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リモ止め!が教えてくれたこと。

あれは何の涙だったのだろう。

「カメラを止めるな!リモート大作戦!」を観た。
「カメラを止めるな!」はもちろんぼくも大好きな作品。今回のスピンオフ映画も、ファンの心をくすぐるネタや仕掛けが随所にまぶされ、思わず吹き出したり、思い切り大笑いしたり。
自宅に籠る毎日、同じような時間が過ぎていく日々の中で、清々しい気持ちにさせてくれる最高の27分間だった。

笑いっぱなしなんだけど、そして画面は文字通り笑顔であふれていたのだけど、でもそれを観ながら泣けて仕方ない自分がいた。最後の日暮家の3人(+細田さん笑)の会話のシーンは文句なく感動的だったけれど、そのけっこう前からうっかり涙がこぼれていた。なんだかよくわからない涙。

様々な人が厳しい現実を生きている現在、自分は今のところかなり恵まれている。月給はもらえているし、在宅勤務をしながら子どもたちとそれなりに楽しくやっている。もちろん今後のことがどうなるかという不安はあれど、心身ともにそれほど「疲れ果てた」という感じではない。そう思っていた。

だから、途中から自然と流れてきて止まらない涙に戸惑った。いったいオレの涙腺は何に反応しているのか。

こうしてあらためて感想を書こうとPCに向かっていると、ひとつ思い当たることがあった。

ぼくは約20年間サラリーマンとして働いてきた。一応希望の業界に就職することができ、転職を重ねながらも、ある程度「好きなこと」をやれている実感がある。高収入とはいえないけれど、家族4人がそれほど不自由なく暮らせる程度の給料ももらえている。もっともっと努力してビジネスの成功者を目指す人生もあるのだろう。でもぼくはそれほど自分を追い込まずに、趣味も充実させながら楽しく過ごせることを優先したいと思ってやってきたし、そこに後悔はない。だけど40代に入ってからちょっとずつ芽生えてきた、そして段々と「気づかないフリ」が難しくなってきた気持ちがある。それは「誰かの役に立つ仕事がしたい」という願望だ。
今でも、まったく誰の役にも立ってない、ということはないかもしれない。とはいえ、ぼくの会社がなくなっても、おそらくそれほど困る人がいないのも確かだ。どこかの同業者が取って代わるだけのことだろう。

「社会貢献」といった大げさなことじゃない。ひとりでもふたりでもいい。誰かにとって「大切なこと」に関わる、そんな手応えのある仕事がしたいという気持ちだ。

自身の内面で徐々に成長していく胎児のような、そんな気持ちを抱えていた中で迎えたこの地球規模での非常事態。世の中の価値観が引っくり返り、多くの人が不安を抱えて生きている。しかしぼくにできることは何もない。無力を自覚せざるをえない日々。
ずっとそんなことを考えているわけではない。でも、自宅で業務のメールを打ったり企画書をつくっているときにふと思う。このままでいいのだろうかと。

長い回り道になってしまったが、そこで「リモ止め!」である。
この作品からあふれるのは、まさに、映画産業という大切なものを守るために「何とかしたい」という気持ち。その熱い思いを、最高の笑いという形で表現できる実現力。その素晴らしさに、自身の怠惰な毎日への後ろめたさが相まって、ただでさえ中年になり緩んでいた涙腺が大いに刺激されたのだろう。

そして、思った。
自分が誰かの役に立つとか「大切なこと」に関わるとか、そこから入るべきじゃないのかもしれない。
自分にとって「大切なこと」は何なのか。情熱をかけたいと思えることは何なのか。それを追い求めることが先だ。自分の「好きなこと」への想いが、きっと誰かの心を動かす。この作品が教えてくれたのは、そういうことかもしれない。

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