ドラマとはなにか?②『相克・対立・葛藤』

 前回の記事にて、ストーリーとドラマの違いを述べました。

・ストーリー=『物語・筋書』 アクションのみ
・ドラマ  =『脚本・劇』  アクションとリアクションのくり返し

 では、漫才のように相方がいて、セリフの応酬をしていればそれはドラマとなりえるのでしょうか?
 答えは否で、単なる日常的な会話だけではドラマは成立しません。
 そもそもドラマとは"感動させること"ことを目的としているので、会話に盛り込まれる要素には"人の感情を動かす要素"が盛り込まれるべきです。
 では、"人の感情を動かす"とはどのようなものでしょうか?
 通説では『相克・対立・葛藤』と言われています。

『相克・対立・葛藤』

 各々の語を辞典で引いて調べてみました。

・対立=二つのものが全く反対の立場を取ること。
・相克=対立する二つのものがお互いに勝とうとして争うこと。
・葛藤=人と人がお互いにゆずらず対立すること。
    または心の中に二つ以上の欲求・感情が起り、
    そのいずれを選ぶか迷っていることや状態

 ネガティブな言葉ばかり並びました。
 なぜこのようなネガティブな要素がドラマには必要となるのでしょうか?
 というのも『山あり谷あり』の方がドラマチックで、ひいてはドラマを作りやすいからです。
 異世界で村人Aが村人Aのまま生涯を終えるよりも、パーティーメンバーを追放された主人公が修行するなどしてザマァ♪ する方が見ている方もスッキリしますし、苦労した主人公が最後報われる様を拝むことができると幸せな気分をおすそ分けしてもらえた気分になれることでしょう。
 物語の王道の作り方と言われている『ヒーローズジャーニー』や『三幕構成』においても、主人公が迷う、対立する、障害にぶつかる展開はある種必須のものとされています。
 つまり『相克・対立・葛藤』のない物語は、ドラマにはなりづらいのです。(成立しないとは言っていない)
 よってドラマチックなシナリオを作成する際は、

・主人公に迷いや不安があるか
・主人公に対立相手がいるか
・主人公の目標を阻む障害があるか

 などをチェックするべきかと思います。

淡々としたものはドラマにならない?

 ドラマには『相克・対立・葛藤』が必要であると述べましたが、必ずしもそうとは言えない例外が存在します。

・ベテランが作る場合
・媒体による

ベテランが作る場合

 "誰とも争わず、対立せず、障害と呼べるものもない"がなくとも人気を博したり名作と呼ばれたりする作品はあります。
 小津安二郎の『東京物語』などが代表的です。また『孤独のグルメ』なども作中に大きな事件が起こるわけではありません。
 淡々とした作品を得意とする作家や監督、作中のその雰囲気が好きだという根強いファンは確実にいらっしゃいます。
 しかしそのどれもがストーリーラインが非常に練られたものであり、決して"ドラマチックな作品が書けないから、苦手だから"という逃げの思考で製作されたものではないと推察します。
 現に『東京物語』を制作する際は、脚本家の野田高梧と共に鎌倉の自宅などで激論を交わしたとも言われています。(それとも茅ヶ崎の旅館?)
 大ベテランや巨匠ですら淡々としたものを書くのは難しいものなので、初級者のうちはまず『山あり谷あり』で習作を積む方が無難といえるでしょう。

媒体による

 昨今の傾向ではストレスフリーな作品が好まれる傾向にあります。
 例えばひと昔前に深夜アニメで流行した『日常系』はその傾向が顕著に表れました。例えば『ゆるキャン△』や『ご注文はうさぎですか』などに対立相手や物語全体を通じての心理的な葛藤、目標などは存在しません。(少なくともドラマチックな要素への寄与は薄いです)
 あれらの作品のコンセプトは"可愛らしい女の子たちの日常の光景ややりとりの様を楽しむ"というものですから、『相克・対立・葛藤』が極力排されているのです。

 また現在でもラノベ・アニメのモードとなっている『異世界転生系』も類似した傾向を持っています。90年代に黄金期を誇ったいわゆるジャンプ漫画やアニメでは主人公が"努力して勝利する!"というのが当然の流れですが、いわゆる異世界転生系では物語の最初から『チート能力』という無敵の力を付与されて、それをどうやりくりするかに焦点が置かれているものが多いです。(というよりはお約束事として、最早必須です)
 私見ではありますが異世界転生系は、『相克・対立・葛藤』が薄い分、人間のもっと根幹的な願望を叶えること(カワイイ女の子をはべらせてハーレムを形成する。偉そうにしているやつをあっと言わせてザマァする。キャラ同士のかけ合いでコメディ色を強めてエンタメに寄せる)に集約し、人気を博しているのかと思います。
 ではなぜ"人の感情を動かす"ようなドラマが下火となって、日常系や異世界転生系のような"感動の薄いエンタメ"が流行するようになったのでしょうか?
 これもまた私見ではありますが、世の中の情勢によるものと私は考えています。
 90年代以前を生きていた人たちにとっては
『努力すればなんとかなる!』
 と希望を持てるような社会の中で生かされてきました。
 ですがそれ以降の日本経済の不調・グローバル化に伴い、
『勝ち組は最初から決まっていて、努力じゃ埋めきれない差が開いている』
『努力しても大して報われない』
『いつも努力しているんだから、マンガやアニメを楽しんでいるときぐらい
 ストレスのかかるようなものを見たくない』
 という心理的な作用が影響しているものと思われます。
 現に、日本よりも経済的・学力的な格差の大きな中国の方が、日本よりも異世界転生系のアニメが人気であると耳にします。もしかしたら視聴者の大多数の人が「生まれ変わって有利な状況で出直したい」という欲求を心の奥底に隠し持っていて、異世界転生系のアニメがその欲求をくすぐってくれるのかもしれません。

 しかしながら日常系や異世界転生系だけを書いて生きていくのであれば、まぁ何とか切り抜けられるのかもしれませんが、シナリオライターは複数の媒体を手掛けることがままあるので、『相克・対立・葛藤』を描くことを避けるのは得策とはいえないかと思います。
 くり返し練習していきましょう。ここまで述べた私もまだ、『相克・対立・葛藤』が何たるかは未だ理解し切れていませんから。


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