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夢を見る、父と私の諦め【創作大賞2024エッセイ部門】

アヤコちゃんが自殺した。私が20歳のときだった。
アヤコちゃんはお父さんの「彼女」だった。

その5年後、お父さんが精神科病院に入院となった。
拘束もされた。
借金が1500万円あると発狂した。
子どもたちも支払い義務がある、と。


社会人3年目を迎えた春、父から留守電が入った。

「ユキちゃん、もうお父さん死ぬ、今救急車呼んだとこ、さっき血便が出た、大腸ガンで、父さん、もう何日もうんち出てなくて、どんどん手とか、顔が黄色くなってきて、足もフラフラして動きにくくて、ごめんなあ、結婚したとこなのに、マンションに葬式のこととか書いた紙、置いてるから、兄ちゃんと協力して、」

そこで切れていた。

私は医療職だ。3ヶ月前、地元に帰省して父に会っていた。いつも通り外食やお酒を楽しんだのを覚えている。本当に大腸ガンで死ぬほどの状態であれば気づくはずだが、体の異常はないように見えた。

私と兄はすぐに帰省した。
父は救急搬送された病院で全身の検査を受けたが、全く異常はなかった。血便だと思ったのは前夜の食事の影響で、やや赤く見えたのだろうと。

それでも父は「僕は末期ガンなんです!!」と医師にすがり続けた。
足は力が入らず震え、よろめき、崩れ落ちてしまう状態だった。
精神科病院を受診するように言われた。


「もうダメなんです、もうお金がないのに、人に奢るの辞められないし、大腸ガンで死ぬんです、父親も大腸ガンで遺伝です、家のローンが残ってて、1500万も、でも母さんの名義のままで、もうこのままだとユキちゃんが風俗で働くことになる、マンションにいたらアヤコちゃんが出てくるんです、死ねば保険金降りるんで、僕は自殺します、アヤコちゃんに呪われてるんです」

精神科の主治医は静かに頷く。

別人のような父の姿と、初めて聞く話に戸惑った。
母は私が5歳のとき病死した。20年も前だ。
その母の名義のままというのは一体どういうことだ?家のローン、払い終わってなかったの?

同時に言いようのない気持ち悪さが胸に充満する。

娘が風俗店で働くことを想像していた。他人から身勝手に性的な想像をされるのはとても許容できるものではないが、実の父であれば尚更だ。
自分が押し潰される。なぜ今、父の元に駆けつけているかも分からなくなりそうだった。

父はその後も「死ぬ、死ぬ」と繰り返し、すぐに入院、拘束となった。
「うつ病、適応障害」と診断された。

数日間地元で過ごした。
拘束が外され、お見舞いに行った。
いつ退院できるだろうか。心配で仕方がなかった。父が抱えている問題を、少しでも楽にしたかった。
話を聞くうちに、他にもたくさんの問題があると判明した。

まず、残高1500万のローン債務者は母で、売って返済しようにも、土地が特殊だから売るのが難しいようだ。
同敷地内に父方の家があり、管理が大変で手放したいが、これも同様に難しい。祖父母は死んでいる。父には姉が1人いるが、遠方に住んでおり、うつ病でお金もないため、相談はできないと思っているようだ。
母方の家も親族は皆死んでおり、売りたいが手をつけられていない。
すべての土地の名義が、死んだ人のままになっている。

父には、2つの生活拠点があった。

1つ目は、ローンの残る家だ。母の病死前に建築し、死後も家族3人で住み続けた。

2つ目に、マンションだ。
「彼女」のアヤコちゃんと父が生活する場所として、父が一括購入していた。
アヤコちゃんはそこで自殺した。
いわゆる高級マンションで、売却すればローンが返済できるかもしれないと、少し前にとある不動産屋に電話したようだ。
だが、事故物件だからたったの500万だと言われた。ローン完済には到底およばず、売っても意味がないと父は絶望した。
口座の残高は1000万。もう仕事はしていない。生活費も考えると、そう遠くない未来にローンの返済ができなくなる。

