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わたしのことが嫌いな人にも伝えたい


睡眠が終了しているのをいいことに、本を買った。

久しぶりに教養に関わらない本を読んでいる。村上春樹の文章はなるべく正確に伝えようとしてひとつの物事を伝えるために何文も何文も使うところが気に入っている。その悲しいがどういう悲しいなのか、読み取り方は他にないのか。
本の中に「彼女は言葉でよりは表情や仕草で、より多くを語る女性なのだ。」という一文があった。だからわたしは顔を合わせることにこだわり同時にひどく恐れてもいる。どれだけうれしかったと書いても(量・質ともに)、わたしの顔を見て嬉しそうだなあと思ってもらうより正確に伝えることはできない。一度顔を合わせていればそれ以降文字の裏に顔が浮かぶこともあるかもしれないけど。
顔と言葉の熱が一致していなかった時、どっちが漏れているものかは人による。つい表情を読みがちだけど、言葉の方がほんとうに近い距離の人もいるんだろう。

教養に関わる本を読まなくなって数日になる。

先週は比較的人と会った。どれもすごくたのしかった。じぶんのことを少なからず好きな人といる時間というのは意識しないと作れない、大学を出てから実感する。職場の人たちは別にわたしのことを好きではないし、家庭があるわけでもないので気を抜けばこちらには無関心な人に囲まれて生きていってしまうことになる。
たまに友人たちに会うと安心する。日常的にこの気持ちで過ごせたらどれだけいいだろうと思う。

一軒目を出て、二軒目に行くか帰るかという選択をする機会があり、わたしは二軒目に行くことにした。そうして一時間くらい過ごして別れた後、あのタイミングで帰らなくてよかったと思った。話したことが有意義だった。

いらない人間なんていないんだよ、よりも、みんな取り立てていらないからあなたもいらないんだよ、の方が前向きな言葉に思える。同じことを言っていても。
わたしがいることで顔が硬ったり暗くなる人やわたしがいるから話せない話のことを、わたしはよく知っている。申し訳なく思う。仲がいいのは付き合っているのは恥ずかしいこととか、いてもいなくてもいい状況の時はいない方が役に立つとかそれは潜在的に植え付けられてきていて(とうの昔に克服していることなのに)緊張するとすかさず顔を出してくる。
友人たちに会うとちがうこともあるんだそれが絶対ではないんだって赤ペンで直してもらっている。いつも書き直してくれてありがとう。これまでを見返してこれ以上書き直さなくて済むようにしていきたい。

それから。
もしわたしのことを嫌いな人がいたとして、わたしがあなたが好きな人たちと仲良くしていたとしても、それはあなたからその人たちを奪うつもりがあってしていることではないと知ってほしい。奪うことはできない、そういうものではないから。そしてどちらかぜったいなのであればわたしが一人になる。もうその生き方でいいということにしている。
わたしのことを嫌いであるその人はきっと、一度は心を許し打ち明けた人間であるだろうから。そのきっとかけがえないのない人が友人たちを奪われていると感じ、わたしにその気がなくてもそう感じて孤独に苦しむとするのなら、助長したくないと感じる。

そう言ってほしかったのだろう。わたしが優しいとするなら、かつて言ってほしかったことを言っているだけなのだと自覚する。それはほんとうの優しさなんだろうか?わたしには誰が言ってくれるんだろう。

最近特にまた、視覚や聴覚に期限があることを日常的に意識してしまっている。いつか朝がきて「昨日まででした」って真っ暗が続いたり、おはようが聞こえなくなる日を恐れている。いま五体満足であることはたまたまで、いつもではない(揺らぐ)という感覚が抜けない。好きな人には会えるうちに会おう、行きたいライブは行けるうちに行こう、は解散や死別と同じくらい目が見えるうちに耳が聞こえるうちにという意味もあると思う。

好きな人たちに会いたい。そんな体力いまはない。生意気だけど、わたしのことを好きでいてくれているとわかっている人に会いたい。相思相愛でありたい。その人たちを大事にしていきたい。
何度でも書くんだよ!

読書に戻る。本を読む時、携帯は伏せる。


メモ:
ソニーの芸人さんを見ようの日があって、U-NEXTでバイキングの単独(最新)を見た。サイコなキャラや突飛な追加設定もおもしろかったけど、面接のネタ ここでどうしても働きたいことを示す時にメニューの値段を言う・はったりのメニューに引っかからないのところからの展開が綺麗でもしかしてわたしバイキングのネタで感動してる?と気づいて更に笑ってしまった。サイコ-感動-サイコのサンドイッチ(まずそう)。
そのあとザコシの優勝ネタを見た。ネタを横から見せてもらえるの鉄板で笑ってしまうんだけど、断面図が好きだからじゃない?と気づく。小さい頃読んでいた本に断面図をまとめた本があったことを思い出す(人間もあってたしかトラウマ系だった)。断面図・構造・内側がどうなっているかが気になりがち。でも、靴下を履くと足がなくなっちゃったように思えて不安になるみたいなことは通らなかった。通ってもよさそうなもの。

メモ:
人と散歩している時、大きな白い犬とすれ違った。その犬は職場の近くにたまにいる(その日見た場所も職場の近くだった)モップみたいな犬だった。いつもこの犬と会えた日はいい日になるような気がしていて、やった!とそのまま川原に降りたけど、人と散歩できている時点でもういい日だよな、犬とかじゃない、人。「会えてうれしい」はジンクスを超えるよ。
そういえば柴犬カフェにも行った。動物から好かれたことがない。人生血迷っている。飼育員さんの力をフルで使って鼻タッチが限界だったけど、他の人とはツーショットを撮ったり膝の上に乗っかったりしていた犬だった。でも、かわいかった...。


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