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1人の女性がデータサイエンティストになるまで 〜前編〜

はじめに

こんにちは。かばやん(@kabayan256)です。

この記事は、以下の「1人の女性がエンジニアになるまで」という記事に触発されて書こうと思いました。私は、人生なんとなく流されてここまで来ました。プログラミングやそれに関連することに若い頃から興味を持っていた人たちはすごいと思っているのですが、そういったものがあまりなかった人の話です。それでも過去の選択や興味がつながっている部分はあると思ったので、人生でキャリアにつながったと思う部分をピックアップして書いてみました。こんな人でもプログラミングを始められるんだな、くらいに思って読んでいただけると幸いです。

以下簡単なプロフィールです。

- 92年生まれ
- 女
- データサイエンティスト(社会人1年目からずっと)
- 教育環境には恵まれていた
- ITにはわりと疎い家庭で育ったし、私自身も疎かった

幼稚園

幼稚園はお引越しの関係で、2回転園しました。1園目は、東京都内の私立の幼稚園を受験して通いました。マイペースすぎる子どもで、園の時間割を守らずにひたすら滑り台をしていたそうで、心配されていました。

2園目と3園目はロンドンにある幼稚園に通っていました。2園目に移る前に日本で英会話を始め、ロンドンに引っ越してからは現地の先生に英語を習っていました。習い事は他にクラシックバレエとピアノをしていました。自分が何かをやりたいと思ってやっていたというより、周りの女の子たちもやっているから、という意識が強かったです。どの習い事も、同じ幼稚園の子が多く通っていました。

当時はなかったのですが、今では年長さん向けにプログラミングの課外授業を導入しているそうです。幼稚園でプログラミングを学べるところはまだまだ多くないように思います。

当時、将来の夢は特になかったのですが、「お花屋さん」と答えると大人に「可愛いー!」と言ってもらえるので、お花屋さんと答えることにしていました。お花は好きで、お花の図鑑をよく眺めていたので、お花屋さんになりたかったというのは、あながち嘘ではありません。

小1〜小2

小2の夏までロンドンにいました。この期間は、習い事をたくさん習わせてもらっていました。乗馬・クラシックバレエ・ピアノ・声楽・作曲・英会話・水泳をやっていました。やりたいって言ったらなんでもやらせてもらえる環境でしたので、両親には本当に感謝しています。プログラミングのプの字も感じませんけどね

また、私にとってこの時期は、ずっと遊んでいても怒られなかった最後の時期だと思います。ポケットピカチュウやたまごっちでずっと遊んでいて、あまりにも遊びすぎてこの後ゲームが実質一切禁止になります。これらが私が最後に所有していたゲームだと思います。ゲームボーイとかNintendo DSとかWiiとか買ったことないです。プログラミングをしている人は、ゲームを好きな人が多いという印象を私は持っていて、私はゲームをほとんどしたことがないというと驚かれます。

ロンドンの私立の小学校に通っていたのですが、始業前にコンピュータルームを使うことができて、それを楽しみに毎朝早く学校に行っていたそうです。マウスでお絵かきをしていたので、キーボードは使っていませんでした。当時の私はお絵かきが好きだという認識しか持っていなかったので、コンピュータに興味を持っているという自覚はありませんでした。

算数が得意だと感じ始めたのも、この時期でした。算数の授業進度はロンドンよりも日本の方が早く、私自身は学校の勉強とは別に進研ゼミをやっていたため、算数の成績はとても良かったです。私に限らず、他の多くの現地校に通っていた日本人も同様に感じていた人が多かったように思います。勉強は全教科得意だったので、現地校に通っていなければ、特に算数が得意だと思わなかったかもしれないと思いました。

小3〜小6

■ 小学校受験
小3から私立の進学校に編入しました。私立に入ったのは、親戚で公立に通ってる人がおらず、なんとなくみんな私立に行くもんだと当時の私は思っていたからです。当時編入受け入れをしている学校は3校あったのですが、消去法で一校にしぼり、ペーパーテストと面接を受けて入学しました。受験しなかったうちの1校は女子校だったため共学に通いたかったので選ばず、もう1校は校長先生に「もっと偏差値の高い学校に通ったら?」と言われたのでアドバイスに従いました。一般的に私立小学校の入学はお受験塾に通って対策するものらしいのですが、進研ゼミの勉強のみで受けました。受かってなかったら公立に通っていたはずなので、全然違う人生を送っていたのかなと思います。