それ以上は、具体的な話を進めようとしても「意味ないよ何にも」「大変なことになる」と、繰り返すだけだった。

今後、父は入院と治療を続けていく。
抱えた問題についての話し合いは、今はするべきでないと考えた。
1000万円も残っていた。まだ時間はあった。

入院は1年と半年ほど続いた。
ときどき病院から、父の状態の報告や事務的な連絡がきた。
しばらく音沙汰がなく落ち着いてきたかと思えば、連絡が来て「お父様が、”死ぬ!死ぬしかない!!”と暴れているので拘束が必要です」と言われた。
元の病室に戻っても、また同じことの繰り返しだった。

やっと退院できる精神状態となり、訪問看護(自宅に定期的に看護師等が来て体調確認をしたり相談にのってくれる支援)の利用を条件に退院となった。父は「しばらくお兄ちゃんの家に泊まりに行こうかな」と話していた。
笑顔が戻った父をみて安心した。

しかし父は結局、兄宅に泊まることはなく、訪問看護も数回で拒否となった。
ひとりの静かな生活を選んだ。
アヤコちゃんの死んだマンションで。

アヤコちゃんは私が10歳の時に現れた。
私が高校を卒業するまで、父は毎週末、アヤコちゃんのいるマンションに泊まった。
卒業と同時に私は遠方でひとり暮らしを始め、父は毎日マンションで生活するようになった。
そして、アヤコちゃんは自殺した。

遠方で仕事をしていた兄は退職のタイミングと重なり、地元に転職、マンションで父と暮らし始めた。
かなり塞ぎ込んでいたが、兄と出かけるようになり、友人からも声をかけられ、少しずつアヤコちゃんの死から目をそらすことができた。
数年後、父が入院となる少し前、兄は転職によりマンションを離れた。


入院となるまで、父は1人でマンションにいた。
駅にも繁華街にも近い便利な立地だ。
一方、家は田畑と山に囲まれ、車がないと生活できない場所にある。
いつの間にか父は運転免許証を紛失し、再発行をせずに放置していた。
だからアヤコちゃんが死んでも、兄との暮らしが終わっても、うつ病になっても、マンションに住み続けるしかなかった。

退院後すぐにコロナ禍がきて、帰省ができなくなり、電話をかけるだけの日々になった。
残高はあまり減っていなかった。父には、生活を取り戻すのを最優先してほしくて、体調を聞くだけにしていたが、とても心配だった。
どんな生活をしているのか?何か困ってないか?
話すたびに「どうにかして帰省するよ」と提案するが、父は抑揚のない声で「会いたくない」「来ても何もできない」と繰り返した。

私を鬱陶しがり拒絶する父との電話は、何日も前から心の準備をする必要があった。
大人になるにつれ、父との会話が苦手になっていた。

だが、父に自殺をしてほしくない。
その一心で、電話をかけ続けた。

本当にそうだろうか?

アヤコちゃんの自殺後、私は強い罪悪感を抱いた。
もっと私がアヤコちゃんの話を聞いていれば、すべてを分かっていれば。
アヤコちゃんが好きだった。
父が自殺したら、また同じように罪悪感に苦しむ。それが嫌なだけではないか?
父が死んでも私は逃れられない、損したくないだけではないか?

それは本当に「父に死んでほしくない」と言えるのだろうか?

分からなかった。


私と兄は連絡を取り合い、自分たちだけで進められる部分は進めていこうとしていた。
死ねば保険金が降りると父は言ったが、自殺では降りないと聞き覚えがある。それを知れば、父は生きてくれるかもしれない。

父が自己破産すれば解決するかもしれない。弁護士に相談しよう。
それぞれの家も、不動産屋に売却を依頼したわけではないようだ。まずは査定してもらおう。

兄はすぐに「じゃあ俺、今度の休みにでも弁護士に電話してみるよ」などと明朗に引き受けてくれる。
しかし、待てども連絡は来ず、時間だけが過ぎていくことが多かった。
何も進まない状態も恐ろしく、大抵「やっぱり私がやってみる」と連絡した。
「1人で片付けるしかない」という気持ちが強くなっていった。

