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【エッセイ】もやしはどんな料理法でも美味しい、という話ではない

 こんばんは。何やらフェスをやっているそうで、バッチがもらえるそうなので、#今日やったことタグで参加してみました。いやー『note』をやってるぜえ。とは言っても、今日も今日とてダラダラと思った事を書いていくだけですが。

 今日やったことは短編小説『タイプミス』を投稿しました。厳密には日付が変わってしまったので、今日やったことはこのエッセイを投稿した事にはなるんですが。まあ置いておいて。noteでは記事を読む前の情報として、題名と作者名とスキ数と経過日数しか分からないので、サムネと題名でどれだけ読者を惹きつけるかが重要になると思った。

 特に小説を投稿しておられる方は苦心されるところだと思う、ページに飛ばないとジャンルやあらすじや分量が分からないからだ。エッセイでは、例えば、【もやしはどんな調理法でも美味しい、という話】のようにほぼ内容が分かるように工夫されているパターンをよく見かける。小説でもそれをやっている、更には分量やジャンルまで分かるようにしておられる巧者も中にはいますね。

 僕は題名は最大の要約であり、伏線であり、余韻であり、メタファーであると思っているので、なかなか悩ましい。小説を読了し、題名に戻り、なるほどと思った事は多いし、そういう作品は余韻に浸れる気がする。

 昨日投稿した『タイプミス』もそんな作品になることを祈って題名を考えた。チャット内だけの話なので、タイピングをミスする事は、コミュニケーションの齟齬、ミスアンダスタンドになりかねない、文字情報だけで人と人との意思疎通や相互理解は難しい。実際に会って話していたって、長年の付き合いがあったって、家族であったって、難しい。そんな意味合いである。

 主人公はコミュニケーションで悩み、しがらみの少ないチャット空間に逃げ、何もしらない誰かの文字によって、自分のカタチを変えた。この場所、『note』だってそうだ、文字だけ(絵や音楽もあるけど)の世界で僕らは難しい意思疎通に挑戦している、何度も失敗してるのに、ずっと挑戦し続けてる。きっとそうしないといられないんだろう。

 小説作品のジャンルや概要をその小説のページ冒頭に付記することもできるけど、なんとなく、こうやって別のエッセイで紹介する方法を今はしようかなと思ってます。このエッセイを書く前にぼんやりと思っていた議題とは全く違う内容になってしまった。つれづれと書いている内に勝手に方向性が変わっていく、僕の日記は大体いつもそう、その時の勢いが大事ということで。ではまた。



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