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『かぼすの軌跡』今後について-3

前回のあらすじ
前回私は就職以外の選択肢について落ちれば大卒専門学生への道をタイトルに一つの記事にまとめ上げた。
それがこちら↓

今回はそれでも大学4年間で学んだこと、学べなかったことをまとめようと思う。これも記録の一つ、資料には必要であると思う。
ただ、過ごした4年のうち2年は無駄に過ごした。
疫病が流行することを事前に知っていれば大学受験をしていなかったと思う。だが流行がいま収束していなかったら?
収束した後の一年、この一年を大学で過ごすことが出来るだけ幸せなのかもしれない。

これは最後の大学生活一年間をタイトルをつけてまとめたものである。
メモであり、同じ境遇の人がいるのであればその考えや経験を分かち合いたい。そう考えている。生きやすい世の中になりますように。
では、さっそく本題へ


第三話 この四年で学んだこと

▷建築学生について

何故、建築学生を目指したのか。この理由が未だに見つけることが出来ていない。考えられることとすれば中学3年の高校受験についての面談の際、何を将来やりたいのか、という問いに対して出した答えが「ランドスケープ、都市計画がやりたい」だった。
そして、その方向性と決まった私は美術科のある高校へと進学した。
この時点で選択を誤っていたのかもしれない。

私が公立高校に進学しなかった理由は一つ。
中学で過ごした人と離れたかったから。
もう、自分を知り尽くしている人といると危険と感じたから。
逃げたかった。

入学して
・一年目

疫病の流行により入学式は行われず、半年の授業遅れ。
他の人の作業量が見えず不安を抱く毎日。
二年目
取り戻せたかどうかわからない授業の毎日
実習のみの対面授業、初めての設計、模型作業。
友達は徹夜の毎日、私は計画的に作業を行い睡眠を削らない生活。
三年目
戻りつつある日常生活
授業のほとんどが対面授業になり、CADを使った設計が増え、模型を作ることが減った。
四年目
ゼミに入り(強制)自分の居場所が出来た。
週一回の対面授業。
キャンパスという広さでもない大学構内には自分が一二年の時には見なかったほどの大学生の量、観光客も増え、混み合う公共交通機関。

建築学生とは課題に追われて寝ない学生ではなく、どれだけ計画的に作業を実行することが出来るか。私は課題を提出するという環境に慣れていたから簡単な行動の一部だと感じていたのかもしれない。

▷人間関係について

詳しい話はこちら

私は過去(中高)にいじめを一回、嫌がらせを数回(覚えてない)を受けてここまで来ています。現在のいじめと8年前のいじめでは手口が変わり果てており面白いものではないかもしれないが、あの時にとっては立派ないじめだったと感じる。それにも関わらず私は大学でも人間関係に対して問題を起こしている。

人間関係というか、友達関係の作り方に対して学んだことは、友達としての振る舞い方を変えようということ。

▷友達について

大学一年の時に友達になった子にはいい子ぶる姿を多く見せていた。
そのせいか、距離が出来始めた。今の現状は知らないがその子が私に「推しをバカにされるんだけどどうしたらいい?」と聞いてきたとき私は「馬鹿にする人からは静かに離れたらいいんだよ」と言った。だから私も同じことをした。そして、推しを堂々と推すようになった。

そこから二年
大学三年の時、偶々課題でグループが同じになったうえ、はじめましての編入生の子。いつも通り静かに自分らしく過ごしていたら声をかけてくれた。グループに女子が二人しかいなかった、からかもしれない。そこから私は無駄な行動には出ず、でも、友達になってくれませんか?と声をかけた。
勿論授業以外では合わないほどの仲ではあるが、このぐらいが丁度いいのかもしれない。

そして一年後
大学四年、現在。これも偶々でサークル発表で演奏することになり、楽器不足で先生のゼミの人が参加してくれた。最初は正直何も感じていなかったが、同じ四年で建築学科であったこともありサークル仲間という括りで友達になった。勿論、その子もサークルの活動日にしか会わないほどの仲。

ただ、大学三年以降に出来た友達の唯一の共通点はLINEで話すこと。
気が合う合わないというよりは静かに話せるかどうか。
大人数より2人ぐらいの少人数である方が話せるということ。