父の残高が減ってきた。これ以上は、問題を片付けるためのお金がなくなってしまう。動き出さなければいけない。
そのためには数ヶ月のまとまった帰省が必要だ。
私には医療の資格がある。転職もしやすいしブランクがあっても再就職しやすい。一方兄はそういった仕事ではなく、むしろキャリアがものを言う仕事だ。
私が休職、それが最善の方法だった。
介護休業をとった。

1年以上ぶりに父に会いに行った。

マンションの部屋の中は、ものすごいありさまだった。
床はコンビニで買った食事のトレイや紙パックジュースのゴミがそこかしこに散らばっており、抜け毛や埃が床の汚れに貼りついて、父のフケのような白い屑も固まっていた。息を吸っていられないようなひどい悪臭だった。
短髪だったはずの父は肩まで髪が伸びていた。着ている服は茶色く汚れ、穴が開き、ズボンはずり落ちないようにビニール紐をベルトがわりに巻いていた。

コロナ前は、月1回の精神科受診に合わせて入浴していたようだ。
しかし感染対策で、電話受診になった。
医師に会わなくていい。医師に姿を見られない。
父は入浴をやめた。
薬を受けとる、コンビニに行く、それだけの外出。
ベッドに横になり、一度も着替えず、ひたすらに食べるか寝るか。
それを1年以上も続けていた。

コロナが流行らなければ、こんな風にはならなかったのに。
それとも同じだったろうか。
何が、父をここまでにしてしまったのか。

父は変わらず私を拒絶していた。
「俺は貯金が尽きたら死ぬつもり。そしたら3000万降りて解決よ」
よどんだ顔で言った。

実際父は、死ねば解決だ。死ねば何もしなくていいのだから。父が消えた後の私たちの苦悩は、3000万さえあれば大したことではないのだ。
保険金が降りない可能性を伝えるも、父は理解できなかった。
何回伝えても「保険金が降りる」と言い続けた。

これから何をすべきかの相談をしても、父の返事はいつも同じで、意味がなかった。
ひとつひとつ専門家に聞き、マンションや実家で書類を探し、父に確認し、また専門家に伝える。その往復をした。
いつも私1人が動き、父はどこにも行けなかった。

まず、弁護士に相談だ。
自己破産は極力避けた方がいい、うつ病の人が行うには過酷すぎる。アヤコちゃんが自殺したマンションを改めて不動産屋で査定してもらうように。安かったとしてもそのお金をローン返済にあてれば楽になる。返済は待ってもらえる可能性があるから銀行に相談してみるように。

ローンの返済義務についても確認した。

書類を確認すると、父の言った通りローンは母名義で、母単独の債務者だった。
父が連帯債務者となっていれば、母の死後は父にのみ返済義務が生じる。
だが、実際は連帯債務者ではないため、返済義務は父と子どもでの相続となり、それぞれに2分割となった。
1500万のローン残高は父が1/2、子どもである兄と私はそれぞれ1/4ずつ返済となる。
仮に父が自殺し、私たちが父の相続を放棄しても、1/4ずつの返済義務は変わらない。保険金が降りなければ、働いてローンを返済する必要がある。自己破産も同様だ。
ローンを契約したとき、母は病気がすでに発覚しており、団体信用生命保険に入れていなかった(ローン契約者が死亡などにより返済不可能になった場合、返済不要になる保険)。
母名義の土地も同様に、父と子どもで2分割の相続だ。この状態では父がどうなっても、1/4ずつの土地・建物の管理義務、固定資産税納税義務が残る。

これにより父は、娘が風俗店で働くまでに思考が飛躍してしまったのだ。

父が弁護士と電話で話したいと言ったため、相談中に電話してもらった。

「はいはい、説明いただいたことは全部知ってます。弁護士さんに話しても意味ないって分かってたんですよねぇ、保険金が降りるんでねぇ……」

すべてを台無しにするような言葉だった。私と話しているときは、憂鬱そうに最低限の言葉で話すのに、”弁護士”のような人には高い声で饒舌に話すのだ。全部知ってるなら教えてくれたらよかったのに。
体が鉛のようになる。

