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「愛を持って問題を見る」~カウンセリングをする上で大切にしたいこと~

 
「愛を持って問題を見る」ということ。

 
こんにちは☺根本先生お弟子さん制度6期生の、かほです。

彩ayaさんからバトンを引き継いで、アドベンドカレンダー12/11を担当させていただきます。
根本裕幸お弟子カウンセラー Advent Calendar 2022 - Adventar


タイトルについて、今の自分が感じることを思うままに綴りました。
※自分なりの考察なので、間違っていてもご容赦くださいm(__)m

 

****


「問題の裏には、愛がある」


と、言われています。魅力や、才能も。

 
悩みや苦しみを誰かに打ち明けて、相手から

「あなたのそれは、愛だったんだよ」
 
そう伝えられたとき、人は、どう感じるのでしょうか。
 
「ああ、 そうだったのか」と、スっと腑に落ちる方もいらっしゃると思います。
 
ただ、どちらかというと
 
「え・・・・?」「そう・・・?」という感覚を抱くことも。
 
むしろ、そちらが自然なことなのではないでしょうか。。

自分の問題について話をするとき、そこには当事者にとって「困っていること」「苦しいこと」など、何かしらネガティブな感情が存在しています。
 
 
それなのに、いきなり「愛」??
 
 
「いやいや・・・こんなに苦しかったのに、あんなことされたのに?」
「あの時の私の苦しみって、なんだった?」
「愛じゃなくて、憎しみじゃない?」
「そんなのいらないから、あんなことが起きてほしくなかった」
 

など、なかなか受け入れがたい気持ちになる方も多いのではないでしょうか。はっきりした感情ではなくても「なんか、違う」という違和感があったり。
 
なぜなら、私がまさにその一人だったから。
 
 
カウンセラーさんから、両親(特に憎しみを抱えていた父親)について

「そういうやり方で相手を愛してきたんですよ。それは、あなたの愛です。
かほさんはね、お父さんが大好きなんです。」

と言われたときのこと。
 

うまく言えないけれど「え、ムリ。いや!!」と、思いました。

心のどこかで本当はわかっていたけど、認めたくなかった。
 
「あんなに大嫌いで、苦しい想いをさせられた(被害者意識が強かった)のに、なんでそんな人のことを愛してるって言われてるんだろう?」と。
 
どうしても抵抗があり、考えようとすると苦しくて、こころのシャッターを降ろしたくなりました。

だからわたしは、愛を自覚せざるを得ないような「核心をつく質問」をいただくとき、質問に対する返事ではない、関係のない雑談を返してしまいました。何度も何度も。
 
例)
カウンセラー:それって、どうしてそんなにがんばれたの?そこまで我慢してきたのは、誰のため?あなたは、誰を笑顔にしたかった?
 
私:「えー、それってどうなんでしょうね。(半笑い)よくわからないです。そういえば、全然関係ないけどこんなエピソードがあって…(関係ない話にすり替える)」

 

逃げたくなるんですよね。認めたくなかった。
「もしそうなら、私のこれまでのこの苦しい期間は一体なんだったの、無駄じゃないか」という、ぶつけようのない怒りもあり。

※前回の記事にも書きましたが、そのカウンセラーさんはお弟子の先輩の愛野ひとさんです。

そんな私に、愛さんから

「今、無意識に話題が変わったのに気づきましたか?☺」
(*この時のお顔が、本当に優しい)
 
と、何度言っていただいたか。。
 
でも、セッションを受け続けて癒しを進める過程で、何度も何度も私の中にある愛を伝えていただいて、イメージワークをして・・・

ようやく、それを受け取れるようになったのです。

「え、むりです。考えたくないです」

→「もしかしたら、そうだったのかな。。認めたくないな…」
→「ちょっと感じてみたけど、だめだ、涙出るから中止。怖い。」
→「結構癒したし、私、もう大丈夫でーす!(全然大丈夫じゃない)」
→「現状変わらない。。やっぱり、父に向き合うしかないか・・・」
→「(しっかり感じてみる。。)痛い、苦しい。」
 ※爆発(涙と鼻水で息ができない)

→「ああ、そうか。私、お父さんが大好きだったんだ」

こんな風に、段階を経て少しずつ少しずつ。


だから、クライエント様のお話を伺う中で、何が大切なのかなと考えたときに・・・

やはり根本師匠が仰るように、「愛を持って問題を見続ける」「クライエント様の未来を信じ続ける」ことなのだろうなと思います。

 
最初に書いたように、スムーズに受け入れられるケースもあれば、抵抗が生まれるケースもありますよね。

ただ後者の方も、一度のセッションでは腑に落ちなかったり、拒絶反応が出てきたとしても、時間と気づきが進む中で「その方にとってベストなタイミング」で、徐々に浸透していくのだろうと思います。わたしのように。
 
だからこそ、カウンセラーに求められるのは、愛を見「続ける」こと。伝え「続ける」ことなのかな。
 
たとえその時のセッションでは届かなくても、次のセッションで、あるいは、別のカウンセラーさんがまた別の場所で、その方にある愛を伝えられるかもしれない。

そうやって愛を見出す経験をつないでいくうちに、クライエントさんが色々な過程を経て、自分の問題を愛として受け入れられる瞬間が不意に来るかもしれない。

その、一助になれたらいいなと思います。
 
 
もう一つ、これも師匠が仰っていたこと。
こころに響いて、最近よく考えています。
 
【「愛を持って問題を見ること」自体が、手段になってはいけない】ということ。

 
 
クライエントさんの言葉・表現をなんでもかんでも愛の方向にもっていこうとすると、それは半分無理くりの誘導になりかねない…
相手にも伝わり、むしろ逆効果。。
 
テクニックとして愛を見るのではなく、自分のこころでそのクライエントにある愛を見つける(感じとる)ことができればいいな、と思います。

じゃあ、その愛を感じとるためには一体どうすればいいんだー!!!(心の叫び)

 考えてみました。
   
 
(1)日頃から、接する人の中にある愛を見つけるように意識をしていくこと

 
「目の前のこの人は、どうやって大切な人を愛しているんだろう?」と考え、感じてみる。
 
(2)自分自身が、自分の中にある愛を見続けること、大切にしていくこと
 
毎日、愛おしいと思うこと、大切な人のことを想起して、幸せな気持ちを感じてみる。

身近な人との関係で、大きく感情が揺れ動くとき、何か問題が起きたときに「私にとって、この人は大きくて大切な存在なんだな」という俯瞰した視点を持ってみる。
 
 
今の私に浮かんだのは、この二つでした☺

問いかけをしながら毎日過ごしてみようと思います。

「もっとこうしてみたらいいよ!」というのがありましたら、ぜひアドバイスいただけたら嬉しいです☺
 
長くなりましたが、「愛をもって問題を見る」について、自分なりに感じたことでした。

今後の自分のカウンセリングの柱になりますように。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
今日もあなたに良いことがたくさんありますように😊❤︎
 


明日は、お弟子仲間の「栞乃葉(しのは)」さんご担当の日💛

しのはさんは、福島県在住の雰囲気と笑顔がやわらかく、安心感に満ちたカウンセラーさん☺お顔を見るとホッとします。

いろいろなご経験をされていて、何を話しても大丈夫だなと思える空気があります。どんな問題も受け止めてくれそうな包容力に溢れた方です☺
記事、楽しみです💛



かほ

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