■ 中学受験
進学校でエスカレーター式ではない(附属幼稚園はある)小学校に通っていたので、ほぼ全員中学受験をするような環境でした。同じ学年で公立に進学したのは一人だけで、中学受験をしなかった人はいなかったと思います。

よく「小学校から私立に通うのと、小学校は公立で中学受験塾に通って中高一貫校に進学するのとでは、どちらが良いか」という議論を見かけるのですが、私の場合は「私立小学校に通いながらSAPIXに通って進研ゼミもやって中高一貫校に行く」というルートでした。たまたま編入で入った小学校が進学校でなければ、エスカレーター式の学校でのほほーんと大学まで行っていた可能性もあります。

■ 専科担任制、習熟度別授業、定期試験
多くの小学校では一人の先生が全科目教えると思うのですが、専科担任制の学校でした。定期試験は年10回あって、その成績によって教科ごとにクラスが分かれていたので、周りの子と比べて各教科の得手不得手がわかりました。算数と理科が得意で、社会が苦手だったので、この頃には私は理系だと思い込んでいたと思います。

■ 学校とSAPIXと進研ゼミの両立
正直な話、全然両立できていませんでした。進研ゼミの付録は好きでしたが、テキストは全然やっていませんでした。学校の定期試験が年10回、SAPIXのクラス分けに関わるテストが年12回、小テストや宿題は学校でもSAPIXでも出ますし、内職は許されていませんでした。私自身は21時には寝ていましたが、偏差値の高い学校を目指していた子たちは、午前2時頃まで勉強していたとの噂がありました。当時は自分が頭が悪くて要領が悪いせいでこなせなかったと思っていたのですが、今思えば、計画自体が無謀だと思います。今までの人生で一番忙しかった時期でした。クラブ活動にもかなり時間を割いていましたし、習い事もしていました。

■ 携帯電話
周りの中学受験塾に通っていた友だちのうちの何人かは、塾帰りの連絡のために、子ども用のガラケーを持っていました。私は持っていませんでした。

■ パソコン
家にパソコンがあるという人は小学校の同期には結構いました。私の家にはなかったので、お仕事で使う人やとんでもないお金持ちの人が持っているものだと思っていました。小学校にはパソコンの授業はなかったので、この時期は一切触れていません。

■ そろばん
週4でそろばん教室に通っていました。他にも習い事はしていましたが、一番好きだった習い事です。そろばん以外のことも、たくさん教えていただきました。

中学

中高一貫の女子校に進学しました。なぜ女子校に進学したのかとよく聞かれるのですが、都内の中高一貫校は男女別学が圧倒的に多いので、通いたいと思った学校がたまたま女子校だっただけです。

小学生の時は正直女子が苦手でした。モテれば女友だちなんていなくてもやっていけると思っていました。しかし、女子校では女の子と仲良くできないとやっていけません。入学して3日もたたず女子嫌いは直り、むしろ女子の方が話してて楽しいと思えるまでになったのがかなり良かったと思っています。

中1の時に初めてタイピングを習いました。学校の夏休みの課外授業を受講しました。全然覚えられなくて、亀のように遅かったです。

中2〜3は生徒会役員をやっていました。生徒会役員会では、コンピュータを用いた書類作成の仕事が多くありました。本当に何もわからなくて、「p のキーってどの辺でしたっけ?探しているんですが見つからなくて......。」「コピペって何でしたっけ?」「メニュー出す時ってどうするんでしたっけ?(右クリックでメニューを出せることを覚えられなかった)」なんて質問を役員会の他のメンバーにしていました。

この時期は、オタクと呼ばれる子たちは何故かコンピュータでの書類作成が早いなーと漠然と感じていたり、家にコンピュータがある子は有利だなと思っていたりして、私にはコンピュータの操作は向いていないなと思っていました

■ 携帯電話
事務連絡のみならと言うことで親に買ってもらいました。友だちと雑談メールをしていたことがバレて何度も怒られたのも今では良い思い出です。

■ パソコン
中3の時に、生徒会役員会のタスクが下校時間までに終わらなかった場合に続きを家でする必要があるからという理由で買ってもらいました。本当は残タスクなんてなかった気がします。「私の家パソコンないんで〜」って断ってた記憶ならあります。私以外の家族にはあまり活用されていませんでした。また、使用用途は授業の課題のみで、1日1時間までという制限がありました。このルールは高校卒業まで続きます。