次に、父の出費をすべて確認した。

父は投資家だった。
私が中学生のころはかなりの資産があったようだ。
父は外車に乗り、時計やブランド物をたくさん集め、毎週のようにゴルフに行き、友人たちと飲み歩いていた。アヤコちゃんの生活費も一部出し、プレゼントも渡していた。
私と兄を育ててくれて、友達よりも多いお小遣いをもらい、友達よりも頻繁に旅行にした。習い事も、進学も、ひとり暮らしもさせてもらった。
「我が家はお金持ちなんだ」と思っていた。

だが、本当は2008年のリーマンショックで大損になっていた。
その後は投資を続けつつも、基本的には貯金を取り崩す生活だったようだ。
思い返せば、父が少しケチになったと、たまに感じていた。
しかし、日常的にお金をたくさん使っていた。金が減っているとも、節約が必要とも言われず、私は何も気づくことができなかった。

精神科入院となる少し前に、また投資で損をしていたようだ。
それ以降、父は完全に投資をやめたが、投資家として設立した法人はそのままで高い社会保険料を払い続けていた。
支払いをやめるには法人を解散しなくては行けない。父に伝えても、やはり動けなかった。方法を聞いても、ダメや、無理や、と繰り返すだけで、私が調べながら書類整理などを行い、父が確認し、法人は解散した。
よく分からないサブスク、年会費のかかるクレカの解約などもすべて行い、出費を必要最低限に減らしていった。

マンションは、いくつもの不動産屋に査定をお願いした。
どの不動産屋も「ぜひ売ってください、事故物件でも大丈夫です」と口を揃えた。
高級マンションでは、アヤコちゃんの自殺は大したことではなかった。
いくつもの不動産と毎日毎日連絡をとり、10万でも高く売れるように交渉した。
おそらく父が以前電話した不動産屋は悪徳だったのだろう。

「1500万ローンが残っている」と言っていたが、銀行で確認したら800万ほどだった。父は大事な書類を整理せず、どこに片付けたか忘れてしまうような人だ。混乱した頭で目算し、さらに強固な混乱を作り上げてしまった。
800万ならばマンション売却で十分完済できる。胸を撫で下ろした。

完済手続きには必ず父本人がいく必要がある。
久しぶりの入浴となった。体力の低下により、すべて洗い終わるまでに2時間ほどかかった。
理容室にも到底いけず、私が散髪を頼まれた。
いつぶりに父に頼み事をされただろうか、なんだか嬉しい。
切った髪が服につかないよう、父は風呂場で上裸になった。
久しぶりに近くでみた父は、細く、しわしわで、粉々だった。

私は疲れ果てていた。
ローンも不動産も法人も、何もかも、調べると難しいことばかり書いている。世の中の人は皆、こんな風に生きているのか。
父がすべてに手をつけられなかったのも、うつ病になるのも、当然のように感じた。
兄は仕事で動けない。私の夫に頼ろうにも夫まで仕事を休むわけにはいかない。
私の家族の問題で夫を苦しめるのは嫌だった。
叔母にも頼れない。1人でやるしかない。
父も同じような気持ちだったのだろうか。

四方八方に動き回り、毎日父に報告しても感謝はなく「意味ないけどな」「俺が死ねばいいだけ」と繰り返される。
父のためじゃない、これは私のためなんだ、と頭に叩き込む。見返りを求めるな。
否定する父のあまりの執拗さに声を荒げたときは「怒るなよ」と歪んだ顔をされ、関係を良好に保つために、笑顔をはりつけた。
いったい私の感情はどれが正しいのか、分からなくなった。

それでも浴室で裸の父を見ると、父に死んでほしくない、父が大切だと思った。今まで私にしてくれたことの記憶が蘇った。

小言を言いながらもお弁当を作ってくれたこと。
家族で温泉に行き、食堂で食べた肉うどんやゲソの唐揚げの味。
2人で映画館に行って、観た映画。
みんなでいろんな場所に旅行して、何度も年を越してきたこと。
きっと忘れているだけで、もっとあるはずだ。
毎日帰る家がある、当然だと思っていた暖かさ。
たくさんのお金を使ってくれたこと。十分だ。

