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【S-005】「知れば楽しい!今から間に合う‘昭和の東京’の楽しみ方」(大東京全図)

私は1969年生まれ。昭和という時代を3分の1くらい生きてきました。
大学生になった頃、時代は平成へ。そして令和になりました。

 東京は常にどこかで工事があり、日に日に風景が
変わっていきます。そして変わってしまった風景は、元に戻ることは
ありません。そこで、今からでも間に合う昭和の雰囲気の楽しみ方を綴り、
一人でも多くの方に昭和の魅力を知って頂きたいと思います。

「最新 大東京全図」

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実家の押し入れを整理していたら、年季の入った地図が見つかりました。
両親が結婚したのが、昭和42年なので、おそらくその前後に購入
したものだろうと思われます。中を見ても発行年月日の記載はないので、
いつ頃のものなのか、見当をつけてみようと思い、地図を広げて
眺めることにしました。因みにサイズはA4より気持ち小さい感じです。
実際この程度のものは、神保町辺りの古書店でも見かけるので、特に
お宝というものでもありません。

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開けて広げるとこんな感じ。大きさは半畳くらいですかね。

捜索開始

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練馬方面で確認したかったのが、現在の光が丘辺り。
ここは戦前、旧日本陸軍の成増飛行場があり、戦後はGHQに接収され
「グラントハイツ」として使用されていました。1973年9月に返還
されました。地図を見るとグラントハイツの表記があるので、
取りあえずは1973年(昭和48年)9月以前のものとなります。

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杉並区、世田谷区方面を見ると、環状八号線が甲州街道の少し
先までしか通っていないことが確認出来ます。
これも50年くらい前の東京です。

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新宿を見ると、「淀橋浄水場」が!!
1965年(昭和40年)3月31日で廃止されました。
ここは現在、都庁をはじめ高層ビル群が立ち並ぶところです。

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‘荒川区’と赤字でありますが、その「区」の下に「東京スタジアム」
とあります。
当時のプロ野球「大毎オリオンズ」の本拠地として1962年5月に
竣工し1972年に閉鎖になりました。現在跡地は荒川総合スポーツ
センターになっています。
この地図は昭和40年~42年くらい発行のものと推測しています。
ちょうど竹橋のパレスサイドビル竣工と同じくらいではないか、という
仮説です。東京スタジアムは、別の下記ノートにも書いているので、
合わせてご覧頂ければと思います。

知れば楽しい!今から間に合う‘昭和の東京’の楽しみ方(パレスサイドビル)
https://note.mu/kabochan/n/n0940a77abeb6

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年代を特定するには、交通機関は非常に頼りになります。
地図に別囲みで路線図があったので、じっくり眺めました。
皇居を中心にする手法や城東地区の面積が大きいことなどは
時代を感じます。「都電」や「トロリーバス」の表記があるのもしびれます。トロリーバスが全線廃止されたのは、1968年(昭和43年)9月30日。

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赤い線は、東京メトロ東西線ですが、何と竹橋駅までしか表示されて
いません。これは大きなヒントです。東西線の竹橋駅開業は
1966年(昭和41年)3月16日。
まずはこれ以降に発行されたものに間違いはありません。

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赤字の「大門」に注目です。これは都営浅草線です。この時点で
大門までしか開通していないということです。浅草線がこの先泉岳寺
(京急へ乗り入れ)まで延伸開業するのは、1967年(昭和42年)
6月21日です。したがって、1967年6月以前に発行されたものと
推測出来ます。
あくまで推測ではありますが、今回の結論として、この地図は
「昭和41年3月から昭和42年6月の間で発行されたもの」とさせて
頂きます。

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