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発光体

振り返ると、とても褒められたものではない4年間だった。
何をしていたかと言うと、ずっと、ずっとバンドをしていた。
バンドをして、その資金繰りのためにバイトをして、毎日のように先輩の家に朝まで溜まって、その隙間に少し講義に出席したり、テスト勉強でファミレスに集まって一夜漬けをしたり、そうしてギリギリの単位を取ってなんとか4年で卒業したような大学生活だった。
そんな大学時代のことを書く。

高校生の頃からコピーバンドをやっていた。大学に入ったら軽音部に入部して、オリジナル曲を作って、CDを出すのだと心に決めていた。
入部早々にメンバーをかき集め、スリーピースバンドを結成。今までやったこともないくせに、なぜか私ならできるはずと決め込んでひたすら歌詞を書き曲を作った。深夜にスタジオに集っては練習をした。沢山ラーメンを食べた。
それらしいものがいくつかできた。
志望してたわけでもない大学、受かったから入学した大学、それは奇しくも軽音部が盛んな大学だった。音楽に詳しい人がたくさんいて、CDを借りては知らない曲を聴き、あれがカッコいいこれがダサいと談義し、しっかり大学生然とハヌマーンの歌詞に共感した。
学内のさまざまなイベントでステージに立ち、隣県のライブハウスのステージに立ち、下手くそなギターを弾いてへなちょこな歌を歌い、CDを作って手売りした。有難いことに何百枚か買ってもらえた。

音楽をするのって、苦しいことが多い。前回の豆の書いたエッセイにもそうあったが、創作する人のほんのほんの端くれの私でさえ思う。(並べるのもおこがましいくらいだけど。)
曲を作れる日は大抵ダウナーになっていた。昔あった嫌なこと、悲しかった思い出、転がり回るくらい恥ずかしかったこと、元彼との時間、友人の何気ない一言、将来への不安、孤独、寂しさ、怒り、夜中、朝日。
夜中に泣きながら海まで歩いてできた曲や、悲しい映画を見終わって気分がどん底にある時にできた曲、誰にも会いたくなくて家に引きこもって作った曲。そういう曲は決まっていいものになる。
つらいことや苦しいことは単純に持っているエネルギーが大きい。だからそれを何かに昇華することは比較的容易だ。幸せなことからいい曲を作れる人のほうが少ないような気がするし、できる人ってすごいなあと思う。
希望を描くことって、絶望を描くことの数倍難しい。
私はそんな作り方しかできなかったから、1曲を生み出すことにかなり大きな精神疲労があった。
希望や幸せはなだらかで絶え間ないものだから、それをありのままに表現することがすごく難しかった。だから私は凡才なのだろう。

バンドは数年で解散した。
理由はなんてことないよくある「方向性の違い」というものだった。
方向性の違いというのは、本当にある。「死因は心不全」とかそういう類の文言ではない。本当に方向性って違ってくる。
自分がカッコいいと思えない曲を歌うことはあまりにも私にとって酷だったから、やめた。
人それぞれこだわりがあって、やりたいことがあって、できないことがある。そのベン図が奇跡的に重なり合う一瞬でしか誰かと共同して作品を作ることはできない。複数人で何かを作るということは奇跡的で、もしくは各々が道を逸れない努力をしていないと難しい。そしてその「道を逸れない努力」というのは一概に善悪や進退で語れない。それにより必ずしも集団が良い方向に進むとは限らない。私たちはこれを選択しなかった。

以来自分のバンドを組んではいないが、今はたまに友人たちのバンドのサポートをしている。
他人の創作に乗っかっているうちはとってもラクだし、それなりに楽しい。
苦しい思いを経て味わう楽しさとはまた違う種類のものだが、今はとりあえずそれでいい。

大学時代、私はずっとバンドをしていた。
機材は全て捨てていない。

【今回のテーマ:大学時代のこと】
【書いた人:よしお】


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大学時代のこと。
大学時代は年に1回くらいは会えてたっけ?なにしてたの?

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