高校

■ 留学
高校1年の時に交換留学でオーストラリアに1年間行きました。留学する際には、ノートパソコンを持っていく人が多いです。私も持って行こうと思っていました。しかし家族から現地でのコミュニケーションの機会を減らす要因になると大反対され、学校の先生にもお願いして一緒に説得してもらったのですが受け入れてもらえませんでした。

留学中、フリーメールアドレスの作り方をよくわかっていなくて、親が作ってくれたメアドを使っていたら、日本にいる友達とやり取りをしていることがバレて、しこたま怒られました。語学の勉強に行っているのだから日本人とは一切連絡取るなとのことでした(これには今でも同意できません)。そのあとちゃんと自分で新しいアドレスを作りました。

留学先の学校では、1日1時間だけコンピュータルームが解放されていました。毎日1時間コンピュータルームにこもってブログを書いたりFacebookを巡回したりしていました。ブログとFacebook以外のことはほぼわからず、ネットサーフィンは全然していませんでした。当時の私はFacebookでは日本人とは友だちにならないという方針でやっていました。ちなみにブログをやっていることを親にバレて、めちゃくちゃ怒られました。Facebookは一度もバレたことが無いのですが、家族のSNSに対する嫌悪感はすごいので、28歳になった今でももしバレたらかなり怒られると思います。怒られても人に迷惑をかけないことならバレないように続けよう、という考え方はこの時に身につきました。留学しなかったら、未だにSNSに手を出していなかった可能性があると思っています。良い子でいることをやめようと思い始めたのはこの時期だったように思います。

留学を機にブログを始め、ブログのカスタマイズにハマりました。HTML/CSS との出会いです!特に真面目に勉強はせず、へえ〜と眺めながらコピペをしていました。

親元を離れてコンピュータに触れる機会ができたことで、インターネットの楽しさを知ってしまいました。留学していなかったら、何も知らないままタイピングしたことない系女子になっていたと思いますし、スマホもまだ持っていなかったかもしれません。ちなみに現在家族でスマホを持っているのは私だけです。

交換留学では楽しかったことや学んだことはたくさんあるのですが、こういった意外なところにも影響があったんだなと振り返って思いました。留学先は全寮制のとても校則の厳しい女子校だったのですが、私の家よりは緩かったです。

■ 文理選択
成績が理系科目の方が良かったので、迷わず理系にしました。世界史は好きでしたが、日本史が本当に興味を持てずにダメでした。得意科目と興味で進路選択をしましたが、英語ができて図書館に毎日通う文学少女だったので、同じ学校の子たちには意外と言われていました。日本史以外のありとあらゆるジャンルの本を片っ端から読んでいたので、常に読書冊数では校内1, 2を競っていました。読書感想文や弁論大会などでクラス代表に選ばれたりしてたのも、文系っぽいと思われる要因だったように思います。

英語は得意だったので、語学系に進学することも考えなくもなかったのですが、留学で「英語はできる人は本当にできる」というのを痛感して、英語を主戦力とする場所には行きたく無いなと思っていました。

■ 部活
部活は科学部に入っていました。理科の実験は面白いので、それを放課後にもできるのは楽しかったです。文理選択関係なく、化学・物理が好きな子たちが集まっていました。当時は意識していませんでしたが、女子校で理系の部活があるのは当時では珍しかったと思っています。また、女子校だと男性が多くて入りにくいみたいな問題が一切ないのが良いと思っているのですが、当時はそのありがたみを一切わかっていませんでした。入部当時はあまり人気のない部活だったのですが、気づけば文化系で一番大きな部活になっていました。

■ 大学受験
大学はやりたいことで選べと言いますが、難しいと思っていました。なりたい職業から逆に考えようと思って、「〇〇になるには」シリーズは全部読んでいましたが、それでもピンと来ませんでした。興味のある学問領域を一つには絞れず、楽しそうだと思った学科をいくつか受験することにしました。

やりたいことがないならとりあえず偏差値の高い大学に行け、といった話をされることがあります。オープンキャンパスは中学生の頃から行き始めていたので、各大学の情報はなんとなく収集しており、大学ごとに行きたいか行きたくないかというのはなんとなく自分の中にありました。

