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何が好きかわからない

はじめに

誰かのことを知ろうとするとき、この人は何が好きなんだろうと考える。だから、初対面の人に「休日はどんなことをするのが好き?」「好きな音楽は?」などの質問をするのはごく自然なことである。私は、この手の質問に答えることに、以前は強い苦手意識があった。今でも全くないといえば嘘になる。苦手だと感じるのは、自分自身がこれらの問いに対する答えをきちんとわかっていないからである。

自己紹介が苦手

自分の好きなものをよくわかっていないため、自己紹介は苦手である。私は好きなものを scrapbox にまとめているが、全部頭に入っているわけではないので、口頭で聞かれたときに、これが好きですという回答がすっと出てこない。「これが好きなの!」というものはそんなになくて、「そういえばこれ好き」「強いて言えば、この系統好き」みたいなのが多い。

苦手な質問

「音楽聴きますか?」という質問が苦手で、実際はなんとなくいろんな曲を聴いているんだけど、「あんまり聴かないかな......。」といつも答えてしまう。自分は音楽は好きだけど、語れるものがないという気持ちが強くて、どうしても音楽の話題は避けてしまう。

私は小学生から大学生まで楽器をずっとなにかしらやってきた。ちゃんとやっていたのはピアノ、箏曲、クラシックギターくらいかな。今は何もやっていない。演奏している最中は楽しいのだけれど、別にそこまで好きじゃなかったのかもしれない。どの楽器についても、「何の曲演奏したい?」と聞かれても、回答することができなかった。なんとなく好きな曲はたくさんあっても、特にこだわりがなかった。箏曲だけは演奏したい曲があったような気もするが、覚えていない。どちらかというと、楽器そのものや楽曲よりも、仲間と合奏するという行為が好きだったように思う。

「好きなミュージックアーティストは?」「好きなジャンルは?」という質問も苦手。結局私は何が好きなのかわからない。一見私は音楽が好きな人に見えるだろうし、好きだとは思うのだけれど、音楽を好きな人と語れるものがない。女性アーティスト・アニソン・アイドルあたりが好きなのかなとは思ってる。邦ロックもなんとなく好きな気がしていて、いろいろと聴き漁ってるけどあんまりわからない。たぶんメタルはそんなにハマれなそうだなという気がしている。学祭でデスメタルのバンドサークルのライブに行ったけどそれは楽しかった。

「好きなミュージックアーティストは?」という質問に答えるのは本当に難しいと思っている。私の場合、アーティスト単位で好きなことはあまりない気がしている。じゃあ「好きな曲は?」という質問に答えられるかというとどうなんだろう。「この曲好き?」というクローズドクエスチョンだと答えられるけど、オープンクエスチョンになった瞬間に、わたしには好きな曲なんてあったっけ、と考えている自分がいるのだ。

私はクラシック音楽の演奏者に興味がない。これと近いかもしれないけれど、アニメの声優にもあまり興味がない。ドラマを見ていても、ストーリーには興味があるけど、俳優さんにはあまり興味がない。この人が演じるからこうなる、みたいなところには興味がないのかもしれない。

全部を好きな曲というのは難しくて、「曲の雰囲気は好きだけど歌詞はネガティブで嫌い」みたいな曲が結構ある。正直雰囲気で聴いていて、歌詞の意味なんて考えたこと無い曲もある。

明るくて可愛い曲はだいたい好き。歌がうまくてギターがかっこよかったらなんとなく好き。クラシックはゆったりとした曲が好きだけど、他のジャンルだと明るくて速いテンポの曲が好き。バラードはそんなに聴かない。

歌詞はポジティブなものの方が好き。恋愛っぽいものより友情とか応援ソングとかの方がすき。世の中の曲は恋愛について歌っているものが多すぎるなと思っている。でも恋愛ソングは結構聴いている気がするし、好きな曲もある。

最近は、私って音楽好きなんだろうかと悶々としている。好きなジャンルもアーティストも曲もわからなくなってきた。

「好きな論文は?」というのも苦手な質問のうちの一つである。論文はわりと必要にかられて読んでることが多い気がしていて、自分の感情に無頓着すぎるのか、好きとか嫌いとかわからない。自分がどの分野に興味があるのかというのを見失っている気がするので、もう少し自分の感情を気にしてみようと今は思っている。

