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塩豚のブランケット ~シチューはご飯にかけるのが世界基準!?

ボンソワー!ケイチェルおじだよ。

音楽と食べ物の話は他人としてはいけない。喧嘩になるから」ってよく言われるよね。毎日食べ物の話しかしてないおいたんは何なんだって話ではあるけどもw、音楽と食べ物はある意味、人の「育ち」に密接に結びついてるところがあるから、下手すると喧嘩になることもあるだろう、とは思う。

もしかしたら今日のnoteは、そうした食べ物の話のセンシティブな部分に踏み込むことになるかもしれない。何の話かというと、実際に日本を二分する論争として有名なあの問題ーー

シチューはご飯にかけるか否か

結論から言うと、おいたんは「かける派」。子供の頃から、実家ではシチューはカレーみたいにして食べてた。しかし一般的に見て「かける派」は劣勢な気がする。数において少数であるだけでなく、「シチューをご飯にかけるなんて下品」とか「自分の家でやるぶんにはいいけど、外でやるのは恥ずかしいからやめてほしい」とか、忌避するような意見すら目にする。

かける派のおいたんからすると、じゃあいったいどうやってシチューを「上品に」食べてるのか不思議なんだけど、パンと一緒に食べるんだろうか?確かにシチューにパンとなるとハイカラで上品な感じするな。でもシチューに合わせるパンって?もしそれが食パンだったとしたら一気に庶民的になるから、我々「ご飯にかける派」とは同盟結べそうだw

おそらく最大勢力は、ご飯は茶碗によそって、シチューは別皿でおかずとして食べる派だと思う。でもその場合スプーン使うんだよね?それならシチューをご飯にオンするか、あるいはご飯をシチューにインするか、こっちの派閥まであと1歩じゃん!って思うんだけど、それをやるのは死んでもイヤっていう原理主義者もいるみたいだ。

しかしこれからする話は、ご飯にかけない教原理主義の人たちには面白くない話かもしれない。なぜなら、シチューはご飯にかけるのが実は世界基準だった!って話だから。そんな話聞きたくないって人は、ここから先は読まずにブラウザそっ閉じしてほしい。実際に、過去においたんがこの話をしたら不機嫌になった人もいるくらいだからね…

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まずは論より証拠。試しに「ブランケット・ド・ヴォー」という料理名でGoogle画像検索してみてくれ。すると以下のような結果が得られるはずだ。

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どうみてもクリームシチューをご飯にかけた料理が並んでるようにしか見えないでしょ?

ちなみにブランケット・ド・ヴォーは、フランスの伝統料理の1つで、仔牛肉のクリーム煮だ。おいたんはフランスに行くまでこの料理のことを知らなかったけど、パリのとある小洒落たレストランで"Blanquette de veau"っていうメニューを見て、veauは仔牛だからハズレではないだろうって思って頼んでみたら、出てきたのは(肉が仔牛という以外は)日本で慣れ親しんだあの「クリームシチューのご飯がけ」だった。

さらにもう1つ。今度は「ウクライナ風ビーフストロガノフ」で画像検索してみて欲しい。次のような結果が得られるはずだ。

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ビーフストロガノフと言えば、ハヤシライスやハッシュドビーフと区別がつかない、茶色いソースをご飯にかけた料理を思い浮かべる人が多いと思うけど、実は白いソースこそ正統なのである。歴史的な穀倉地帯のウクライナは古くから料理が洗練され、旧ロシア帝国の宮廷料理はウクライナ料理だったと言われている。

おいたんはロシアにもウクライナにも行ったことないけど、吉祥寺にあるカフェ・ロシアっていうお店でビーフストロガノフ頼んだら、「クリームシチューのご飯がけ」みたいな白いビーフストロガノフが出てきた。

いやいや、フランスとロシアの話で世界基準と言われましても、それは西洋中心主義じゃないですかっておっしゃる、そこのあなた。そういう意識の高さ、とても大事よ。でもね、「セネガル ヤッサ プレ」で検索してみなされ。

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厳密には、セネガルのヤッサはクリームではなくレモンでマリネした玉ねぎを煮込んだソースだけど、ヤッサであれチュウであれ、肉と野菜を煮込んだものをご飯にかけるのがセネガルでは一般的なのだ。

というわけで、ご飯にかけない教原理主義者の人じゃなくてもそろそろ不機嫌になるんじゃないかと思うくらい理屈っぽい話になってしまったw まあ今日はそういう回だと思ってくれ。この流れのまま昨日作った料理の話にいくからw

本当はフランスのブランケット・ド・ヴォーといきたかったところだけど、なにせ日本では仔牛の肉なんてなかなか手に入るもんじゃない。かと言って何の肉でもいいかというと、まあ何でもいいとは思うんだけどw、一応「ブランケット」という料理の意味合いはおさえておこう。

英語のblanketは「毛布」だけど、フランス語のblanquetteに毛布の意味はない(仏語で毛布はクーベルチュール[couverture]という)。もともとは「白」という意味の仏語の"blanc"に指小辞-etteが付いたものらしい。つまりは「ブランケットという料理は白いもの」ということは言えそうだ。

よく似た料理としてフリカッセがあるけど、フリカッセは具材を炒めるのに対して、ブランケットは炒めずにそのまま煮ることで焦げた茶色をつけないのが特徴らしい。

とは言え、現代では具材を炒めて作るブランケットもあるみたいだし、フリカッセでも焼き目を付けずに白く保つべしということが言われたり、2つの料理の境界はあいまいになってきてるそうだ。

以上を踏まえると、仔牛の代わりに普通の牛肉だと白さがなくなってしまうから、むしろ鶏肉や豚肉のほうがブランケットには相応しいと思われる。もちろんフランスにはブランケット・ド・プレ(鶏肉)もブランケット・ド・ポール(豚肉)も存在する。

