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【実話】インコのアスティ。

今回は花ごころの物語の中から、
”インコのアスティ”のお話を書きたいと思います。

花ごころの物語とは、実際に花ごころでお墓を建ててくださった方の実話です。これまで当霊園には、何百もの方がご見学にいらっしゃいました。
つくづく思うのは、それぞれに皆さまのご家族の物語があります。
一つひとつ皆様の想いが込められていて、同じお墓は決してありません。

今回は”インコのアスティ”とかけがえのない家族の実際にあったお話です。

”アスティと家族の物語”


【アスティとの出会い】


19年前に、我が家に小さなインコが来ました。

名前を”アスティ”と名付けました。

ヒナ特有のか弱く鳴くその声がとても可愛く、擦り寄ってくるそのたどたどしい姿が愛おしく、私たち夫婦はヒナからとても大事に育てました。

そして若鳥から成長になり、何物にも変えがたい存在になっていきました。

アスティと幸せな日々。


アスティは、悲しい気持ちの人がいると、ずっと静かに顔を見ながら肩に乗っていたり、
楽しそうにはしゃいでいると、同じようによく鳴いたり話したり、時にはダンスします。

人に懐きやすく、人がとても好きなインコ

そして当時心の病に陥っていた私は、そんなアスティの存在がとても大きく、日々を過ごす中でいつも寄り添ってくれるアスティに助けられ、どんどん元気になっていきました。


【突然の別れ】


アスティのお陰で体調も良くなっていき、充実した日々を送っていました。
私にとってアスティは、私を救ってくれた大事な家族です。

ところが、アスティが3歳を迎える直前
アスティは不慮の事故で亡くなってしまいました。

アスティがいる日々がこれからもずっと続くと思っていた中での事故。
最愛の家族を失った心の悲しみで目の前が真っ暗になりました。

アスティ…。


【悲しみ癒えぬ日々】


共に過ごしてきた3年間があまりに幸せな日々だったので、そのアスティを失った私の心は空っぽになってしまい、悲しみに暮れました。
空っぽの心を埋めることは難しく、ただただ時間だけが経っていく…。

大切なアスティを長生きさせてあげられなかったこと。
どうしたらアスティの供養になるのか。

アスティと過ごした幸せな日々を思い出しながら、葛藤する日々

涙が枯れるほど心が痛みました。
もう一度あの日々に戻りたい。

「会いたいよ。アスティ…。」

【前に進む”決意”】


そしてある日、私たちはようやく1つの答えを出しました。

自分たちが出来る鳥たちへの支援を考え、鳥関係の団体が主催する研修会等に参加し、アスティの死を無駄にしないように動き出しました。

鳥たちがこの世に生を受け最後まで全うしてくれるよう、私たちが出来る精一杯の行動をしたい。
新しいインコたちも迎えて、これからも大切な家族として共に歩んでいこうと。

鳥さんはとても頭が良く、もともとは集団で生活をする生き物。
人間の考えている事や行動をよく見ていて、全部とは言わないものの、よく理解しています。
そんな可愛いインコたちが幸せに長く生きられるように、私たちは願います。

元気に成長してね。


【共に生き、共に眠る。】


鳥たちへの支援を考えている中、同時に大切なアスティへの供養も考えていました。
この可愛くて愛おしい大切な家族のアスティやインコたちと、いつか訪れる別れの日に、別々に眠ることは考えられませんでした。
ですので、共に眠れるお墓を探しました。

そして、数多のお墓の中から見つけたのです。

仲間の野鳥たちが大空を飛び交う自然の豊かさ。 
可愛らしい花々がいつもそばで見守ってくれている花壇
そこにはずっと考えていたアスティの供養と、私たちの理想のお墓がありました。

”花壇墓地”
そこに大切な家族のアスティやインコたちと共に、一緒のお墓に入ることを決めました。


”アスティ。ありがとう。”

”あなたは、私の家族でした。”

”そして、今も。”

”これからも。ずっと一緒。”


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

私もインコが大好きで飼っているので、この物語にとても共感し、が止まりませんでした。
グランディアメモリアル横浜では、お墓に自分の亡くなったペットの名前生年月日亡くなった日付を残すことができ、
ずっとそばで寄り添い続けてくれた大切なペットと、いつまでも共に感謝の気持ちを伝えながら眠る事ができます。

ご興味がございましたら、ご相談ください。

これからも引き続き記事を書いていきますので、ぜひ読んでみてくださいね。

【資料・ご見学はこちらから↓↓】

                   光とガラスの花壇墓地 花ごころ


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