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1番書きたかった事

将来の夢は、昆虫博士になることだった。幼稚園の頃から野山を駆け回り、昆虫採集に夢中な子ども時代を過ごしてきた。高校生になって興味の裾野は薄く広がる。この頃には、昆虫博士とは言っていなかったけれども、ドクターの道に進み、自然を研究する学者になる事を目標としていた。大学では生物学、特に生態学を専攻する。

生態学はおもしろい学問である。ピタゴラスイッチのような、システマチックなものが好きな僕にとって、広い生物学の中でも特に合致する分野だったと思う。特に植物はその環境の特性をよく表す。生えている植物を見れば、その土地がどういう歴史を持っているか何となくわかるものである。自然の仕組みを解明せんとする姿勢は刺激的で、とてもおもしろかった。更に、人と自然との関わり合い、そこに1番の興味が惹かれたのだと思う。いかに自然を守るのか、大学の初めの頃とかは自然ファーストとして考えていて、保全が絶対正義だとかと思っていた。だけれども、生態学 (というより環境倫理?) はより現実的だった。周りの学友と話し、果たして人間の生活を犠牲にして環境を守る理由はなんなんだろう、研究者として環境を守る事はできるのか、何が解なのか。そんな風に考え、ドクターへの道を悩んでいる最中での、今回の旅だった。

トレッキング開始時点ぬ13時間のJeep移動のうち、11時間は山道だった。生物学徒かつ植物生態学を研究していた僕にとっては、ネパールにどのような植物が生えているのか非常に興味があった。だけど、僕が行ったのは2月の後半。乾季のど真ん中であり、あまり目を潤すような植物や花は生えていなかった。山道を縫いながら、延々と続く山を眺めている他なかった。

トレッキング中に見つけた唯一の花

そう、遠くの山々を眺めるしか無かったのだ。逆に言えば、遠くの山々が見えていたのだ。想像してほしい。日本の山道をドライブしたときの風景のことを。新幹線で山間地域を進んでいるときのことを。最初から最後までずっと遠くの景色が見えていることは稀じゃないだろうか?部分的に開けて遠くの山が見えることはあっても、基本は森や林に覆われていて、あまり遠くが見えない。そこが違和感だった。このような景色を1回見たことがある。アイスランドだ。あまりにも厳しい環境であるため、荒野がどこまでも続いている。広大なU字谷のボトムから、見上げるとほそぼそとした滝が幾本もつらつらと落ちている。このようないつまでも遠くが見える景色は、日本のそれとはあまりにも違っていて、この時も変な気持ち、奇異なものを見る気持ちでずっと眺めていたのだった。カトマンズから山道に入り、ずっと遠くの山が見えているのが、違和感だった。そう、森だ。森が全然ないのが違和感だったのだ。

森林が無いことによる弊害のようなものも道中よく感じた。例えば土砂流出。遠くに見える山では地表が剥き出しとなり、多分雨季に降る強い雨によって表面の土壌が流出してしまっている。もしかしたら、あれらは土砂崩れの痕だっとのかもしれない。また、ぐしゃぐしゃに壊れた橋も見た。その橋の下にあるべき川は枯れており、橋がなくとも簡単に車で渡ることができた。渇水はともかく、大量の雨が降ると一気に水かさを増して洪水が起きてしまうのだろう。

遠くまで見えてしまう

エベレスト街道では絶対に見ないであろうゴミの山

これは、帰国してからわかったのだが、ネパールの森林減少は厳しい課題だった。森林減少率は年1%とも2%とも言われている。もし、この面積ペースで減少が続くと、50~100年後には森林が消失する計算だ。更に、後発開発途上国と呼ばれる、世界で特に貧しい国がある。ネパールのその国のひとつだ。開発費の半分以上がODA頼みという資料も有る。ネパールの森林劣化は無残だが、その経済発展も悲惨だった。1950年とかまで農村経済だったこの国に、急に資本経済が入り込んで急ピッチな経済発展が開始したため、いろいろついていっていない。特にエベレスト街道に繋がるこの道は新しい道だったため、急な資本の導入に周囲の社会も自然文化も対応できていなかったのだろう。モザイク状に伝統的な暮らしとカトマンズの風が存在していた。

