小さな窓のある部屋
この部屋にあるのは、
おんぼろな椅子と、体重をかけるたびに軋むうるさいベッド、そして、東側に突き出た小さな出窓が一つ。
それだけ。
日がな一日、
横になるか縦になるかしかない私は
日々その窓の四角の向こうが晴れたり曇ったり雨だったりするのをただただぼんやり眺めてた。
外に出たい、なんて思ったことはない。
だってお外は怖いところなのよってお婆さんが口酸っぱくして何度も何度も何度も言うのだもの。耳にこびりついて離れなくなってしまった。
【お外は怖いところなのよ】って。
そのお婆さんもいつの間にか居なくなってしまった。どんな顔をしていたか、もう朧げにしか思い出せない。
優しそうだった気もするし、怖そうだった気もする。どうだったろうか。
私は窓にそっと近づいてみて、屋根つたいに階下を覗いてみた。
玄関らしきアプローチと、生い茂った草木。手入れはされているようだけど、マメにとは言い難い。誰かはいるようだ、そんな風。
今度はしゃがんで、床にそうっと耳を当ててみた。微かに誰かの生活するおとがする。ほんの少しほっとする。
「あぁ、わたし一人じゃないんだわ」
小さな窓の外がだんだんと薄暗くなり、星と月が少しずつ輪郭をハッキリとさせてきた。夜がやってきたのだ。
「夜は嫌いだな、みんな寝静まってしまうんだもの」
私は寝る必要がない。
いつからそうなのか忘れてしまったけれど、お婆さんにもそう言われた気がする。
「お前さんはもう寝る必要も食べる必要もないからね、でも夜は怖いものが元気に動き出すから眠れなくても寝たふりをするんだよ」
そう言ってギシギシ五月蝿いベッドで私を寝かしつけた。目を瞑って、朝が来るまでずうっと数を数えるんだよって。
お婆さんがいつの間にか居なくなってから、私はこっそり寝たふりをしなかった日が1日だけある。
その日はドキドキして、何かとても悪いことをしている気分でとても興奮した。
けれど、特に何も怖いことは起きなかった。
うっすら青くあけていく空の色が窓の外に広がる頃にはすっかりその興奮も冷めてしまっていた。
「なぁんだ」
私は実につまらなさそうな声を出してしまった。
その時だった。
「だれ?!」
小さな男の子の声がした。
トトトと小さな足音が目の前を掠めていき、窓の前で止まるとバタン!と大きな音を立てて窓が開いた。
「ああ!怖いものが入ってきてしまう!」
「わあ!怖いものよ出て行っておくれ!」
私の声と男の子の声とがちょうど同じタイミングでハミングした。怖いもの?それは?
「お婆さまが言っていたんだ、夜この部屋で眠る怖いものがいるからこ部屋には近づいちゃダメって!だけどぼく気になって、」
泣きそう震える声で男の子が言う。姿は見えないが、窓のところにいると言うことは声の方向からわかった。
「わたしは、怖いものじゃないわ。お婆さんに外には怖いものがいるからでちゃいけないって言われてずっとここにいたの」
声がした窓の方へ向かって努めて優しい声で私は話しかけた。
「女の子のこえだね?怖くない?ほんとう?」
「ほんとうよ、あなたは男の子のこえね?わたしよし少し歳下かしらね」
つつーと床に積もった埃に人差し指で12と書いた。
「これ見える?ホコリの文字」
「わ!見えたよ!12だ!12てかいてある!」
男の子が興奮がちにそう言った、飛び跳ねたのか少し埃が散ってしまった。
「わ!わ!消えちゃう」
「あなたがじっとすればいいのよ」
諭すようにゆっくりそう言うと、私は少年を驚かせないようにゆっくりとベッドの方へ移動して「ベッドに座るわね」と言ってから座った。
「ほんとだね、お姉さんちっとも怖い感じしないね」嬉しそうな声だった。
「また来てもいい?そろそろぼく朝の礼拝に行かなくちゃ」
「いいわよ。でもここに来たこと内緒にできる?」
「え、どうして?」少年は不思議そうな声を出した。さっきまで同じ人物相手に怯えていたとは到底思えない無邪気さである。
「あなたは怖くないけれど、わたしはやっぱりお外が怖いの。お外のほかの人も怖いの。わかってちょうだい」
ゆっくりそう言うと「いい?」と最後に付け足した。おそらく頷いてから、お互い姿の見えないことを思い出した少年は「わかった!」と大きな声で言ったあと、あっ、と慌ててすぐ
「しー!」と自分で自分に静止をかけて、「じゃあね、怖くないお姉さん」と小声で言って部屋を出て行った。
実に騒がしい、しかしながらほんの10数分の出来事だった。慣れない体験にどっと疲れてしまって私はいつの間にか本当に久しぶりに倒れ込むようにそのまま眠ってしまったようだった。
外は白々と太陽が輝り始め、また何度目かの朝がやってきたのだなと夢現に思った。
今日は、はて、何年の何月何日だったのかしら、お婆さんはいつからいないのかしら、私は、誰だったかしら、そこまで考えている途中でもうすっかり夢の中であった。
夢の中では私は小さな部屋にいて、
その部屋にあるのは、
おんぼろな椅子と、体重をかけるたびに軋むうるさいベッド、そして、東側に突き出た小さな出窓が一つ。
それだけ。
それだけだった。
何か思い出しそうな気がしたけれど、
何も出ては来なかったので私は考えるのを諦めた。考えても仕方ない事もあるのよ、といつの間にかお婆さんが部屋の入り口に立っていて「さぁ、カーテンを閉めて!お外は怖いものばっかりですからね!」そう言ってバタンと部屋から出て行った。
そうか、お外は怖いものばかりなのね。
自分に言い聞かせるように私はカーテンを勢いよく閉めた。シャッという小気味よい音と共に窓の外は見えなくなった。
END
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2021/01/21 0:55
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