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「本が好き」とは言いづらい

私は現在、書店員として働いている。
私個人としては、本が好きだから書店員としては働いているところが大きい。
でも、「本が好き」というのはなかなか人に言いづらい。
というのも、「好き」にはレベルがあり、そして上には上がいるからである。

私は昔から本が好きだったと思う。
小学生の頃、朝読書の時間は苦ではなかったし、国語の教科書も好きだった。
家に帰ってから本を読むことはあまりなかったが、それでよかった。
ゲームをしたり友達と遊んだり、もっと楽しいことがあったからだ。

高校でも現代文が得意だったから文系に進んだ。
本は好きだったが、自分の時間を使ってまで読書をすることはあまりなかった。
このときはニコニコ動画に夢中だった。

そして大学に入学したとき、新入生同士の交流会で読書好きだという女子と話した。
私もなにげなく、自分も本が好きだということを話したら、女子の顔が明るくなり、「どんな本が好きなの?」と聞かれた。
そして、当時好きだった本の名前を答えたのだが、その女子は失望したような表情になり、その後の会話も続かなくなった。
ああ、自分の本が好きという気持ちは、世間の本が好きと言っていいレベルには到達してなかったんだ。
それ以来、人前で「本が好き」とは言わなくなった。いや、言えなくなった。
大学も3年生になり、ゼミを選択する時期が来た。
私は「日本文学」のゼミに入りたかったのだが、周りの「本が好き」のレベルの高さに怖じ気づき、けっきょく他のゼミに入ってしまった。

大学を卒業してから、ひょんなことで読書をするようになった。
そうして今は書店員として働いていて、やっと「本が好き」と言えるようになってきたという安心感を持てるようになってきたのだが、それでもまだ言いづらい気持ちがある。
というのも、私の読書のスタンスが「読みたい本を読む」なので、その結果として読むのに骨が折れる古典や名著といったものをあまり通ってきてないのだ。
それがまたコンプレックスで、「本が好き」というのはやはりなかなか言いづらい。

そんなある日、遠方の両親がはるばる訪ねてきて、話の流れで私が勤めている書店に来ることになった。
そこで母が言ったのだ。
「うちの父さん、めちゃくちゃ本好きだから」
正直言うと、うちの実家には本棚がない。
父は本を読むが、それも好きな歴史小説をたまに読むくらいだ。
だから、父は当然のように謙遜をしたり照れたりするのかと思った。
「いやいや、書店員になった息子にはもう敵わないよ」と。
少なくとも私だったらそうする。
それでも、父は何も言わず、謙遜する様子も照れる様子もなかった。
それはまるで、「私は本が好き」という自負を持っているように感じられた。
元来無口な父だ。何も考えずにただ黙っていただけなのかもしれない。
でもそれは、コンプレックスにまみれた息子にとっては、驚くべきことだった。
そうして、父は書店の中を30分ほど巡り、一冊の本を選んだ。
それは、古典でも名著でもない本だったが、私が働いている書店で一冊でも本を選んで買ってくれたということがうれしかった。

わかっている。
本当は「好き」という気持ちにレベルなんかないということを。
「好き」の形が違うだけで、それは比べて上下をつけられるものではないのだ。
だから好きなものは好きと言っていいし、そこに謙遜も照れも卑屈もいらない。

本来、「好き」という気持ちはポジティブなもののはずであるのに、それがきっかけでコンプレックスを抱いて自分の「好き」を否定してしまうのはもったいないことだ。
だからたとえ他の人に自分の「好き」を否定されても、せめて自分だけは自分の「好き」をわかってあげたいと思う。

大学に入学したとき「本が好き」という気持ちを女子に否定された私も、「本が好き」という気持ちに自信が持てず日本文学のゼミに入れなかった私も、それでも確かに本が好きだったのだ。

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