どうして官僚を目指したのか
???:「人生は冒険や!」
どうも、Akiraです。
今回の記事では、ホストクラブの話の前に、僕がどうして官僚(国家公務員総合職)を目指そうと思ったのかを書かせていただきます。
「官僚」という言葉を聞くと、教育熱心な親を持つエリートの家庭で、小学生の頃から中学受験用の塾に通い、中高一貫の進学校から東大法学部を卒業するイメージが強いと思います。
少しずつ学閥は薄れているそうですが、現状においても大多数の官僚はイメージ通りのエリートばかりでした。本当に真面目で、優秀な感じ。
しかし、僕自身は小説を2本くらい書けそうな極貧の家庭で、小中高は全て公立、大学はあくまで中堅レベルという絵に描いたようなエリートとは程遠い人生を歩んでいました。
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僕が生まれたのは、埼玉県浦和市(現在はさいたま市)です。
父、母、きょうだい2人の5人家族でした。
僕が小学校1年生の冬まではみんな一緒に暮らしていましたが、DV(父から母に対する)が日に日に激しくなることに悩まされていました。
ある日、家に住めなくなるくらい父親が大暴れをしてしまったことで(窓ガラス全割れ等)、母親が夜逃げを決意し、母方祖父の車に慌てて必要な荷物を乗せ、その日から祖父母の家で暮らし始めました。
たまたま他のきょうだいは祖父母の家に遊びに行っていて、僕と母だけが熱を出して自宅で寝込んでいた状態だったので、父が大暴れする様子を目の当たりにしてしまったこともあり、トラウマは大きいです。
今でも、割られた金魚鉢から出た金魚達が、床でピチャピチャと跳ねている様子を鮮明に覚えています。
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小学校3年生の頃にようやく離婚が成立し、そこからは、母、きょうだい2人と築年数40年?くらいで家賃5万円台のボロアパートに住むことになります。
3DKで1人1部屋のスペースもなく、母と上のきょうだいの機嫌のムラが激しかったため、あの頃の生活を思い出すと、今でも嫌な気持ちになります。
母親は10年以上、正社員になることができず、「ひとり親で3人も育ててやってる」とよく言っていました。本来であれば、感謝をしなければならないのはわかっています。
ただ、このような家庭環境だったからこそ諦めなければならないことも多かったですし、車も所有したことが無かったので、豪雨や強風の中でも周りの友人と異なり、自分だけが自転車に乗らなければならなかったことが辛かったです。
ちなみに、父と上のきょうだいとはもう10年以上、下のきょうだいとは5年以上会っていないです。
上のきょうだいは結婚して子どももいるそうですが、結婚式の様子も子どもの顔も知りません。
もう家族とは、死ぬまで会うこともないでしょう。
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あくまで大枠ですが、家庭環境はこんな感じです。
このような家庭環境で育ったこともあり、社会に対して強く理不尽な気持ちを抱いていました。
基本的には「自己責任」が叫ばれる社会の中で、安定した環境にない人間が放置されつつある現状であったり、スタートラインの平等が担保されていないことであったり…
ただ、こんな僕でも、学校生活だけはずっと順調でした。
中学校3年間は学級委員、高校3年間は体育委員で体育祭の団長をやっていたりと、友人にも恵まれ、家に帰るのは嫌でしたが、学校生活だけはずっと楽しかったです。
将来は、家庭環境に恵まれなくても、学校生活を楽しむことができれば強く生きることができる、だから自分は優しい先生になろう…と考え、大学3年生になるまで教師になろうと考えていました。
ちなみに、中高社会科の教員免許を取得しました。
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しかし、ある教授との出会いが僕の人生を変えます。
大学では教育社会学に関するゼミに所属をしていましたが、そこで階層に関する学問であったり、親の年収と子どもの学力の相関等、自分が理不尽に思っていて、興味関心のあった分野をたくさん勉強することができました。
その教授から、「教師になるのもいいと思うし、少年院の法務教官とか、家庭裁判所の調査官とか少年非行系の分野に行くのも面白そうだよね」と声をかけていただき、なんとなく教員採用試験の勉強に加えて、公務員試験の勉強を始めました。
人生で最後の受験になるかもしれない、大学受験の頃はお金が無くて(受験費用を家庭から捻出できず)、塾にも通うことができずやる気がなかったけれども、公務員試験は無料で受験できるから言い訳ができないなと本気で勉強をしました。
すると、公務員試験の筆記試験は全勝、自分でもびっくりするくらいの結果を残すことができました。
勉強のしすぎでパニック障害になり、救急車搬送されたこともあり、大変でしたが…
官庁訪問については、大学4年時は敗れてしまいましたが、翌年に希望する省庁から採用されました。
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すみません、前置きがだいぶ長くなりましたが、官僚を目指した理由というほど、実際にはしっかりとした志望動機はあまり無くて、たまたま受かってしまったという表現が1番適切だと思います。
貧困世帯で生まれた子どもが貧困世帯を築くというような、貧困の再生産が繰り返される世の中で、自分のような相対的貧困世帯出身の人間が官僚になったら面白そう…けど受かるかな?程度で目の前の勉強を頑張っていたら受かったような形です。
受験については、全て独学です。模試はたくさん受けていましたが、面接シート等も自分で考えました、誰からのアドバイスを貰うこともなく。
官庁訪問だけは、やはりレベルが違ったのでもう一年かかってしまいましたが、我ながらよく頑張ったと思います。
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本当はここには書けないくらいたくさんの思い出や出来事がありますが、詳しいことは直接本人に聞きにきていただければ…と思います。
本日はこの辺で失礼しますね。お疲れ様でした。
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