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看取り

1月18日、17時38分携帯電話が鳴った。介護施設からの連絡だった。入所中の伯母の容体がおもわしくないと言う内容だった。「お住まいが遠いから、もしもの時に間に合わないといけないと思いまして。」看護師の言葉にいよいよだなと心がきゅっと締め付けられた。急いでキャリーケースに数日分の着替えを用意し、新幹線のチケットを予約した。

故郷の町外れにある介護施設に伯母を預けて移住してきた私。伯母は父の姉にあたる。彼女は20歳の時、一回り以上も年上の旦那さんに恋をし、両親の反対を押し切って駆け落ち同然で結婚をした。そしてその旦那さんを30歳の時に見送っている。癌だったそうだ。新婚すぐに旦那さんは病気になり、ずっと看病の生活だったと聞いた。こどもいなかった。未亡人になった後、彼女は苗字も変えず亡くなった旦那さんとの思い出の詰まったマンションに30年以上もの間ひとりで住まい続けた。頭部への外傷が原因で進んでしまった認知症のために一人暮らしが難しくなり、施設への入所が決まった。病院から施設へ転院する際、もう戻れないことが決まったマンションを片付けに行った。そこには古いダブルベットや、古びた小さな冷蔵庫。灰色のペアのクマのぬいぐるみなどがあった。このクマきっと、元々は真っ白だっただろうなぁ。要するにそこは叔母にとって大切な旦那さんとの短い新婚生活を送った愛の巣だった。まるで時が止まったように伯母の20代の暮らしがそのまま残されていたのだ。

旦那さんとの思い出の詰まったマンションに暮らし続け、年老いたおじいちゃんおばあちゃんの介護をしながら、家業である診療所の助手を務めていた伯母。もともとは仏教徒であった私の父方の実家だが、戦後おばあちゃんが何かのきっかけでキリスト教に改宗した。以降、それぞれのタイミングでわたしの父も含む兄弟姉妹は皆クリスチャンになったそうだ。

今から12年ほど前のお盆の真っ只中。叔母が診療所の玄関で頭から血を流して座り込んでいると父から連絡があった。話によれば、伯母本人は大丈夫よーと言いながらニコニコ笑っていると言う。自転車で買い物に出かけ帰ってきたときに玄関で体勢を崩し倒れて段差に頭をぶつけたと言っているとの事。父が付き添い救急搬送され、すぐに手術になった。外傷性硬膜下血腫。検査の結果、認知症を発症していることも判明した。この日より遡ること半年ほど前から、私は叔母の様子がとても気になっていた。30年ほどもの長い間介護を続けていたおばあちゃんと、数年の看護をしていたおじいちゃんを相次いで看取った叔母は何か急に老け込んだような、そしてはっきりとは言い表せないのだけれどどこかに微かなだらしなさを感じさせるようになったその様子から、おばさんもしかして少し認知症が始まっているのかも…と感じていた。当時60代半ば、伯母は自ら車も運転し、毎日働いていた。薄化粧をして、アクセサリーも忘れない歳を重ねてもはつらつとした元氣な女性。かっこいいなって思っていた。その伯母に感じたかすかな違和感。それが、喪失感による鬱状態で引き起こされたものではないかと思っていた私。そしてどこかで認知症ではないかと疑いつつも、そうであって欲しくないと言う気持ちが強くあったのだと思う。そのかすかに感じた違和感は半年もしないうちに現実となり、そして私ははじめての介護生活に突入したのだった。

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