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「ドラえもん 話を聞いてそばにいて ひみつ道具は出さなくていい」に考える支援者像

 2年ほど前、「子どもとの関わりにおいて大切にしていること」について話をしていたときに、ある人が以下の短歌を紹介してくれました。

ドラえもん
  話を聞いて そばにいて
    ひみつ道具は 出さなくていい

 この短歌は、クリエイティブディレクター・プロデューサー・コピーライター・エディターの界外 亜由美さん(note)が2005年に詠んだものだそうです。

 聞いたその日からなんとなく頭の片隅から離れず、2年経った今でも、子どもとの関わりを考えるときには、反芻され続けているフレーズです。

ドラえもん

 「ドラえもん」への呼びかけから始まっています。 ドラえもんといえば、困ったときに四次元ポケットからひみつ道具を出して助けてくれる、頼りがいのある支援者です。
 でも、ミーちゃんにメロメロだったり、過去のトラウマからネズミが大の苦手だったり、どら焼きにつられてしまったりと完全無欠ではない。 不完全な存在(「人間味のある」ともいうかな)でもあります

話を聞いて そばにいて

 ひみつ道具を使えばいろいろなことができるドラえもんに、「話を聞いて そばにいて」だなんて、一見すれば誰にだってできそうなお願いをしています。でも、このお願いをできる相手ってその人にとってどんな存在なんでしょうか

ひみつ道具は 出さなくていい

 ドラえもんを呼びつけておきながら、ひみつ道具を要求しないなんて!とひっくり返りそうになってしまう落ちです。
 でも、「出さなくていい」とは言っているけど、「なくていい」とは言っていないのがなんだかミソな感じがします。

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 この短歌について、詠み人の界外さんのnoteには、次のように綴られています。(太字は斉藤によるもの)

 まだ要望として言語化できない。けれど、自分の存在や挙動をあたたかな眼差しで見つめていてほしい。そして、ひみつ道具を持っている人に、あえて出さずにそこにいてほしい。でも、必要になったら差し出してほしいので、持っているということが大事。という、とっても高度な(わがままな?)お願いなわけです(笑)。でも、人は誰しもこんな思いを根底に持っているのではないでしょうか。子どもの願いって、だいたいこんな感じです。すべての大人は子どもだったわけですから、ほら、ね。
―― ドラえもん 話を聞いてそばにいて ひみつ道具は出さなくていい|界外 亜由美|note

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 関わり方(教員→ボランティア→職員)は変わってきていますが、8年ほど子ども(高校生年代を中心に、小学生~高校生年代)と関わる活動をしてきた中で、「自分の存在や挙動をあたたかな眼差しで見つめていてほしい」というように思えることは、少なくないような気がしています。

 「困りごと」を解決するためにひみつ道具をどんなに使っても、なかなか状況が変化しないことがあります。そんなとき、ふと立ち止まって関わりを見返すと、「困りごと」に見えたことを解消したいのが一番ではなくて、自分の存在が認められる安全な居所としての役割が大きくなっているように思えるのです。

 そういった関係をつくり、維持する上で、ひみつ道具がなくてもよいわけではないのです。短歌で「出さなくていい」と詠まれているように、「ドラえもん」であるためには、そのシンボルとして「ひみつ道具」はなくてはならないものなのです。

 また、「ドラえもん」であることは、何でもできるスーパーマンになることではなくて、本当に必要なときに必要な最小限の手立てを差し出せさえすればよいのだろうと思います。普段は、どら焼きにつられたり、ミーちゃんにメロメロだったりするような、不完全さがあるぐらいで十分(=「支援者」として立派にいようとしなくてよい)なのでしょう。

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