よく学歴マウントの話がありますが、私自身はずっとそういうのがある環境で育ってきたので、「東大早慶以上の偏差値の大学、あるいはブランド力のある大学以外に行ったら一生バカにされ続ける」という意識をかなり強く持っていました(今は持っていません)。私が生きてきた世界では、「進学する学校のブランド力」はあって当然、なければかなり生きづらいものでした。それを満たす前提で、好きなことをするとなると、得意な科目でいける学科がいいかなとなり、理学部にしぼりました。浪人ダメ・実家(東京)から通える範囲以外ダメ・自転車をこぐ能力がないのでキャンパスが広すぎる大学はダメという縛りもありました。自転車の練習を小学校低学年くらいまではしていて、乗れるようにならなかったのですが、受験校選びで選択肢が減るとは思っていませんでした。

偏差値が中途半端な大学に行くくらいなら、お嬢様大学に行ってお金持ちと結婚して専業主婦になればいいや、というプランも立てていました。大学で楽しいと思えることを学びたいという意識はもちろんありましたが、それ以上に周りからの目を気にする心の方が大きかったように思います。勉強は好きだったので、このプランを実行することにならないように、受験勉強は頑張りました。専業主婦志望の人は周りに全然いなかったので、めずらしかったと思います。キャリア路線で行くか、お嬢様路線でいくかの選択だったと思うのですが、この選択が違ったら今の私とは全く違う生活をしていたのだろうなと思っています。

私立大の受験をするとき、化学科と応用化学科を中心に受けてました。滑り止めの中で受かったところには数学科もありました。

本当は応用化学科に行きたかったのですが、センター試験の得点が伸びず、国立大の中で、ある程度偏差値の高い大学で、受かりそうなところを探したところ、情報科学科か農学部かという選択肢になりました。私は農学部には興味がなかったし、情報科学科なら「得意の英語と数学を活かせそう」「最先端っぽい!」と思って受験することに決めました。また、今まで家族にコンピュータにあまり触らせてもらえなかったのもあり、情報科学科に進学すればコンピュータと触れ合う大義名分ができると思っていました。

情報科学科に願書を出していたのは、国立大のみだったので、もし受かっていなかったら全然別の道を歩んでいたのだと思います。

大学

国立の女子大の情報科学科に進学しました。第一志望の大学ではなかったし、第一志望の学科でもなかったのですが、入学してしまえば楽しすぎてそんなことは一瞬で忘れ去ってしまいました。ここに流れ着いたのは本当に運が良かったと思っています。

■ 検索力
プログラミングにおいてはエラーメッセージを適切に検索することが必須スキルのうちの一つだと思っているのですが、大学入学時の私は検索力が本当にありませんでした。休み時間に周りの子たちがネットサーフィンをしているのを見て、ネットサーフィンってどうやってするんだろうと思っていました。一体何を調べるのだろうと。ここで私はTwitterと出会いました。Twitterのタイムラインに流れてくる単語で知らないものがあった時に、検索するということを覚えました。ネットサーフィンをできるようになったのはTwitterのおかげだと思っています。

■ スマホ
大学4年生で初めてスマホに変えました。同学年ではかなり遅い方でした。自分自身がスマホを持っていなかったので、それまではアプリ開発にはあまり興味を持っていなかったように思います。

■ Twitter
基本的には知り合いをフォローしていましたが、他大の情報科学科の人ってどんな勉強をしているのだろうと思って何人かフォローしていました。このおかげで競技プログラミングを知ることになったり、ハッカソンや勉強会の情報が手に入ったりしました。

■ 女子大
勉強会に行くと必ずと言っていいほど他大の女性の方から「普段女性と話す機会が無いから話せて嬉しい!」と言われた記憶があります。わざわざ探さなくても身近に技術の話で盛り上がれる女性がいる環境は本当に貴重でしたね。

■ 研究室
「人工知能かっこいい!」のノリで機械学習系の研究室を選択します。機械学習は頭良い人たちがやりそうだし私にできるのかなと思う気持ちもありましたが、楽しそうだなという気持ちが勝ちました。

■ その他
正直、研究室配属前までは普通に授業を受けて課題をこなしていただけなので、大学時代に関しては特筆することはありません。プログラミングを知らない状態で入学して、運良くプロクラミングを嫌いにならなくて良かったなと思っています。

つづく

後編には大学院以降のことについて書きました。


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