長光寺城の攻略で光秀が華々しく武功を上げたのは、これら朋友が光秀に示唆を与えたからだという。単なる坊主と兵法者ではないのだ。
そもそも信長も本来、神仏の脅しで徒食する神官僧侶や、己の技量を誇るだけで、鎧兜を纏った戦場では何の役にも立たぬ兵法者などは毛嫌いしていた。
それでも信長は一年前、引見時にからからと笑ったという。
「わしに利をもたらす者であれば、たとえ閻魔とでも添い寝してやるわ」
そして実際に光秀の朋友に接見した後は、二人の才華を大いに気に入り、褒美として黄金を三十枚も与えた。吝嗇な主君にしては滅多にない大盤振る舞いだ。
つまり、光秀の朋友をそれほどまでに気に入ったのだろう。
現に、光秀にも後でこう告げたらしい。
「あの者ども、只者ではない。十兵衛よ、今後もおのれにとっても有用である。大切にせよ」
だから此度の密かな指示は、単にけじめをつけさせるというだけでなく、何か他の目的があってのことだと踏んだ。
勝家は、光秀と友垣の二人が妙覚寺の謁見の間に姿を現した時、言われた通りに信長の下座で怒り狂った。
「いったい、わしの組下になんということをしてくれたのだっ」
「そちらは博打でまやかしを働いたというではないか。じゃから喧嘩になった」
「我ら柴田の旗の者は、今では市中のいい笑いものになっておる」
なおもねちねちと言葉を重ねた。
「殺された足軽大将は、中々に指揮の得手であった。わしは得難き者を失くした」
「だいたい辻博打は、市中では今春より上様の命で禁止されていたはずだっ」
反面では、そんな自分にややげんなりもしていた。
明智光秀は、勝家と信長の前で米搗き飛蝗のように何度も頭を下げ続けている。照り輝く頭頂部には、びっしりと細かい汗が浮かび上がっている。
勝家はこの新参者のことは、以前から妙に利口ぶる印象もあってあまり好きではなかった。なかったが、それでもやはり気の毒には感じる。
が、一方の聖と兵法者はといえば、そんな勝家の怒気の連続にも、どこ吹く風といった顔つきだった。聖は今にも鼻でもほじり出しそうな気配だし、兵法者に至っては、さっきから何度も欠伸をかみ殺している。
勝家と信長の左右には、織田家直臣の荒小姓たちが十名ほど居並んでいる。いずれも信長が選りすぐりの自慢の若武者たちである。
ようは、と勝家は思う。
この光秀の朋友とやらは、万が一これら荒小姓たちと事を構えることになっても、充分にこの場で制圧できる自信があるのだろう。そしてその自信は、この二人の気楽に構えながらも微塵も隙の無い佇まいから、あながち自惚れでもなかろうとも感じる。
しばし勝家が文句を続けた後、ようやく信長が口を開いた。
「かように権六は怒っておる。愚息よ、なんぞ弁明があるか」
すると愚息と呼ばれた聖は、信長に柔らかい笑みを向けた。が、その口にすることは失礼千万だった。
「申し訳ありませぬが、修理亮殿のかような戯言など、一向に我が耳には届きませぬなあ」
これには小姓たちが一斉に色めき立った。
「聖風情が上様や修理亮殿に対し、何たる非礼っ」
「おのれ、この場で斬り殺してくれるわっ」
そう口々に怒声を発し、中には早くも刀に手をかけ、腰を浮かしている者までいる。
が、愚息は相変わらず落ち着き払ったものだ。
「まあ、待たれよ。織田殿の申される通り、まずはわしの言い分を聞かれよ」愚息は再び信長に微笑みながら片手を上げ、次いで闘犬のような目つきで小姓たちを睨め回した。「やりたいのであれば後で存分に相手になろう。が、おのれらのような飯粒どもなぞ、わしら二人にまた叩き殺されるのが関の山ぞ」
束の間の気合のようなものだ。小姓たちはその気魄に一瞬、動きを制された。
「挙句、おのれらは修理亮殿の手の者と同様、織田家に対して恥の上塗りをする羽目になる……それでも良いのかっ」
ふむ、と勝家は変に感心する。そのよどみない啖呵、一瞬で醸し出された殺気。この男、これまで相当な場数を踏んできている。単なる虚喝ではない。だからこそ気圧される。