▷音楽について

幼少期から音楽は好きだったのかもしれない。
物心がついたときには音楽に触れていた。
小学生、中学生と好きな教科は音楽だった。音楽だけ唯一自分を出せるそう思っていたのかもしれない。
小学校の学年末の発表会、卒業式、入学式の演奏(木琴)には普段手を挙げることが嫌いな自分でも立候補してまでやっていた覚えがある。
中学校でも部活は吹奏楽部
高校は吹奏楽部に入りたかったが分け合って筝曲部
そして現在、大学は吹奏楽部
ずっと音楽には触れている。

今となれば気になった音楽は繰り返し聞き、
吹奏楽の楽譜を編曲して、弾きたいピアノの楽譜を耳コピで作成して、
やりたい音楽を自分で作り上げているのかもしれない。

親が音楽関係に携わっている以上、子供が音楽を好きになるのは無理ないことなのかもしれない。ただ、私のやりたい仕事は演出。
しかし、音楽好きということに気付きドラマや映画、テレビの演出をしたいわけではない。コンサート、ライブなどの音に、音楽に関わる演出、監督をしたいのではないかと感じ始めた。

こんな記録も残ってました↓

▷行動について

方向音痴を理由にして行動を起こさなかったかぼす
何故、旅に出た?

1day仕事体験のため。
その企業にはとっくの昔に落ちていますが、東京に一人で行くという体験をすることが出来てすごい貴重な体験記になったんじゃないかなと、今では思います。全ての旅の記録はこちらに

この機会を後にしてから、行動範囲は広がり、インターンにも参加、専門の説明会も一人で。寧ろ方向音痴を武器にしてもいいのではと(絶対ダメ)

▷記録について

noteはもちろん、記録を残すことにした理由は大学生の限りある時間の仲での成果を残したかったから。2022年2月頃(大学三年になる前)
記録と記憶を遡ったところ、初めての記録はもう削除済みの読書垢と現在の記録(当時は備忘録)垢でした。
生きた証を残したい、ただそれだけでネタは尽きるばかり。
目指していたインフルエンサーのようにはなれず、何度か練りに練った現在、インスタは不定期投稿、noteはインスタの追記、記録用となった。

ただこれも行動の一つで行動に移せたことそれだけで良いことらしい。

最近の投稿は日常を淡々と過ごす中で感じたことをタイトルにし、小説を書くかのように投稿を作っている。このスタイルにしたときの初めての投稿がこちら。

小説を読むことにハマり、タイピングが早くなった今もっと何かをして世の中に残したい、と思う考えが行きついた先がここだった。

▷趣味について

趣味についてはここまでに多く語ってきた。
音楽、読書、楽譜作成、インスタの投稿など。

これまでの人生で趣味を自信を持って答えることが出来たことがなかった故の答えなのかもしれない。しかし、この先の進む道でなんの趣味が活きるか、残るかそれは誰にもわからず変えることができないことなのかもしれない。

今まで受けた多くの企業の説明会や面接での質問の数々でどこに行っても同じ答えが出た質問を紹介しよう。
「大学生の間に何をすればいいですか?」「入社までにやっておくべきことはありますか?」
答えはどこの企業も「大学生の間にできることをやりなさい」だった。

社会人になることで時間が無くなるだからやりたいことを
入社前にわざわざ勉強する必要はない。

これを間に受けるのが私だ。
あ、やりたいことやればいいんだ。勉強しなくていいんだ。となる。
大人はこういえばわかるだろう。ということを前置きなく発言しがちであるが、わからない人間もいるということ。
ただ大人はこのような人間を放って正しい人間だけで会社を設立する。だからダメ人間だけが浮き上がるくずな社会が出来上がるんだって思う(急に口悪くなりました)

何が言いたいかわからんから終わろう。

▷あとがき

正直、項目的には大したことのないリストだと感じるかもしれないが、この四年で改めて学ぶことが出来たことはもちろん、今までの自分に足りていなかった項目を発見することに繋がった。
これは避けられない大学生活の宿命だったのかもしれないと。

学べなかったこと、
それはこれからの人生において必要な知識なのかもしれない。
その知識があればこれからすることに時間をかけずに済んだのかもしれない。


次回、専門への道確定。


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