見出し画像

【短編小説】華やかな大学生活を期待して。。

↑前回のお話↑
読んでからがオススメです。

上京なう。
そんなtweetをしたころが懐かしい。

3.11の大地震のあとだった。
ACのぽぽぽぽーんのCMしか流れない時代。
原発事故の問題があり電力不足。
被災者もいるため、入学式は中止。
コロナ禍の近年でもよくあるが、
当時では珍しく、楽しみにしていた私は落胆した。

兵庫県の一部しか知らない高校生が
東京にいくのだ。
人生の転機となることは間違いなかった。
華やかな大学生活を夢見て
家を旅立つ前に震災が起きた。
東京に行くのが怖かった。
周りも心配していた。

ラグビーを大学でも続けるので、
ラグビー部の学生寮に入った。

入学式は中止となったが、
入部式は通常通り行われた。
そして学生寮の案内も合わせて行われた。

築60年くらいのぼろぼろの大きな建屋に
部屋が20室。
それぞれ4人部屋だった。
門限は12時。
理由なき日付またぎは、
坊主にするのが基本ルールだった。

女の影一つなく、(おばちゃんはいる)
監獄のような寮だった。

なんといっても4人部屋だ。
先輩なども含めた4人。
地獄の大学生活の始まりだった。

1年生の仕事はかなり多かった。

毎朝6:00までに共同スペースの掃除を完了
毎晩部屋全員分の洗濯
大浴場の忘れ物チェック
自分の部屋の掃除
食料や日用品の買い出し
試合の録画、ビデオカメラ撮影
練習道具の手入れ
部車の運転

軽く書き出してもこれだけある。

部屋全員分の洗濯はとにかく洗濯機の取り合いだった。
全部で3台しかないため、20部屋分完了させるには
単純に1台につき6~7回、回さなければならない。
1回45分以上かかる洗濯機だったため、全て終わるのは5時間以上かかった。
練習が終わって帰ると、早くて7時。
1年が走って洗濯機の取り合いが始まるのだ。
出遅れると干し終わる時間が2時を超えることもあった。

そして朝5時から掃除。
当然共同部屋のためアラームはNG。
ほぼ毎日寝坊していた私は未だに
みんながどうやって起きていたのか謎だ。
(坊主しすぎてペナルティになってなかった)

大浴場では上級生が優先される。
1年生がお風呂にはいれるのは11時以降。
お湯は濁り切っている。
こんなとこに浸かれるもんか。と思ったのは最初だけだった。
感覚がマヒしてきて1ヶ月後には普通に浸かっていた。
たまにエアガンを持った先輩が乱入してきて
蜂の巣のような背中にされたこともあった。

自分の部屋掃除は永遠とコロコロをする作業だった。
掃除機を導入するという考えはなく、
全部屋1年生がひたすらコロコロしていた。
コロコロコロコロコロコロコロコロ。
私は1週間に1回で良かったが、
毎日しなければならない部屋もあった。
そこは部屋リーダー次第だった。

部屋ガチャが外れてしまうと地獄だったそうだ。
毎日マッサージをするとか、
賭け麻雀に強制参加させられるとか、
酒を毎日飲まされるとか、
パチンコに付き合わされるとか、
お金を毎週貸すとか。
それでも誰一人として辞めないのは
根性があるからなのか、
1年の絆が生まれるからなのか、
全員アホだからなのかは分からない。

ラグビー部といえば、くさい・きたない・きついと
3Kを掲げられるが、(あとゲイが多いイメージとか)
実際にはきれい好きが多いし、
匂いもかなり気にしてる。
きついのはマジ。
ゲイは一部いるが、私のラグビー部にはいなかった。
女好きがかなり多い。そんなところだ。

4人部屋とはいえ、自分のスペースはある。
ベッドの上だけだけど。
カーテンを付けて自分の空間が出来上がる。
好きなフィギュアを並べるやつもいたし
ゲーム機とモニターを設置してるやつもいた。
自分でデコレーションして
楽しむということくらいしかやることがなかった。

とにかくなにかやらかしたら
全員呼び出しされて食堂に正座。
軽く1時間は説教タイムが行われた。
私の寝坊のせいで10回は増えた。

わざわざ書いてなかったが、
軽い暴力は日常茶飯事だった。
いじめもちょくちょくあった。
私自身もある先輩にいじめられた。
ただ、ラグビーのいいところは
いじめたやつに正式なプレーで報復できる点だ。
私はいじめてきた3年生をちゃんとしたプレーで脳震盪させた。
別のいじめられていたやつは先輩を脱臼させたりした。
プレーで返せば認められる世界だった。
ある程度の実力がある選手に対しては、下手にいじめができない世界なのだ。

食堂説教正座タイムは理不尽な理由もあった。
お風呂のお湯が1℃高いとか
洗濯機の音がうるさいとか
おばちゃんの準備が遅いとか
蚊に嚙まれたとか

とにかく数え切れないほどの呼び出しがあった。

呼び出しがあると洗濯機の時間がおす。
順番次第だが、3時就寝の時もあった。

華やかな大学生活とは何なのか。
可愛い子はそこらじゅうにいた。
大学の講義が至福の時間だった。

可愛くて、狙っていた女の子を
先輩に紹介しなければならない時もあった。

一般的な大学生活とはかけ離れていた。
夢にまで見た東京とは何だったのか。

おそらくこれを読む人には
話を盛ってるとしか思われないかもしれない。
逆に減らしてるくらいだ。

ただ、この1年間を乗り越えた先には
自由が待っている。

そう。夢の東京生活は2年から始まる。






はずだった。

よろしければサポートをお願い致します。 更新の励みになります。