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五味太郎『6Bの鉛筆で書く』 “当たり前”はしょうがないが、その“当たり前”になんの疑いもなく従うことが許せない。そういうこと、五味さん。

五味太郎さんは、短い文章を小さな文章という。

この本は五味さんが愛用している6Bの鉛筆で“書いた”小さな文章と、旅先、たとえば、アビニョン、ブタペスト、ハノイ、リスボン、マラケシュなんかで撮ったモノクロームフォトをはさんだ、五味さんの頭の中のような本なのだ。

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6Bの鉛筆で、書く、いや描く、やっぱり書くでいいや、と。

ぼくは机の上の8Bの鉛筆で、付箋を貼ったページをA4のノートに書き写した。

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付箋はほとんどのページについていて、まあ、それでも頑張って全部書き写したあと、書店に取り置きをお願いしたが、どの書店(大型チェーン店なのだが)にも在庫が無く、「Aさん」のサイトで購入した。


こんなところにぼくは付箋を貼った。

<質(たち)>
オレは嘘はつかないよっていう嘘と、オレは純粋だぜっていう不純さと、どっちが質が悪いのか?あえて考えてみることもないか。

<絵、そして文字>
僕は物事を絵的にとらえるクセがあることには、わりあいはっきりと気づいている。
今、この文字原稿を6Bの鉛筆で横書きに書いているのだけど、絵筆を持って絵を描いているのと、そう作業感覚に異差はない。

<S・モンク>                                                                                                  高校二年生の頃だったと思うけど「なにか、いい」と思った。
だらしない言い方だけれど、他に言いようがない。
「なにか、いい」。
ずっとそのままだ。少し丁寧に言うと「なにか違う。他人と・・・」
あるいは「なにか来る。俺の身体に・・・」あたりか。
「身体」を「魂」と置き換えてもいい。

これにはうれしくなったなぁ、ぼくと同じなんだもの。

好きな曲もいっしょ!「Blue Monk」「Nutty」「Evidence」「Round Midnight」


さて、これだが...

<拘る>
・・・敢えて言えば生まれつき、ごく当たり前の、もう人生の前提のようなものだと僕には思える自由平等感覚、基本的人権感覚なんてもの、皆、あまり好きじゃないんだ、そんなに貴重なものだとは思っていないんだ。苦手なのかもしれない。
そう、誰かに命令されてそれに従うのが好きなんだ。誰かが決めたことをなるべく忠実になぞるのが好きなんだ。
・・・ついでに戦争になってもいいし敗けちゃってもいいし、焼け跡もいいし、なんでもいいんだ。またやり直せばいいんだ。苦しくても辛くても悲しくてもいいんだ。

1945年8月、広島と長崎がやられた、あの夏8月に生まれた五味さんは、そう言う、そう思っている。

そういえば、コロナはどうなってたっけ、寒い国の戦争はどんなことになってたっけ、一生懸命疑って、考えないといけない時代。
いつだって時代はそうだったし、これからもそうなのかもしれない。

#読書の秋2022


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