気づけば隣の兵法者も仕方なさそうに笑っていた。この男もまた、容易にそれが出来ると思っているのだろう。現にこの兵法者一人に、勝家の配下八人は手もなくやられている。
「待て。静まれ」信長は静かに言った。「わしはまだこの者らの言い分を聞いておらぬ。それまでは手出し無用ぞ」
すると、愚息は弁じ始めた。
「わしは、博打でまやかしなどは使っておりませぬ。四つの椀から二つの椀に転じ、さらに一つを選ぶというあの仕組みにてやっておっただけで、しかも二つの椀になった時の選択は、修理亮殿の手の者に委ねておりました。故に偽などはありませぬ。その仕組みに気づかなかった彼らが負ける。当然でござる」
ふむ、と信長はここで初めて笑みを洩らした。「長光寺城のあの手か」
「然り」
「からくりに気づかず、そちに文句を付けて来た側が悪いと申すのか」
愚息は、この信長の言葉を微妙に言い直した。
「その仕組みが分からず、言いがかりをつけて来たほうが無体であると申したいわけでござる。挙句には滅多刺しにされかけ、仕方なく反撃し申した」
「自業自得と申すか」
愚息はうなずいた。
しかし、信長はうなずき返さなかった。
「されど、わしは市中での辻博打を禁じておる。それをおぬしらは破った」
と、ここで初めて兵法者が口を開いた。
「あいや、織田殿。それがしにも多少モノを言わせてもらってもよろしゅうござりますか」
「なんぞ、新九郎」
すると新九郎と呼ばれた三十前後の男は、ゆったりとした口調で言った。
「我らは洛外の北に住む者にて、未だその市中の禁制を知り申さず。故に、破ろうとして破ったわけではありませぬ。さらにはこの愚息、自ら聖になりながらも神仏の威を借りて日々の糧を得たことは一度もなく、この点もご勘案頂ければ幸いにて候」
ふむ、と信長は再び含み笑いを洩らした。
「じゃが、禁制は禁制であるぞ」
勝家は、主君の意図が未だ読めない。
言葉とは裏腹のその表情から、愚息と新九郎には未だに好意を持っている様子だ。一方では、勝家にしつこく難癖を付けさせて嬲っている。いったい何を考えているのか。そして、このやり取りの行き着く先はどこなのか。
しばし思案顔だった愚息が軽く溜息をついた。
「禁制とあらば、仕方ありませぬな。それがし、この京を退転いたしまする」
光秀が急に慌て、隣の男の袖を引いた。
「これ愚息っ、早まるなっ」そして信長を見上げ、再び額を畳に擦り付けた。「上様っ、何卒この二人をお許し頂けるようお願いいたしまするっ」
が、信長は光秀の言葉など聞いていなかった。
「愚息よ。退転して、いずこへ参ると申すか」
「織田殿の未だ力の及ばぬ殷賑の町でござる。相州の小田原でも良し、あるいは山陽筋の果ての赤間関でも良し」
そう、東国と西国にある陸海の要衝を挙げた。
「上様っ」
光秀が悲痛な叫び声を上げた。よほど長年の友を近場から失いたくないと見える。
その光秀に対し、信長が冷然と答えた。
「十兵衛よ、うぬも市政官ならば分かるであろう。愚息だけを別扱いするわけにはいかぬ」
その反応を受け、新九郎も口を開いた。
「相模ならばわしの故郷ゆえ、多少の知り合いもある。共にこの京を去るか」
「ふむ」
が、ここで信長が言った。
「それだけでは足りぬ。おぬしら二人は我が織田軍の兵を殺した。そのけじめだけはつけさせてもらう」
愚息がついた溜息は、一度目よりさらに大きくなった。
「では、どうなさると言われるか。今ここで手討ちになさるおつもりならば、我らも黙ってやられるは業腹にてござる」次いで、小姓たちを再び眺めながら淡々と続けた。「そこに居並ぶ若侍くらいは、冥土への道連れにし申す所存」
この事態に、光秀はますます顔を蒼褪めさせた。
「お待ちくだされっ。嫌がるこの二人を連れて参ったのはそれがしでござる。ならば、代わりに拙者を処分してくださりませっ」言うや否や脇差を腰から抜き、震える声で言上した。「もし御所望とあらば、今ここで詫び腹を搔っ捌いてみせまするっ」