父は確かに、私を愛していた。

だが、大人になってからの私は、父に対するトラウマも強く感じるようになった。

掃除が苦手な兄の部屋で「片付けろ!」「お前が片付けやすいように全部散らかしてやる!」と叫ぶ声。ドン、ドゴンと繰り返される音。
兄を「なんでこんな問題も解けない?」と叱責、軽蔑で呆れた顔をしていた。
次は私の番だ、同じ目にあわないよう、綺麗に整えた部屋で必死に勉強し続けた。
兄のリストカットに気づいても父は変わらなかった。
私の成績が落ちたら「進学先は無い、もうお前はダメだ」と笑った。
生理用品の扱いが分からず、汚いものを見るような目を向けられた。
大きなお願いをするときは土下座が必要だった。
ありがとうも愛しているも心配してるも、言われた記憶がない。

いつも父はアヤコちゃんを馬鹿にしていた。
明るくて、父より若くて、天真爛漫な人だった。でも、どこか噛み合わなさもあった。父はアヤコちゃんの話に適当な相槌をしていた。
フルタイムワークができなかった。頑張って仕事をしても「大した仕事じゃない」と言う父、アヤコちゃんは笑っていた。
アヤコちゃんは睡眠薬を処方されていたが、父は「飲まずに寝ろ」と怒っていた。

アヤコちゃんは何度か父の前で自殺未遂をした。
一度だけ、私もその場に居合わせたことがある。高校受験の前日だ。高校がマンションに近く、前泊していた。
勉強している横で父と激しく言い争い、アヤコちゃんはベランダから飛び降りようとした。それでも父は怒鳴り続けていた。またアヤコちゃんが飛び降りようとする。
2人とも仲直りする気がなかった。

明日、受験なのに。

高校時代は何度も喧嘩の仲裁をした。「お父さん、浮気してるの」と相談された。死んだ母への嫉妬を聞いた。父との性生活や必要とされる嬉しさを話された。
放課後、アヤコちゃんに会いにマンションへ行くと時々、部屋中が散らかっていた。ゴミ、インテリア、服、雑誌。その真ん中でぐしゃぐしゃのアヤコちゃんが泣いていた。父と喧嘩したんだと一目で分かった。
アヤコちゃんの腕をさする。どうしたの、大丈夫よ、大変だったね。小さい私と兄を救うようだった。
一緒に買い物に行ったり恋愛の話をして、母のような存在を失うのが惜しかった。アヤコちゃんは愛情表現をしてくれた。
それぞれがそれぞれに依存していた。

私は勉強ができなくなった。

アヤコちゃんが自殺した日は、いつも通り大喧嘩をしていたようだ。途中父は「結婚なんかしない!」と、夜中に出ていった。
アヤコちゃんはずっと結婚したがっていたが、父はどっちつかずだった。
父が朝帰ると、アヤコちゃんは死んでいた。
私が帰省し、マンションに行くと、部屋の壁には「8月に結婚する!」と書いた紙が貼ってあった。

いつからか、人間関係がうまくいかないと自覚するようになった。
答えを探すために本を読むと、家族関係の影響だと書いていた。
そうか、私が生きづらいのは父のせいなんだ、機能不全家族だからだ、そう思って良いんだ。



知らないほうが楽だったかもしれない、とも思った。
「良好な家族関係」を知り、新たな苦しさが増した気がした。
知識を得た上で、親を憎むのではなく、さらに愛することは可能なんだろうか?

