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思考の必要性と読書と文章

自己啓発本やビジネス本を読むことで思考しなくなっていく。

この場合、ゴミの情報ってことなのか。いや、情報がゴミになってしまうのか。思考力を伴わないばっかりに。

僕は、ゴミをあさることって汚いイメージがある。

ゴミの山に頭を突っ込むのはいかがなものかというのは一般的なイメージだ。しかし、ゴミの山にも光る原石があるかもしれない。それを可能にするのも思考する力が鍵になるだろう。

確かに、何も考えずに本を読んだり、テレビを見ていれば、その情報を流動食のように流し込むだけだ。

顎で噛まずに済む。疲れないし、楽だ。しかし、それでいいのだろうか?と僕は思う。

ビジネス本や自己啓発は僕も好きだ。自分を変えたいと思って手にとっていた。でも、読んでいる時が一番楽しいが、自分が変わった感じはしない。情報だけが積み重なっていく。まるで負債のよう。

溜まり溜まった情報が生かせない自分が悪いとは思わずに、どんどん新しい情報に飛びついていく。この繰り返しになる。なぜこうも人間は新しいものに飛びつくのだろう。

これは、やはり楽だからではないかと思っている。

そもそも思考することが人にとって苦痛なのかもしれない。だからこそ思考力のある人は、思考力がない人の太陽のような存在になっていると思う。惹きつけられる魅力がある。

文章も同じだ。文章とは人間の思考を文字化している。見える化している。その人の思考の深さみたいなものが、まるで推理小説みたいに感じる時が僕にはあるんです。

この人はこんな人だと思っても、違う面を見せられるとおっ!この人ってこんな面があるのか。見ていて飽きない。まるで長所が湧き出てくるみたいですね。

僕もそんな人間になりたいなあと思った次第です。

終わり


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