ほう、とこんな場合ながら勝家は妙に感心した。
この四十がらみの男、小利口で何事もそつなくこなせるだけが能かと思っていたら、いざとなれば一文にもならぬ友誼に命を張ることも心得ている。少なくとも、恐怖に慄きつつもその覚悟がある。主従という縦の関係だけではなく、横に繫がる関係もこの浮世には必要だということが分かっている。
そしてそれは、勝家が未だ気にかけつつもなおざりにし続けてきたものだ。
目の前の薄禿は、命ある限りは今後も家中で立身するだろう、と何故かぼんやりと感じた。
「待て、十兵衛。そのような意味ではない」信長は落ち着いた声を出した。「わしが今から申すことを吞んでくれれば、愚息と新九郎よ、おぬしらに今後、辻博打などせずとも当分は遊んで暮らせる銭を進ぜよう。むろん処分も不問とする」
「はて?」
愚息が首を捻ると、信長は言った。
「今、東国と西国の話が出たな。ちょうどわしの念頭にも、昨今そのことがあった――」
続けて、小姓たちのすべてに謁見の間を去るように命じた。あとに残ったのは勝家と主君、そして光秀ら三人だけだった。
やはり、はなから処罰する気はなかったのだ。
「まずまず、近う寄れ」
信長は一声上げ、光秀たち三人に膝元へと来るように言った。愚息と新九郎はすんなりと勝家の脇まで膝を詰めてきたが、光秀は遠慮して、二人のやや後方までしかその身を進めなかった。
途端に信長は顔をしかめた。
「十兵衛よ、何をしておる。寄れと言ったら近う寄れっ。それでは密か事が話せぬ」
そう言われ、ようやく光秀も信長のすぐ下座までやってきた。
信長は勝家たち四人を前に、まずはこう言った。
「今より申すこと、構えて他言無用ぞ」
「はっ」
いよいよ本題だと感じ、勝家は平伏した。光秀も同様である。
ややあって信長の言葉は続いた。
「……わしは思うのだ。武門の戦いとは、所詮は銭で決まる」上座に座る徹底した現実主義者は、低い声で言った。「戦費を賄い続けられる者だけが最後には勝つ。この一事を分かっているであろう武門が、日ノ本に少なくとも二つある」
光秀が未だ恐縮しつつも、すぐにうなずいた。
「とはいえ年貢の米や麦など、この国のどこでも穫れる。珍しくもない。買い叩かれ、戦費に換えるには見返りが薄い。申している意味が、分かるか。世の人々は希少なモノに高値をつけるものぞ。さらに年月が経っても腐らず、嵩張らねば、なお遠路での交易に向く」
信長は不意に微笑んだ。
「愚息よ、ここまで言えばおぬしには分かろう。倭寇とはそもそも、海洋交易が生業ゆえ」
左様、と相手もうなずく。「我らは、非常の折にしか戦はしませなんだ。そして常は、銀子にて商取引をしておった次第」
「それである」信長は扇子で片膝を叩いた。「我が国の銀の産地と言えば、まず石見銀山である。宣教師らの話によれば、石見ほどの銀を産する場所は明や朝鮮、天竺にもなく、暹羅や呂宋にもない。遠い南蛮以東から見ても最大であるという。そこを、西国の毛利が押さえている」
愚息が苦笑した。
「むしろ、かつての我ら以上にお詳しゅうござるな」
「当然である」信長は即答した。「わしは物事を調べる時も常に本気だ。武門に生まれた以上、周りはすべて敵である。生半可な気持ちでいたことなど一時もない」
さもあろう、と勝家も感じる。これほど苛烈な覚悟をもって生きる男など、まず滅多にいない。だからこそこの主君は、尾張半国の分限からわずか十数年で日ノ本最大の大名に成り上がった。
「銀とくれば、次は金である。これもまた南蛮より東の宇内では、我が国以上に金を産するところはない。その金は主に、甲州で採れる。武田信玄が領国内の鉱脈を今も至る所で開発している。近年で産出量が多く、富士川から下って田子の浦で使われている金は、身延山の川向かいにある湯之奥金山の産であるという」
