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教科書は必要なのか 検定教科書編集に携わって


令和3年度から採択される中学検定教科書の見本が届きました。自分が編集に携わった教科書が形になる、感慨深いぜ、と見本を肴に飲めないお酒を飲み始めそうな勢いだった時、ふと疑問が湧いてきました。

「俺、教科書でちゃんと教育受けてたっけ?」

私は愛知県の中高一貫校出身なのですが、振り返ってみると、多くの先生がオリジナルの教材を準備して授業をされていました。確かに、オリジナル教材にこめられた先生の熱量は素朴に教科書を教えている授業より面白かったように記憶されています。自分自身が教員になってからも、教科書を使わないのがカッコイイ、という考え方は一定存在し、何を隠そう私も教科書以外の資料をバンバン使用している一人だったのです。
教科書を大切にしてこなかった自分が教科書編集に携わる罪悪感と共に、教科書ってそもそも必要なのか考えておきたくなりました。それがこの記事のテーマです。

日本の教科書の歴史

ごく簡単に日本における教科書の位置づけを時系列で紹介します。

①自由採択:近代化が進む1872年、「学制」の発布により学校教育制度がスタート。教科書は「自由発行」「自由選択制」がとられた。
②検定教科書:1886年、政府は自由民権運動対策として教科書制度や内容に統制を加えるようになる。
③国定教科書:1904年、ナショナリズムの気運の高まりや教科書採用過程の贈収賄事件をきっかけに国定化。
④検定教科書:戦後制定された学校教育法に基づき検定制度が採用され現在に至る。

こうしてみると思いっきり日本の歴史のターニングポイントで影響受けていることが分かります。面白い。
現在のシステムにまつわる主な議論は、検定制度を廃して自由発行、採択にすべきという考えや、検定は「地方分権」の観点から各教育委員会へ権限を譲るべきとの意見、 また学校の裁量を大きくしていくことが必要とも言われています。私立はその点、自由度が大きいですが。
しかし、ここでは検定制度の妥当性を考えたいわけではなく、教科書そのものの価値について注目したいのです。
よく対照的な例として比較されるアメリカでは州や学区ごとに採択が任されていていますが、法定使用義務がなくても90%の教師が教科書に依存していると言われています。最近翻訳された『教科書をハックする 21世紀の学びを実現する授業のつくり方』のリリア・コセット・レントさんは「教科書疲労」という言葉を使い、以下のように問題提起しています。

実際のところ、教科書疲労には「もう教科書にはうんざり」という倦怠感以上のものがあります。それは教科書や指導案をカリキュラムの手引きとして使うこと、すなわち教科書会社が概要を示した順序と、その提供する活動の両方をロボットのようにただこなすだけというもどかしさです。

教科書が魅力的に感じられない課題はどの国でも同じ?
先生の創意工夫があれば、もう教科書はいらないのか??
自分としても困った展開になってきました。

全く別の観点から腑に落ちる

文部科学省のHPには「教科書は、学校教育の中でどのような位置付けになっていますか?」という質問に対する答えが掲載されています。

教科書は、「小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及びこれらに準ずる学校において、教育課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材」として位置付けられ、児童生徒が学習を進める上で重要な役割を果たしています。また,教育の機会均等を実質的に保障し、全国的な教育水準の維持向上を図るため、上記の各学校において、教科書を使用することが義務付けられています。

私が腑に落ちたのは「教育の機会均等を実質的に保障」するというポイントです。義務教育課程において教科書は無償でどの地域、どの学力層の子どもたちにも等しく配られます。あたり前のことですが、これはすごい影響力です。他の本には類をみないエネルギーを含んでいます。

仮に相対的貧困家庭に生まれ、周囲の大人から教育的な関わりを持ってもらえなかったとしても、教科書という学びの入り口は開かれているのです。そこで教科書が子どもたちの知的な探究心をつかむ役割を担えるかが、とても重要です。また、例えオリジナル教材を中心に授業が展開される学校でも、学びの入り口で渡されるのはやはり教科書です。教科書がそれぞれの教科の第一印象として魅力的に見えることは学びの動機づけにつながる重要な使命と言えます。

〈魅力的じゃないから必要ない〉ではなく〈必要だから魅力的でありたい〉。

あまりにも当たり前の結論にガッカリされたらすみません。でも大切なことはシンプルだからこそ響くのではないかとも思います。
教科書はまず何より、面白くなくてなならない。
最後に『教育格差』を書かれた松岡亮二さんの言葉を借りるならば、日本の「緩やかな身分社会の再生産という『現実』を、一人ひとりが可能性を追求できる社会へと変えること」を教科書づくりを通して、チョビットだけでも手助けできれば嬉しいです。


【参考資料】
大島一元「日本最初の教科書」2009年
国立教育政策研究所「教科書制度と教育事情」2009年
リリア・コセット・レント『教科書をハックする21世紀の学びを実現する授業のつくり方』2020年
文部科学省HP「教科書Q&A 教科書は、学校教育の中でどのような位置付けになっていますか?」
松岡亮二『教育格差』2019年

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