いや、私は身体的虐待はされていないし、お金を出してもらった。
親を憎むなんておかしい。
さまざまな感情が渦巻く。
自分が愚かで浅ましく見えた。

ローンは完済したが、その家も父方の家は、どの不動産屋からも、やはり難しくて扱えないと言われた。
母方の家も売却を頼んだが、近隣に不気味な家があるため希望は薄いと言われた。
しかし名義は変更できた。母名義のすべてを父名義に相続登記した。
これで相続放棄を選択できる。

もう父が死んでも大丈夫だ。


きっと父もずっと考えていただろう。問題をなんとかしなくては。だが手をつけられなかった。
もともと厄介ごとは見ないように関わらないようにする人だ。自分ではうまく立ち回れていると思っている。
それに、お金があれば後戻りできない状態などないのだ。いつでも取り返しがつく。

父が投資を始めたのは、母の病気判明がきっかけだった。それまでの転職回数は20を超えていた。
職が堅い母の方が、頼り甲斐のあるような夫婦関係だった。
投資で成功した父は「お金持ち」になった。母の死後もそのまま生き続けた。周囲からは賞賛され、羽振りが良くなり、人が集まった。金持ちにしかできない会話をして、投資の知識を人に話せた。その快感が当たり前になった。
大損した後も、そこから抜け出せなかった。

困ったら子どもと相談し弱音を吐く親もいるようだが、父は違った。
自分はすべて満足し思い通りになっている。そう振る舞っているようだった。心配されたり意見されるのを嫌った。面倒な相手には怒鳴ればいい。おそらく、弱音を吐ける相手はいなかった。

考えを言語化する苦手さ、誰に言っても理解されないし、見下されたくない。
父にはそんな、大きな穴があるように思えた。

アヤコちゃんが自殺して、兄と暮らしていたが、それも終わった。
少しだけ忘れられていた「自責」が父の脳内に充満する。
次第に眠れなくなった。友人とも会えなくなった。
でもたまに会ったら奢ってしまう、お金持ちだから。
そのころ、私は夫と入籍した。
お金持ちの親として、祝ってやらねば。子どものためにも問題を解決せねば。自分を取り囲む問題が迫ってくる。自分しか頼れない。アヤコちゃんが幽霊になって追いかけてくる。そうだ、もう何十年も健康診断をしていない。体調がすぐれない。父は大腸ガンで死んだから俺の体もガンが進行してる、間違いない。

そうして父の精神を守っていた塀は崩れていった。

マンションを売ったあと、父は小さいアパートを借りた。
ローン完済したが結果的に父の貯金は増え、節約しながら生活している。
残った家たちは定期的に草刈りなどをしているが、住宅管理サービスも利用している。

父は「ありがとう、ユキちゃんのおかげで俺は死ななかった」と言った。
安心した。これからは私が父を守っていこう。

だが、父は投資を再開した。

「また外車に乗る、高級マンションに住む。お前達にも同じマンションの部屋住まわせてやる、楽しそうだろ?お金あげるから、働く必要もない」
高い声で話した。

躁かもしれない。うつの症状も続いている。薬をたくさん飲んでいて副作用もある。また繰り返しにならないか、不安で仕方がなかった。
私は今の生活に満足しているが、父には捨てるべき生活に見えているんだ。
父がお金をくれなくたって、お金持ちでなくたって、ただ父がいてくれたら、私はそれで良かった。

最初は反対したが、せめて私も安心しながら父が投資を行える方法はないか、あれこれと提案した。
だが父は、信用されず管理される気がして、不愉快だったようだ。
「もう親子の縁を切ってもいい」と言われてしまった。

連絡が返ってこなくなった。


いつの間にか私は、父を理解した気になっていた。
孤独を救ってあげたいと思っていた。
父は私だ。父の孤独は、私が持っていた孤独と同じに見えた。
父は私を愛している。父には私が必要だ。伝えるのが苦手なだけだ。


これは、私が見ていた夢だった。
愛していたのは、諦められなかったのは、私だ。
父がどう思っているかは、分かりようがないのだ。
私だけがずっと夢に縋って、父という人間の人生を、自由を、搾取してしまっていたのではないか?

もうやめなければいけない。

それでも、何かあれば連絡がくる。
父が犯罪者になったら、父が自殺をしたら。
相続の問題や責任が発生する。
家族は業でつながれている。

父は今も、お金持ちになる夢を見ている。
夢を見て、諦めたのだ。
なにもない自分のままで愛されることを。

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