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負け試合

負けた。
四失点、しかも得点出来なかった。
原因とか突き詰めるのは、チームがやること。
サポーターを自認するわたしは応援を続けるだけ。

失点する度に重力が増すのかなってくらいに重たくなる身体。
視線の先にいる選手も辛そうに見える。
我武者羅に必死に走る姿をそんな風に、悲哀に染めるフィルターは負けている戦況。
逆転を、足掻きを期待しているのに、もどかしい事態が続く。
祈るように絡めた指先の力ばかり強まる。
それでも、ただじっとひたすらにピッチを見つめた。
日常生活で、こんなに切実さを滲ませる自分はいない。
自分については諦めだったり、卑屈さを更に歪ませて美しいことばかりではない世界を力なく眺めている。
試合中は、この時間の視界だけは、どんな状況でも光を纏っていて欲しい。
今日みたく敗戦を覚悟しても、次節に希望を抱きたい。
どんな細く僅かな光でも、震える指を伸ばしたい。

正直な言葉を紡げば、自分に関わりのない他人事だからだ。
だからこそ、夢を見られるし喜べる。
憧れのひとの辛さを想像して、自分のクソみたいな悩みに比べて、その辛さに尊さを崇高さを覚えて同じ苦しさを舐めたような幻覚の味わいに酔い痴れる訳だ。
それが、如何にも倒錯的かもしれないがサポーターとしてのわたしの神髄だ。
苦しさを 悔しさを 辛さを 自責を
煌めいて映る姿の深い影を、胸に燻る炎を 項垂れる後ろ姿から嗅ぎとって胸いっぱいに飲み込んで、咀嚼しては反芻する。

それでも、大敗だとしても、フル出場を果たしたことにわたしは喜んでしまう。
出番なくビブス姿でピッチを見据える背中を見て苦しんだ心は、ユニフォーム7番が等々力の芝生を駆けるだけでも泣けるほどに嬉しい。
勿論、勝利が1番だけれども大好きな選手がピッチにいるだけでも幸せを感じるのは志が低いのかもしれない。

サポーターというのは、畢竟、満足などないのだろう。
どんどん欲深くなる。
選手だったらハングリー精神なのかもしれない。
サポーターは、どうなるんだろう。
まだまだ、そこには到達出来ない温い自分。
試合終了直後に膝に手を付き、項垂れた姿を胸に刻みながら、浮かび上がる悔しさを掬いとるように味わう不実さを自責しながら今夜は眠る。

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