ついでにもう少し、ブランケット・ド・ヴォーについてフランス語版Wikipediaで調べてみた。

伝統的な作り方としては、白ワインでマリネした仔牛の肉、玉ねぎ、セロリ、ニンジン、ワケギ、マッシュルーム、ブーケガルニなどを鍋で煮込み、クレーム・フレッシュとバター、そして卵黄で仕上げる、というものだそうだ。肉や香味野菜をワインで一晩マリネするのは以前作ったコック・オー・ヴァンやカスレなどでもお馴染みの、フランス料理の1つのパターンだよね。

もちろんWikiには「この料理には米やパスタ、ジャガイモが添えられる(Ce plat peut être accompagné de riz, de pâtes, ou de pommes de terre)」と書いてあり、米は第一選択肢だ。

面白いことにこのWikiには「文学作品に出てくるブランケット・ド・ヴォー」の項目があり、おいたんが何度か触れてきたメグレ警視シリーズと、フラデリック・ダールのサン・アントニオ警視シリーズが挙げられてる。

しかし仏語版Wikiに載ってないけど、文学でブランケット・ド・ヴォーと言えば何よりエミール・ゾラの『居酒屋』じゃないのかなあ。主人公のジェルヴェーズが主催する大宴会で振る舞う料理に、ガチョウの丸焼きや豚肉のエピネと並んでブランケット・ド・ヴォーが登場するんだよね。まあゾラの『居酒屋』については豚肉のエピネっていう謎料理とともに別の機会に詳しく書きたいと思う。

さて、ブランケットの基本を踏まえつつ、おいたん流のブランケットを作っていこう。

せっかくなので、以前から推してる塩豚を使ってみよう。塩豚についてはこれまでにシュークルートや奄美の豚骨についての記事で取り上げてきたよ。

まずは塩豚の作り方のおさらい。写真のように豚肉を好きな大きさに切って、塩を揉み込んで一晩おく。以上。

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肉300gに対して塩は大さじ2くらいかな。調理前に塩抜きするので塩は多めで構わないよ。

一晩おいて翌日調理にかかります。玉ねぎセロリ長ネギの白いところを写真のように切ります。今回は色を重視してニンジンは別焼きで添えることにした。マッシュルームを入れてもいいけど、入れるタイミングなどの扱いに自信がなかったので今回は見送った。

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切った野菜を白ワインでマリネし、豚肉の塩抜きをします。1時間くらい。野菜のマリネは本当は一晩がいいと思うけど、前日にやるのを忘れてた。

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塩抜きした豚肉を水から茹でます。

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アクが出切ったら、1度茹でこぼして豚肉を流水で洗います。

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洗った豚肉と、ローリエ(ブーケガルニを買い忘れた)、野菜をマリネした白ワインごと圧力鍋に入れます。

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圧力鍋を沸騰させ、25分加圧します。

25分後がこちら。

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少し煮て水気を飛ばして、生クリーム(35%のもの200cc)を入れます。

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5分ほど煮て味を見ます。今回は豚の塩漬けと塩抜きが理想的で、何も足さなくてもぴったりの塩加減でした。

最後に火を止めて、仕上げに卵黄を1個入れます。実はシチューに卵黄入れるの初めてで、白さを標榜する料理として正直どうなの?って躊躇した。でもこれが伝統的らしいし、何でもモノは試しってことで。

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皿にご飯を盛ってシチューをかけ、イタリアンパセリをちぎって散らして、オーブンで焼いたニンジンといんげんを添えて完成。

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卵黄が少しボソボソと固まっちゃったけど、まあまあ上手くできたんじゃなかろうか。実際おいしくてあっという間に食べてしまった(笑)

塩豚を使ったのは正解だったと思う。豚肉に塩味がしっかり浸みてるだけじゃなく、ソースにも豚の塩味がついて、コンソメどころか塩コショウすら足さずとも深みのある味わいになってる。卵黄は入れなくてもよかったかもしれない。

フランスと違って日本ではクレーム・フレッシュが手に入らないけど、白ワインで酸味は補えるから生クリームでも問題ないんじゃないかな。おいたんがフランスで食べたブランケット・ド・ヴォーとそう変わらない味になったと思うよ。日本の市販されてるクリームシチューのルーに比べると、生クリーム感が強くてよりシンプルな味だ。

ちなみに写真は2日目の今日の夕食なんだけど、時間あったのでカボチャサラダも作ってみた。これからいろんなnoterさんがカボチャメニューアップされると思うけど、先駆けとこうと思って(笑)

それにしても今回は、これまで見下されてきた(というのは被害妄想?)「シチューご飯にかける派」を擁護しようとするあまり、某料理研究家の人のnoteみたいにやたらと蘊蓄たっぷりになってしまった。決してそういう方向性を目指してるわけじゃないんだけど(笑)

基本的にご飯に上品も下品も、正解も不正解もないと思ってる。シチューをご飯にかけるのも、蕎麦をズルズルすするのも、カレーをぐちゃぐちゃに混ぜるのも、料理を残したりポロポロこぼしたりするのも、所変われば良しとされることもある、相対的なものだってことだ(ひょっとしたらクチャクチャ音を立てて食べるのだって上品とされる文化がどこかにあるかもしれない)。そういうことを知って、モノによっては受け入れるのが不快だとしても、その差異を楽しむしかない。

ただ塩豚は、シチューをご飯にかける人にもかけない人にも、食パンに合わせる人にもパスタに合わせる人にも、シチューに関わるすべての人に塩豚の美味しさが伝われーって思ってる。

おわり。


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