なるほど。ようやく話の帰結がおぼろげながら見えてきた。
案の定、信長はこう続けた。
「問題は、この毛利の銀と武田の金が、今いかばかりの採れ高があり、先々でどれほどの採掘量を有しているかということだ。また、それぞれの積み出し港――駿河の田子の浦と、石見の温泉津沖泊が、いかほど交易に向く場所かという件だ。それでほぼ、両家の地力が分かる。我が織田家と事を構えた場合、いかほどの年月、戦闘を継続出来るかを見切ることが出来る」
ふむ、と言うような表情で愚息が首を傾げた。「それを、詫びの代わりに我ら二人に調べよ、と?」
「むろん只でとは言わぬ。これは仕事の依頼でもある。報酬はたんまりと弾む」信長は急に早口になった。「先年と同じ金子三十枚でどうか。計六十枚である。これでおぬしら二人は、十年や十五年は辻博打に精を出さずとも充分に暮らすことが出来るはずだ」
「されど、そこまでお詳しければ、既に間諜にも命じて散々に調べ上げられた後ではありますまいか」愚息は疑問を呈した。「今さら我ら如きが赴いたとしても、新たな見聞には限りがありましょうぞ」
「それは違う。草たちは、敵地へと忍び込むことはできる。されど採掘場の代官所に忍び込んで台帳を見たとしても、その数字の変遷から毛利と武田の先途を読み取ることは出来ぬ――」
話の途中だったが、これには勝家もたまげた。なんとこの二人を敵地の中枢にまで忍び込ませ、さらには台帳にまで目を通させるつもりのようだ。道理で法外な謝礼を弾むわけだ。
そう感じている間にも、信長の言葉は続く。
「あるいは積み出しの湊を眺めても、町の賑わいや沖の潮の流れ、船の集まり具合などから、地場の商人たちがいかばかりの先々を見込んでいるのかの目利きも、彼らには出来ぬ。所詮、忍びは忍びである。その点、愚息と新九郎よ、おぬしらであれば、むしろ彼ら以上に腕が立つ。さらには愚息よ、そちはそれらの台帳を読み取ることが出来るとわしは踏んでいる。どうか?」
愚息は束の間考え込んだ後、意外にもすんなりと快諾した。
「分かり申した。そのような次第でありますれば、このご依頼、お受けしましょうぞ」
これには隣の新九郎がやや慌てた。
「おいおい、愚息よ。子供の遊びではないのだぞ。下手をしたら死ぬるかもしれぬ。たかが金のために命を張るなど、わしは気が進まぬ」
「いや……わしにはわしなりの料簡があってのことだ。気が進まぬならおぬしは京に残れ。一人でも行く」
「一人には及ばず」信長は即座に口を開いた。「十兵衛よ、おぬしも同伴せよ。愚息と共に参れ。わしの目で彼の地それぞれを検分せよ」
光秀のほうはすぐに平伏した。
「はっ」
「甲州と石州、二つ合わせて、一月か長くとも二月で帰京せよ。信玄は用心深い。自国を他国人には容易に踏ませぬゆえ、富士川沿いの金山までは自力で行くしかない。身延山への参詣者に化けて、出来うるところまで調べよ。毛利には当主の輝元宛てに挨拶状を書いておく。それを持って瀬戸内から入り、安芸郡山城に赴き、帰路は石見へと抜け、銀山に潜入して北海へと逃れよ。北回りで京へ戻れ」
「承知いたしてござりまする」
そんな光秀と愚息の様子を見て、新九郎も軽い吐息を洩らした。
「仕方がない。京に残ってもおぬしらが気がかりである。わしも付き合おう」
こうして三人とも、武田と毛利の領内へと赴くことが決まった。
最後に信長は言った。
「堺の今井宗久に船便の手配はさせる。そちらの指示に従ってどの泊にも船を動かせるようにしておく。遠慮なく使え」
三人が去った後、勝家は信長と二人きりになった。やはり気になり、こう聞いた。
「ですが、危険極まりない任務でござりまするな」
「ふむ」
「下手をすれば捕えられ、最悪は殺されまするぞ」
「分かっている」信長は答えた。「だからこそ、当家には埒外の愚息と新九郎を使うのだ。それならば後日、両家から苦情が持ち込まれても、しらを切り通すことが出来る」
