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コメント欄での距離感

最近、フォロワーさんから、私のコメントがクールすぎるとの指摘を受けた。

私のフォロワーさんならご存知だと思うが、私のコメントバックには雛形がある。
「○○さん来たっ。こんにちは」で始まり、「これからもよろしくお願いします」で終わる。○○さんには一部例外はあるが、原則としてファーストネームが入る。長く交流のある人も、今日はじめてコメントを頂いた人も同じ。大抵は一往復のコメント、コメントバックでその日の交流は終了。

私とは対照的に、いわゆる常連さんとニックネームやちゃん付けで呼び合い、より濃密なコメント、コメントバックで交流するスタイルもある。常連にしかわからないメタファーやタームが使われている。

たしかにそのようなスタイルと比べると、私のコメントはクールでそっけないと思われるのかもしれない。特に交流の長い人から見ると物足りないこともあるのだろう。○○さんではなくニックネームで呼んでほしいと言われることもあるが、ほとんどの場合これには応えていない。
しかし、コメントの内容が薄いかというと、そうではない自負はある。一人一人に思いを込め、頭を捻って書いている。だからこそ、一つの記事で50近いコメントを頂戴することもある。

このようにしているのは、交流の長短でフォロワーを区別しないという考えに基づいている。自分としては、全てのnoterさんと等距離であるのが理想。数ヶ月前に知り合った人も、今日はじめて知った人も、同じ一期一会。少なくともnote内では、そう振る舞っている。それ以上の交流はTwitterでやDMで補完したい考えだ。

私はいまのところ一生noteを続けるつもりだ。一定数のフォロワーさんが定期的にnoteを去っていくことを考えると、新しい人が少しでも流入しやすい環境を維持しておきたい。
自分の経験からは、内輪の空気で支配されたコメント欄には書き込みがしづらい。郷に入りては郷に従えなのでアウェーのコメント欄ではあわせるが、ホームはそのようにしないのがポリシーである。その甲斐あって、フォローの上限を200としているにもかかわらず、コメント欄には一定の新陳代謝がある。毎週のように初めてコメントを寄せてくれる人がいて、常に活性化されている。

もちろんアカウントポリシーは人それぞれ。気の合う数人の仲間と毎日濃密な交流を行うのもよいだろう。交流に必要なエネルギー=深さ×広さだ。自分が求める交流のありように従い、深さと広さのバランスを決めればよい。

私のコメント欄は私がそれを決める。

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