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言葉には、その人の「過去」が一枚一枚積み重なっている

「雪って、何で白いと思う?」


昨年、雪がしんしんと降る山奥の温泉で、夫がこんなことを言った。

「雪って、なんで白いと思う?」

夫はバリバリの理系だ。

「ええと、光の反射?かな?」と、何ともふわりとした答えを言ってみるわたし。
でも、どうやらそういう問いかけではなかったらしい。感性で答えろ、と。

わたしが何を答えたかは覚えていないけれど、夫が用意した答えはこうだった。


「じぶんの色を忘れてしまったから」

「静」と「動」

このとき、わたしはこの感性に衝撃を受けた(後から聞いた話では、この答えには実は元ネタがあったのだけど)。

少なくとも、雪がほとんど降らない場所で育ってきたわたしには、絶対に出てこない答えだった。

子どもの頃から大学で地元を離れるまで、稀に雪が降ると
「やった〜!もっと積もれ、積もれ!」
「雪だるまつくろう!」
「雪合戦しよう!」
そうやって、みんなではしゃぎ回った思い出ばかりなのだ。

そういうわけで、「雪」に対するわたしのイメージは、「静」ではなく「動」の類であった。

でも雪国に育った人は、きっと違う感性を持っているに違いない。
朝、曇り空を見上げながら雪かきをすることから始まり、車の窓にできた氷を溶かす。あたりは静かで、雪をかく音やふむ音が聞こえるだけ(分からないのですべて想像です)。

「じぶんの色を忘れてしまった」と最初に言った人は、もしかして雪国に育った人なのではないか。

言葉には、その人の「過去」が積み重なる

言葉(を通してイメージするもの)には、その人の「過去」が積み重なっている、と思うのです。

「雪」と聞いて、「楽しい」とか「賑やか」とか「明るい」をイメージする人もいれば、全く逆の「大変」「ひとり静か」「暗い」を連想する人もいる。

「雪」だけではなく、すべての言葉ひとつひとつに対して、人それぞれの「過去」が積み重なっていると考えると、この世界がもっと広く豊かなもののように感じられます。

今年はどんな「雪」が降るのか、楽しみで仕方ありません。

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