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【ヒトと生き物 農家さんインタビュー企画】第1回 黍原 豊さん(三陸駒舎)

この記事は、私がブログ内でやっているインタビュー企画を部分公開したものです。ブログの方では全文読めますので、この記事を最後まで読んで興味を持たれたらぜひせシうだBlogを訪ねてみてください。

個人で勝手にやっているだけの企画ですが、おそらくかなり読み応えのある内容になっていると思います。

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今回から、『ヒトと生き物 農家さんインタビュー』と題してシリーズものでインタビュー企画を始めることにしました。

内容は、シンプルに言えば、面白い農業をやっている方や動物と関わる暮らし方・働き方をしている農家さんなどに私がインタビューをさせていただくというものです。


この企画は、主に

・農業、人の暮らしと関わる動物、田舎暮らしなどに興味がある
・農業で(それ以外でも)なにかやりたいと思っているけれど踏み出せずにいる


そんな方に向けて、現状から一歩踏み出すきっかけになるような読み物を作りたいという思いから考えついたものです。私自身も、現在進行形で農業に携わっており、自分も、そして自然や生き物も豊かになれる働き方を探って悩んでいる若者です。絶対に得られるものがある内容になっていると思いますので、ぜひ読んでいってください。

「ヒトと生き物 農家さんインタビュー」企画、記念すべき第一回目の人物は黍原 豊(きびはら ゆたか)さん

岩手県釜石市で、馬を通して生きる力を学ぶ一般社団法人三陸駒舎(さんりくこましゃ)の代表をされています。初回からタイトルを裏切ってしまうんですが、農家さんではありません(笑)。

もともとは自然保護に興味を持っていたという愛知出身の黍原さんが、岩手で子どもたちと関わるようになった経緯。黍原さんの思考がひとつの形に至るまでに、どのような経験をし、考え、悩み、そして行き着いたのか。じっくりお話していただきました。

三陸駒舎とは?全国で教育的な牧場を経営する寄田と復興まちづくりに携わる黍原を中心に2015年4月に設立。 築90年の古民家「南部曲り家」を拠点に、馬と共に暮らす地域文化を再生します。 馬との暮らしをベースにしたエコツーリズムやホースセラピーなど新たな仕事を起こし、誰もが心豊かに過ごすことのできる持続可能な地域の未来をひらきます。 釜石市や地域の方々、首都圏サポーターなどと連携して事業を展開。 2017年の年末より障害児を対象とした児童発達支援・放課後等デイサービスも開始。(HPより引用)
黍原 豊(きびはら ゆたか)さん:1977年愛知県生まれ。2001年岩手大学農学部修了。在学中は、山村集落に通い詰めたり、クマの追跡調査など、大学よりも山で多くの時間を過ごし、岩手の魅力にどっぷりとハマる。就職活動は全くしないまま、卒業後は岩手に残ることだけを決める。NPO法人岩手子ども環境研究所、県立児童館いわて子どもの森を経て、2013年4月から今年5月まで、釜援隊として復興まちづくりに携わる。釜石で活動する中で、地域固有の文化再生と継続的な子ども支援の必要性を感じ、三陸駒舎を設立。(HPより引用)

自然保護から環境教育へ(大学時代〜設立)

黍原さんは、岩手大学の農学部出身。林政学研究室に所属していました。
「農業」と「教育」という、従来は交わらないような2つの分野が、黍原さんの中でどう溶け合って行ったのか。インタビュー前から私が気になっていたのはそこでした。

:実は私の研究室(農村計画学)の同期にも、教育系のことをやってる子がいたんです。ただ私は、子どもにそこまで関心が持てなくて、、、結局そっちに全然惹かれないまま卒業したんですね(笑)
黍原さんも最初から関心があったわけではないようですが、自分の中のどういう要素がそちらに振れるきっかけになったと思われますか?
黍原さん:漠然とはしてましたけど、以前から自然保護に興味がありました。ただ、自然保護だったり、環境問題を訴える人って批判ばかりしていて、、、森林伐採だとかそういう問題にも「反対!反対!」っていうだけでは、何も変わらないじゃないですか。環境問題は、暮らしとか人、私たちの足もとの問題なのだから人が変わるべきと思うようになった頃に「環境教育」という言葉と出会いました。

大学3年から4年に上がるときに、このまま就職するのもなにか違うと感じて休学したという黍原さん。その休学期間に、自然保護系のボランティアとして参加していた団体が、子どもキャンプをすることになって、そこで初めて子どもと関わったそう。

黍原さん:関わり方とか全然わからなかったですよ(笑)。でも、子どもの頃からこういうこと(環境教育)やるのっていいなと思って。

他にも、本格的な山里の文化体験ができるバッタリー村というところを訪ねたりして、黍原さんの中で「環境」と「教育」という2つの分野が混じり合うようになっていきました。大学4年時には、「自然学校と地域作り」というテーマで卒論に取り組んだそうです。

:私も農学部に進学したりしたのは環境問題に興味があったからなんですけど、私は根っこの部分に「動物好き」っていうのがあって、「環境」と「動物」の2本軸が私の中心に通っているんですね。黍原さんは今、馬と一緒に活動されてますけど、お話きいてると、動物と関わることにもとから興味があったわけではないんですね。

黍原さん:なかったです、最初は。動物にもなかったですし、人にもそんなに興味はなかったです(笑)。自然保護をどう解決していくかっていうことを考えていたら環境教育と出会って、その後馬に出会って、徐々に関わるようになっていきましたね。

三陸駒舎の設立は、東北大震災で苦しんでいる子どもたちと出会ったことがきっかけ。現在は、自分を上手く表現できない子や周りと馴染めない子などにも手を差し伸べていますが、自然保護や環境問題へ、環境教育という分野からアプローチしていく取り組みをやっていきたいという思いは持ち続けているそうです。

:大学卒業時から三陸駒舎設立までも色んな経験をされたと思いますが、その中で変化していったり、それまでの自分に加えられていった考えなどはありますか?

黍原さん:うーん、なんだろう。
世間的に話題になっていたりしたのもあって、「持続可能性」ということを考えるようになりましたかね。地域の持続可能性を考えたりする場合も、子どもたちが健全に育つ場がないと、結局はその子たちが大人になって地域社会を作っていくわけですから。

:今の活動にも繋がってきますね。

黍原さん:はい。三陸駒舎の活動も、今はメインが子どもたちのケアになっていますけど、その活動も持続可能なものでないといけないので。

:ちなみに、三陸駒舎の活動は今後誰かに引き継いでいったりということは考えていらっしゃるんですか?

黍原さん:引き継ぐ、、、わかんない!(笑)
ここはまだ完成系ではないんです。エコ資源を使った施設の運用や、馬を使った仕事を新たに生み出すこと、地域の循環への貢献なども一気にはできることではないので、できる範囲でやっていきたいです。

大学卒業後、黍原さんはさまざまな活動をしていく中で日本におけるホースセラピーの草分け的存在である寄田勝彦さんと出会い、そして馬と出会います。いるだけで子どもたちの心をほぐす馬の力に「勝てない」と強く感じました。この出会いから、三陸駒舎の設立へ事業が進んでいくことになります。

続きは↓(ブログにとびます。もちろん無料です。)

https://datedatelog.com/interview1/

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