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臆病な猫

一度だけ拾い猫を育てたことがある。
正確に言うと、私が拾った猫を両親が育てた。

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二十年以上前のこと、住んでいた名古屋から大阪への帰省では自動車を使っていた。普段は安価な東名阪道を使うのだが、その年の年末年始は雪が多く、大阪から名古屋への帰路は積雪が少しでもましな名神高速に乗った。それでも標高の高い滋賀‐岐阜県境あたりは、積雪と凍結のためノロノロ運転もいいところ。深夜の栗東インター付近でついにバッテリーがあがってしまった。

ブースターケーブルを繋ぐためにボンネットを開くと、か細いで「ミャー」という鳴き声が聞こえ、懐中電灯は痩せ細った子猫を照らした。二つの目に光が反射する。おそらく低速で発停車を繰り返している間に、暖かいエンジンルームに入り込んだのだろう。もしもボンネットを開けることがなければ、間違いなく凍死か轢死していたはずだ。

普段使わない名神高速に乗ったこと、たまたまボンネットを開けたこと等、運命的な出会いのように思われた。また、ここで追い払うことは子猫を殺すことであった。即座に名古屋まで連れて帰ることを決めた。

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私の両手の平にすっぽりと収まるくらいの大きさ。寒さと人慣れしていないのとでブルブル震えている。私はかぶっていたニット帽で子猫をくるみ、助手席の妻にあずけた後、再び名古屋までの道を走らせた。高速を出てすぐのコンビニではおにぎりを買った。海苔は食べたが米は全く食べなかった。次の日からはミルク等を少しづつとったが、海苔が一番の好物となった。

栗東インター付近で拾ったことから「リットー」と名付けることとした。

当時私達家族が住んでいたのは社宅で、飼い続けることはできなかったため、翌月、リットーを連れて再び帰省し、両親に面倒を見てもらうよう頼んだ。それまで猫など飼った経験のない家族だが、弟が結婚して二人暮らしになったばかりでもあり、それほど嫌がられることもなく引き受けてくれた。

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トラウマからか、リットーは極端に臆病だった。他の猫のように日中に戸外を出歩くことは決してない。両親の旅行時など、たまに預けられる動物病院以外では死ぬまでほかの猫と出くわしたことがないと思う。動物病院でも一日中ケージの奥で怯えるようにうずくまっていたと聞く。幸い両親にはなついたものの、訪問客が来ると大急ぎで階段を駆け上がり、二階の部屋に隠れた。年に数回顔を合わせる私達夫婦にも、ずっと恐る恐るの態度であった。

ただ、拾った当時2歳であった娘にだけはとても優しかった。赤ん坊の頃は寝顔をじっと見守り、やんちゃ盛りの頃には尾や毛を引っ張られても決して歯をたてることはなかった。飼い主以外の大人には決してなつくことがなかったが、中学生、高校生になった娘とは、年数回の対面にも関わらず海苔を挟んでじゃれあっていた。

リットーは猫の平均寿命通りに16年生き、5年前に死んだ。

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父が昨年ガン宣告を受け、現在抗がん剤治療中だ。この春、治療を開始して以来初めて会ったが、最近まで黒々としていた毛は抜け落ちてニット帽をかぶっていた。しかし、若い時には家庭でも仕事でもとても激しい人であった父が、非常に穏やかな顔をしていた。

5年前、リットーが死んだときに父が話したことを思い出した。

「リットーは凄い立派に死んでいったんや。動物は自分の死期がわかるんやろな。最期の数日はお母さんの布団に入って一緒に寝に来たわ。自分の死を怖がるというより、残るわしらのことを心配するような顔で見つめとった。最後は一声も発しないで口から魂が抜けるみたいに死んでいった。人間やったら死が近づいたら怖さからギャーギャー言いそうやろ。見習わなあかんなと思った。」


とんでもなく臆病なリットーが、とんでもない強さを父に宿した。


そんなリットーも、実はとんでもなく強い猫だったのかもしれない。


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