「されど、明智殿はどうなるのでござりまするか」これは歴とした織田家の家臣になっている。「十兵衛もろとも捕まった場合は、申し開きが出来ませぬぞ」
これにも信長はたちどころに答えた。
「十兵衛は、昨夏に我が家門へと仕えたばかりだ。以前は長らく将軍家の準幕臣で、今もその二重の籍は続いている。むしろ武田と毛利から見れば、十兵衛は未だ将軍家から織田家に遣わされた連絡将校という認識であろう。両家は古き家柄ゆえ、源氏の棟梁たる足利家に対する敬慕は今もある。拷問はむろん、無下に殺されるということもあるまい。その時は公方を動かし、なんとか十兵衛を救い出す」
が、それは逆に言えば、浮世では立場を持たぬ愚息と新九郎はどうなっても構わないということではないのか……。
そのことを遠慮がちに問うと、
「当たり前だ」と、信長は笑い出した。「いざとなれば捨て殺しにするからこそ、成功したあかつきには二人に過大な報酬を払う。そのことは、あやつらにも充分に分かっているはずだ」
そう、からりと酷薄なことを言ってのけた。
5
十日後、三人は夏の伊勢路を進んでいた。
「まったく、なんでこのようなことに駆り出されなければならぬのだ」
額の汗をふきふきしながら、新九郎がぼやく。
「まあ良いではないか。またも信長から金子をせしめた」珍しく愚息は乗り気であった。「以前の金子と合わせて黄金六十枚。これだけあれば当分は辻博打などせずともすむ」
けれど、光秀も月代を手拭いで拭いながら聞いた。
「それだけが受けた理由ではなかろう」懐には信長から預かった毛利家への挨拶状がある。「あれだけ気が進まぬと言っておきながら、どうして殿の、かようにも危険極まりない申し出をすんなりと受けたのか」
うん、と愚息はうなずいた。「武田と毛利の金銀のこと、以前から多少は気になっていた。それにわしら二人は以前から農繁期には京を離れ、しばしば諸国を漫遊している。じゃからまあ、ついでじゃ」
が、愚息はまだ問いの核心に答えていない。光秀が黙っていると、ややあって相手は言葉を続けた。
「――わしにはの、もうずいぶんと帰っておらぬとはいえ、肥前の松浦に一族や縁者がいる。今も明や呂宋、暹羅へと海を渡り、せっせと小商いをしておる。その元手になる金銀を、毛利や武田がいかほど持っているかということ、これは興味のあるところである」
さらに愚息は語った。
松浦党は今、平戸に常駐している博多や堺の商人と、海の向こうから持ち帰った品々と銀子を交換して、それで生計を立てている。が、これがもし温泉津沖泊から以前にも増して膨大な銀が運び出されているのであれば、そこに乗り込んで直に取引してもいい。仲買に入っている商人たちの儲けも肥前松浦党のものとなる。
「駿河から運び出される武田の金も同様である。その量によっては、寧波(中国浙江省にある港湾都市)や琉球、呂宋などから黒潮に一気に乗り、田子の浦にて取引をすれば、その分だけ儲けは大きくなる。それらのことを故郷の一族に伝える」
光秀は、思う。
この男、長らく故郷を離れて生きていても、今も心の一部は肥前松浦の同胞と共にあるようだ。
そしてそれは、土岐氏という美濃源氏宗家が滅んだ後も、明智氏を中心とした桔梗紋の再興を図る自分の気持ちに相通じるものがある。
しかし、光秀にはまだ疑問が残る。
今、その商取引の大なる者と言えば、なんといっても南蛮船である。堺は言うに及ばず、薩摩の坊津や豊後の沖ノ浜などで盛んに交易を行っていると聞く。さらに時代が進んだ後には、その圧倒的な輸送能力にはやはり敵わないのではないか。
そのことを口にすると、愚息はこう答えた。
「わしらが扱って、南蛮人が扱わぬ品がある。呂宋壺や安南皿、明の茶壺といった陶磁器である。あやつらにはそれらへの審美眼がない。華美なるものばかりを好み、侘び寂びが分からぬ者どもである。それゆえ、どのようなものを運べばこの国で驚くべき高値で扱われるかを知らぬ。時代が進んだとしても、こればかりは我ら同国人にしか扱えぬし、そこに我ら肥前松浦党の生き残りの策がある」