人間に対する好き

私はこの部分に関しては結構はっきり持っていると思う。どちらかというと、好きになっちゃうと一日中その人のことを考えちゃうし放っておくとその人の話しかしなくなってしまうタイプで、明確に「好き」という気持ちがある。それを物に対しても持ちたい。

この音楽が好き、このゲームが好き、この映画が好き、なんでもいい。なんだかその手の感情を忘れつつあるようで怖い。好きだと思うものがないわけではない。「この人の文章が好き」という感情はある。作家さんに対してはあまりないが、Noteでフォローしている方々やTwitterのフォロワーさんの文章に対しては好きだなとか苦手だなという気持ちを持ちながら読んでいるなと感じる。

好きなものがないわけじゃない

先日、『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』をみてきた。映像コンテンツに対して、ふわっと好きと思うことはあっても、あんまり強烈に好きを感じることはないんだけど、この作品は好きだった。私にも映像コンテンツに対して好きって思う気持ちが存在していたんだ、ということを思い出させてくれた。私の場合、ふわっと好きなものは多いけれど、本当に好きなものって少ないのかもしれない。

物欲があまりない

小学生の頃、売店で祖母に「何でも買ってあげるよ〜」と言われて私が「何にもほしくない」と答えたら、売店のおばさまに「物欲のない子ね」と言われた。実家では両親祖父母に多くのものを買ってもらっていたので、私のほしいかどうかという意思とは無関係に物がたくさんあった。一人暮らしを始めてから、本当にほしいと思っているものはそんなに無いんだなと気づいた。実家を出る前に、メルカリで不用品を200以上売ったが、自分の意思で買ったものはほぼなかった。セットで売っていたものが結構あったので、実際にはもっと数はある。物欲があまりないのは、ものすごく好きだと思うものが少ないからなのかなと感じている。本当に欲しい物はすぐ買うので。生活に関わるものに関しては、他のものに比べると、好きという感情が発生する頻度がまだ高い気がする。本当に好きなものだけに囲まれた生活は快適なので、小学生の頃からミニマリストっぽい思考をしていたのかもしれない。

なんでみんな大好きがあるの?

なんだか世の人々は「趣味は?」「好きな音楽は?」「好きな作家は?」などの質問に対する答えを当然のように持っていそうだなと思っている。人生でこの手の質問をされる機会は多いので、みんなそれなりに自分が何が好きなのかちゃんと考えてきたのかもしれない。あるいは、考えるまでもなく好きなものがあって答えればいいだけなのかもしれない。

私の場合は、ものすごく好きなものはあまりないわりに、ふわっと好きなものが多すぎて、〇〇以外だいたい好き、みたいな回答をするほうが無難なのかもしれない。私の人生はだいたい消去法である。好きなものよりも苦手なものの方が少ないから。

なんとなく好きだけど語れないと思っている分野はこわい

これまた音楽の話。Music×Analytics Meetup というイベントがあって、初回から興味自体は持っていたんだけど、この前5回目の開催にして初めて参加した。

興味があったならとりあえず参加してみれば良かったんじゃないかとは思うんだけど、なぜか私はそれをしなかった。音楽について人と語ったり盛り上がったりという経験が乏しくて、踏み出せなかった。視聴するだけなら、誰かと何かを語る必要性がないにも関わらず。「音楽について語れる人の集まり」からは距離をおく癖が、いつからかついていた。

結論から言うと、参加してすごく楽しかったので、音楽に関して語れるものはないけれど、ふわっと音楽は好きなんだなというのを感じた。別に語れるほどの熱量を持っていなくても、ふわっと好きな気持はもっと大事にしていいんじゃないかなということに気づかされた。

好きなことと分析を組み合わせた発表をきくのは楽しくてまぶしくて、私も自分なりの好きを見つけたいなと感じた。


好きってどうやって見つけるの

わからないので教えてほしい。

なんとなく記録するサービスに感想やお気に入りを登録することで、少しずつ自己理解がすすむ気はしている。でも自分のお気に入りリストを見ていても、本当にお気に入りなのか自信がないときもある。

「様々なものにふれて、好きか好きじゃないか判断する」を繰り返すしか無いのかなと考えている。過去に判断したものに対しても、見直す必要があるのかもしれないとも思っている。

おわりに

結局好きなものがわからなくて、私は20代後半になってもまだ自分探しをしている。

今自己理解にとても興味があるので、うまく機械学習と掛け合わせて解決できたらいいなーと、漠然と思っている。機械学習使わなくていいなら使わないで済んだほうがいいんだけど。

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