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長寿な鹿~鹿之富士~

鹿之富士

 奈良の鹿について

 私は鹿之富士マガジンにおいて、鹿肉を中心に様々な肉について記してきました。記事を書きながら何度「おいしそう」と思ったことか。「おいしそう」とばかりよだれを垂らしながら情報収集にいそしんでいたところふと思ったのです。「奈良の鹿はどのくらい個体がいるのだろうか」

 早速、検索してみると「1182頭」存在することがわかりました。ちなみに2023年の調査結果によると(オス鹿:286)(メス鹿:770)(子鹿:177)だそうです。一般的な鹿の寿命はオスが10~12年、メスは15~20年。対する奈良の鹿はオスが12~15年、メスが20~25年。奈良の鹿は長寿命だということがわかります。
 では、なぜ寿命が長いのか。2023年の死亡頭数によると(交通事故:35、疫病:59、野犬:0、密殺:0、その他:50)計144頭です。奈良の鹿は「奈良の鹿愛護会」により保護されているということからも、長寿である要因がなんとな~く想像できます。私は長寿の要因の一つに鹿せんべいが含まれているとにらんでおります。

 奈良の鹿の歴史

 もはや、大仏を観るためでなく鹿にご飯を与えたいがために奈良公園に訪れる人も存在します。では、そもそも奈良公園に鹿がいるのはなぜなのだろう。神の遣いが何たらこうたら・・・ということは皆さんも一度は聴いたことがありましょう。しかし、具体的には認識していないというのが現状化かと思います。せっかくなのでこれを機に、学びましょう。

7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された『万葉集』では奈良の鹿の歌が詠まれ、このころは純粋に野生の鹿であった[注釈 3]。同時期の767年天平神護3年/神護景雲元年)には春日神社が創建され、その由来で主神の建御雷命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗ってきたとされ、神鹿(しんろく)と尊ばれるようになる[10]氏社参詣の藤原氏からも崇拝の対象となり、人間が鹿に出会うと神の使いとして輿から降りて挨拶した。これが続いて、鹿もお辞儀の習慣を覚えたという説がある[11]

藤原氏の氏寺で、春日神社と関係が深く、事実上の大和国守護であった興福寺からも神鹿として厳重に保護され、傷つけた場合は処罰処刑や連座追放の対象となる[12]。しかし、住民とのトラブルが多く、江戸時代初期のあり様では夜間歩くと路地から鹿が飛び出し人に敵対し何人もけがをしている[13]。過去でも鹿の様子は同様で、軋轢があっても、人は手が出せずを投げたりなどで防護したりするが、鹿に当たるとたちまち死傷する状態で、共存が困難で様々の事件が起きた。半割の木の丸い方を道路に向けた鹿に害を与えない奈良格子など町屋の様式にも影響している。天文20年(1551年)10月2日には、10歳の女子が本子守町で鹿に石を投げたら当たり、神鹿を殺害したとして、大人と同じように縄でくくられた上で興福寺周囲の塀を馬で一周させられ(大垣回し)した後に斬首処刑され、家族は連座で家屋を破壊され追放された(『興福寺略年代記』[14][15]

奈良の鹿 - Wikipedia


わお、日本史マニアが好みそうなワードが頻出しましたね。
 それにしても、昨今の夏は殺人的に暑いです。鹿さん、体には気を付けて。



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