手前と奥

じゃあ、Jeepに乗ってこの景色を目の当たりにした時、一体僕は何を思ったのだろうか。正直に言おうと思う。分からなかった。本当に分からなかったのだ。あまりにも森林が無さすぎて、禿山が続きすぎて、これが自然にできた植生なのか、それとも過剰な伐採の結果なのかが分からなかったのだ。ネパールの長い乾季は森林の発達には厳しいのかとすら、思った。Jeepに乗っている時、生態学を研究している身であるのにも関わらず、分からなかった。そして、それを理由に違和感に蓋をした。これから大変なトレッキングが始まるし、気にしている時間はない、そう思って気持ちに蓋をしたんだ。これからのトレッキングを否定しないためにも。。。。。

その結果、その気持ちに引きずられなかった結果、エベレストの大変素晴らしい景色とめぐり有ることができた。今までにない景色にひとしきり感動した。だけど、トレッキングをしている最中、特に余裕が合った帰り道にだんだんとわかってくる。Phalpuより先の車道がない場所では森林がしっかりと存在しており、またLuklaからNamcheまでの保護地域の中では森林の中すら歩けた。アレは自然植生ではなかった。過伐採の結果だったんだ。そのだんだんとやってくる気づきが痛かった。なんであの時、分からなかったのだろう。無知。専門分野において結局なにもわかっていない無知を恥ずかしく思った。

アレが過伐採の結果とわかった時、つまりトレッキングの途中なのだが、自分が初めて世界の環境破壊を体験したという事が分かった。今まで、授業や本で何回も熱帯雨林の劣化や環境汚染について学んできたけれども、スケールが違っていた。違いすぎて分からなかった。大学で環境を守る意味とか考えていたけど、現場を見ずに述べていただけ。まずは動くことが必要なんじゃないのか。そう思った。僕が行くのはドクターじゃない。環境を守りたいのならば、現場に行け。こうして、僕は幼稚園の頃から抱いていた研究者の夢を辞める事を、トレッキング終わりのカトマンズ行きの飛行機で、下を過ぎ去っていくジープ13時間分の山々を眺めながら、漠然と決めた。

帰国後、僕は研究テーマを変えた。それまでの研究テーマは基礎研究的なテーマだったけれども、温暖化に対する生物の応答というより環境問題に近いテーマに変えた。また、生態学だけではなくて、外来種を守る理由から木が立つ権利といった環境倫理から環境に関わる経済学まで様々を学ぶようになった。熱帯雨林を守るNPOの集会に出かけたり、国連の人の講演に行ったり、建設コンサルタントにインターンに行ったりした。段々と自分のやりたいことが具体化されていった。

環境を利用しつつ、その環境からの恩恵を保つ。

具体的に言うと、地域の人々が永続的に発展できるような環境の利用の促進に貢献したい。勉強して思った。環境問題に解なんてない、といより解は一つに定まらない。人によって価値観が異なる以上、解は違うんだろう。僕のやりたいこれもきっと絶対的な解にはならない。だけど、この旅のときより環境問題を考える時はいつもネパールでのジープからの光景が思い出された。環境を守ることは大切だ。だけど、それ以上に地域の人々の生活と持続的な発展の方が大切だ。飛行機でLuklaまで行かなくて本当によかった。ジープでPhaphluまで行って本当に良かった。本当にそう思う。そうじゃなきゃ、環境問題を感じるのはもっと遅れていただろうから、こんなに悩んで考えを深める事なんてなかっただろうから。

この思いを持ち、就活を始めた。そして、それが実現できるような会社から内定を貰えた。ネパールでこうした経験を得られたこそ、この会社を選んだし、会社も僕を採用したのだと思う。そして、2021年3月31日。今日は学生最後の日だ。今、僕は前泊の東京のホテルでこの記事を書いている。明日、入社式を迎える。そして、その後は、、、、

何が起きるかなんてわからない。季節外れで雪で足止めを食らう時もあれば、天気予報が大外れで快晴の時もある。あれほど障害だった大雪が、周囲の山を一層引き立てていたなんてこともある。その時その時に考えに考えて、最善に向かって全力を尽くす。そうすればなんて保証なんかないけど、その態度が重要だと思う。明日には明日の風が吹く。将来を案じる事は重要だけど、目の前のことだって重要なはずだ。明日から僕は会社で、将来的には「環境を利用しつつ、その環境からの恩恵を保つ」ができるよう、全力で頑張っていく。

終わり?

卒業旅行自体はこれ以降も続いていく。カトマンズ徘徊の日々、ポカラでの怠惰な日、バラナシでの酔狂まで。ハプニングも面白い出来事も、これから先もたくさん生じていた。だけど、一番書きたい記事は今回書いてしまった。どうしたものか。また気が向いたら書こうと思います。以上。

次回: 未定

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