なるほど、と光秀は感心した。愚息の言葉は続く。
「さらには、おぬしが仕えている織田家のこともある。先だって信長が言った『武門の戦いとは、所詮は銭で決まる』とは、まさにその通りである。過日に堺の会合衆に二万貫もの矢銭をかけたこともそうだ。単なる強欲ではなく、はっきりと分かってそうしている。気に入らぬ男だが、やはりあの癇癪持ちは物事の本質が分かっている。それが良いとか悪いとかではなく、この世は節義や道理ではなく、所詮は銭で回っておることをだ。その上で目前の敵はおろか、十手先の相手まで見据えている。そこらあたりの凡下の大名とは頭の出来が違う。武田と毛利の金銀を調べて、その信長の先々を占うことは、十兵衛よ、すなわちおぬしの今後を占うことでもある」
この言葉には、光秀も感動した。この男、おれの織田家での先々を見越すためにもこうして依頼を受けてくれていたのか……。
けれど、それを黙って聞いていた新九郎の思うところは、また別にあるようだった。
「なにやら、悲しいのう」
「何がだ」
「わしらも回りまわって、その銭の世の流れに突き動かされている。汗を流しながらこうして伊勢路を延々と歩いている」
「それは違うぞよ、新九郎」愚息は苦笑して言った。「わしらにとっての銭とは、野心や富貴のためならず」
光秀はつい問うた。
「では、何のためか」
「嫌いなものは嫌いと、やりたくないことはやりたくないと、常に言える立場を手に入れるためである。明日は明日の気分で、何をしてもいい。そのような出処進退の自在を、自らが保つためにある」そしてこう付け加えた。「銭の世であるからこそ、その銭で浮世から俯瞰する立場を買うのだ。これは悲しき現実である。あるが、先々で銭なんぞに追い使われたくないからこそ、今はこうして歩いておる」
翌日、三人は伊勢の桑名に着いた。
桑名は、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が伊勢湾に注ぎ込む、その河口に位置する港である。堺や博多と並ぶ日ノ本有数の港湾都市で、古来、商人の自治によって港と町が運営されてきた。
別名は、十楽の津。
楽とはこの時代、自由を意味する言葉である。桑名はこれまで、関や渡しの通行税の撤廃、地子銭の免除、守護などの外敵権力の不入権などを堅持する無税の自由都市として栄えてきた。信長が今も推し進めている楽市楽座の発祥の地でもある。
「が、それも今は昔である」愚息は溜息交じりに言った。「この一帯の長島は、一昨年から昨年にかけて信長の手に落ちた。その中にある桑名も昨今の堺と同様になりつつある。滝川左近将監の許で矢銭を吸い上げられながら、辛うじて自治を許されているに過ぎない。やがては二つの町ともあやつの直轄地になろう」
滝川左近将監とは、織田家の四番家老、滝川一益のことだ。光秀が織田家に仕える十年近く前から、滝川はこの北伊勢一帯への侵攻を開始していた。
「信長は、ありとあらゆるものを自分に従わせようとする。人々の暮らしから有無を言わさずに『楽』を奪う」愚息の言葉は続いた。「わしが信長という男を気に入らぬのは、まずはこの一点にある」
光秀は、何も言い返せなかった。あの新しい君主が自領以外で行っている政策は、まさしくその通りだからだ。
信長の世界には二つしか色分けがない。味方ならば許すが、敵ならば容赦なく圧殺していく。これからもそうだろう。その苛烈さを思えば、この君主に仕えたことが果たして正しかったのか、分からなくなる時がある……。
三人は今井宗久の手配していた船に乗り込み、伊勢湾を南下した。その後、遠州灘へと出て駿河に向かうべく黒潮に乗った。
(気になる続きは、ぜひ本書でお楽しみください)
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