家賃が人生を圧迫している
毎月、給料の半分が家賃として持っていかれている。彼女と同棲しているのだが、その彼女が転職したことで給料が下がり、結果として私の負担が大きくなってしまった。ATMで家賃を引き落とした後の、か細くなった残高を見た後は、帰りの足下がおぼつかなくなる。
私の家賃との付き合いは大学生のときに始まる。地方の大学で金がなかった私は、2万5千円の木造アパートに4年間住んでいた。6畳一間の1K。壁が薄く隣人からの壁ドンに心を痛め、冬のユニットバスはほぼ外と言ってもいいくらい寒く、滝行と称してシャワーを浴びるような部屋だった。
大学を卒業した私は意気揚々と上京し、そこで新たなアパートに住み始める。大学生のときと同じ間取りなのに、東京というだけで家賃が6万円に跳ね上がった。しかも、そのアパートは正確には千葉である。東京のアパートには高くて住めず、千葉のベッドタウンで安いアパートを探すしかなかった。仕事が始まり、毎日往復3時間の通勤が始まったときは気が狂いそうだった。いや、ちょっと狂ってしまった。
そんな生活に耐えかねた私は、2年で東京を脱出し、地元に逃げ帰り実家でぬくぬくと過ごすようになる。実家というのはすごい。なんといっても家賃がかからないのだ。家にお金を入れようとはしたが、無職ということでそれも免除してもらえた。そこから2年間、私は実家で無職として過ごすことになる。家賃がかからないということは、つまり働かなくてもいいということで、しばし家賃の呪縛から解放された私はここぞとばかりに羽を休めた。人生には立ち止まる時間も必要なのである。
そんな私が、今は人生でもっとも高い家賃を払い続けている。私はお金にはあまり興味がなく、仕事も簿給の書店員でそれなりに満足しているのだが、それでも毎月給料の半分が家賃としてもっていかれるのはつらいものがある。お金がないのは別にいいが、お金がないと人生の選択肢が減ってしまう。例えば私はいつか独立して本屋をやりたいと思っているが、そのための資金がまったく貯まらない。それにたまには旅行だって行きたいけれど、できるのは旅行雑誌を眺めることくらいである。家賃が家計を圧迫し、ひいては人生を圧迫している。
そもそもどうして家に住むことにこんなにお金がかかってしまうのか。"住む"という生きることの土台のようなところで、こんなにお金がもってかれてしまうのは、何かが間違っていると思う。そもそも昔は土地すら誰のものでもなかったし、家なんてそこら辺に自分で建てていた。鉄筋コンクリートのアパートは確かに快適だが、その代償として馬車馬のように働くことを強いられている。「衣食住」はすべてにお金がかかる高級品である。そんな憤りを感じてもうどうにもやるせなくなって、突発的にアパート探しを始めた。今より安いアパートを探し、浮いた家賃で人生の可能性を広げるのだ。
ネットでいくつかアパートの候補を出してから、その地域の不動産屋で相談してみた。だけど、けっきょく条件にあうような物件は見つからず。一つだけよさそうなところがあったが、その前日に申込が入ったようで内覧もできなかった。意気込んだ割に物件探しはうまくいかなかったが、それでもなんだかスッキリした。それは今の家賃に不満を言うだけでなく、物件を探すという行動を起こしたからだと思う。現地の不動産屋まで行って物件を探して、それでもなかったんだからしょうがない。頭で考えているだけだと、この「しょうがない」になかなかたどり着けない。身体を使って試行錯誤することで、やっと「しょうがない」が腑に落ちるのだ。
家賃が人生を圧迫している。それこそ本当にしょうがないことなのかもしれない。生きている限り住む場所は必要だし、お金を払わなければアパートには住めない。ただ、それでも現状よりいい物件を探すことはできる。行動することはできる。そうして行動し続けた先で、いつか古民家を安く買って、そこでのんびり暮らしながら本屋でも開けたらいい。
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